合鴨農法
文献で古くは豊臣秀吉が鴨を飼うことを奨励したことが最初とされますが、江戸時代に入り全く出てこないので普及しなかったとされています。
合鴨農法は水田の害虫や雑草を駆除するために現代の有機農法でされていますが、水田だけでは鴨の成長に必要な別に餌を与える必要があり農家にとっては余分なコストとなったことが普及しなかった要因と思います。
現代では安価な飼料がアメリカなどから入ってくるので合鴨農法が出来ているのだと思います。
戦国時代では余剰分の飼料の確保が出来ないと、合鴨の売値が高くないと利益が出ないものと思います。
合鴨農法は田植えをして1週間ほどで苗が定着した後の水田に合鴨のひなを放し水田内を動き回ることによって水が循環され水が泥で濁ることによって雑草の繁殖を抑え、合鴨の糞が肥料になり米の収穫量が増え成長した合鴨を肉として売れる点だと思います。
現代の合鴨農法では水田で放した合鴨は毎日余分に餌がかかり、稲穂が実りだすと合鴨が食べないように水田には入らせず餌だけで太らせてから出荷しているので、現代でも安価な餌が重要となっている点が合鴨農法を支えているのだと思います。
秀吉の様に為政者が鴨肉が好きでいつでも食べたいとかいう話でなければ、合鴨農法は安価な餌が必要なため余剰飼料が供給できない日本ではどの時代においてもマイナス面の方が大きいと思います。
合鴨農法が定着せずに江戸時代では鯉農法が全国的に定着していった点はまた後日気が向いたら。