馬車
日本では馬車の登場が文明化し海外の技術が入ってきた明治とされていますが、江戸時代には馬で荷車を牽き物流の効率化をする案が出たのですが当時は農民以外の多くの労働者は運送業務に携わる人達で、彼らの仕事を奪うことによって失業者が大量に出る事を恐れた幕府が牛や馬を使って荷車を牽くことを禁止したのです。
酷使しないように馬の背に米俵2俵(120㎏)が決まりでしたが、多くの人がより多く載せようとして3俵(180㎏)を載せており、過重積載した馬は移動距離が短くなり1日10kmも進まなかったと言われています。
普通の旅人は、1日約40kmが移動距離とされています。
馬車などの様に牛や馬に荷車を牽かせれば、10倍以上の積載物を運べアメリカの西部開拓で利用されたコネストーガ幌馬車は複数頭の馬で牽き5トン以上の積載物を20km以上も運搬出来た。
ではなぜそんな便利な馬車が海外では使われていたのに日本では使われていなかったを考えてみる。
日本は中国から技術や文化の影響を強く受けているのに、牛車は導入して馬車は存在しなかったのか。
平野が少なく起伏の激しい日本では高低差があるため坂道を上る必要があり、馬よりも牽く力の強い牛が利用されたのと、牡馬を去勢しなかったので暴れる危険性を考えたら牛車だけが存在したと考える。
あとは現代とほぼ同じ天候とすれば、東京は1日に1mm以上の雨が降るのが年に1/3といわれ非常に雨の多い日本です。
雨が降ることによって土がぬかるみ、ゴムタイヤなどないため摩擦の少ない木製の車輪では動けなくなる。
ローマ街道の様に何層にもわたって大きさの異なる砂利や石を路面に埋設することによって水はけを良くするか、江戸時代後期に雨でぬかるむと道が通れなくなることを防ぐ為に作られた車石を利用するかです。
あとは木で鉄道の代わりに木道を作るかですね。
ドイツの鉱山で木製の車輪とレールを使用してトロッコの様なものが使われ始め、それがイギリスで鉄を利用したのが鉄道の始まりとされているので、木の成長が早く木材資源の豊富な日本なら木材を並べ、車輪が通るようにすれば、明治に作られた木道を利用すれば物資の大量輸送や高速化が実現できると思います。
言いたい事は、日本の環境では馬車を導入しようとしても、路面状況を改善しないと使えない。
興味のある方は、木道社、人車軌道、馬車軌道で調べてみてください。