アルキメディアン・スクリュー
紀元前ギリシャの学者が発明したアルキメディアン・スクリューは現代でも様々な用途で使われており、構造自体は簡単なものであり効率は良くないが当時の加工技術でも作れるようなものであり鍛冶技術の発達した時代であれば十分に作れるものであると思われる。
鉄・銅・石炭と鉱山開発において地表に露出している部分だけを掘削する露天掘り以外では地下に掘り進むと、坑道などに水が湧き出るため排水する必要が出てくる。
甲斐武田家の金山は有名であり武田信玄は金山開発を奨励していましたが、武田勝頼の時代には枯渇して金が産出しなくなったと知っている人もいると思いますが江戸時代も採掘が続けられ、1871年の明治3年に砂金がわずかに採れる程度となったため採掘が中断しその後1度再開した後すぐに閉山となっています。
武田家の時代で金が採れなくなったと言われたのに徳川の時代で再び採れるようになったかを考えると、坑道に湧き出る排水を処理できたためと考えられます。
江戸時代に佐渡の金山開発においてアルキメディアン・スクリューが使用され鉱山開発に役立ったとされています。
現代でも工場などで砂利や石炭を運搬するのに使われたり、食品工場でも材料を運搬するのに使われています。
内政チートとして一番使えそうなのが搾油でしょうか。
山崎離宮八幡宮が平安時代に長木と言われる圧搾機を開発し荏胡麻の油分を採取したのが始まりとされ、江戸時代の1655年ぐらいに搾木が使われ始め、明治になり玉締め法になっていきます。
玉締め法はワインの圧搾機に使われていたもので、明治になり入ってきたと思われます。
現代は一般人でも搾油機が買え小型で今まで説明してきたものと比べはるかに効率的となり、その機構にアルキメディアン・スクリューが使われています。
過去の日本では油というのは灯火に使われ江戸時代に菜の花の生産量増加とともに中国やヨーロッパなどの油料理に必要な物として需要が増大していきました。
菜の花の普及と共に採油効率の高くなるスクリュー機構の付いた搾油機の開発で植物油の大量生産でぼろ儲けという感じですかね。
中国では大豆油は紀元前3千年から使われているとされ、日本で大豆油普及していったのは明治以降です。
大豆の利点として絞って出た大豆粕は家畜の餌や肥料に使われますが、明治時代に大豆粕と干鰯を比べた時に大豆粕の方が稲と麦の収穫量が多くコストも大豆粕の方が安いというデータがあります。
コストが安いというのは江戸時代末期から干鰯の漁獲量減少と需要増による価格上昇もあるので江戸時代中期までの時点では安いかどうかはわからないと思います。
大豆も価格が安くなったのは鎖国解除により朝鮮や中国から大量の大豆が入ってきたため価格低下に繋がった可能性があり、どの年代で見ても干鰯が高いとは思えないからです。
江戸時代では水田の畦道に木綿と大豆を植え輪作していた記録があり、1年目大豆2年目木綿3年目木綿のローテーションが奨励され4年目木綿はぎりOKで5年目木綿は絶対にダメだったようです。
三河木綿が最近多く見るけど、木綿栽培については河内木綿を調べたほうがいいかもしれないです。




