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レンガ

 日本にレンガが普及していったのは明治時代になってからで製鉄に必要な高炉を作るには高熱に耐えれる耐火レンガが必要だったため、明治時代になりレンガ工場が各地に作られていった。

 日本で最初に耐火レンガが焼かれたとされるのが韮山反射炉の炉壁に使用されるために伊豆半島の河津にある段間遺跡近くの白土が利用されました。


 耐火レンガの原料になる木節粘土は愛知県瀬戸市,三重県島ヶ原地方,岐阜県多治見市、福島県と茨城県にまたがる常磐炭田で、他に原料となるろう石は岡山県備前市三石、広島県庄原市勝光山は産出されますが調べて出たのがこれだけで他の地域にある可能性もあります。


 耐火レンガは耐火レンガの材料を混ぜ合わせて高温で焼いた物を砕いて焼成した時に収縮しないようにする骨材にして再び混ぜ合わせて高温で焼く。

 高炉、反射炉、ガラスと高温になる炉を作るためには耐火レンガが必要というわけで説明しておきました。

 耐火煉瓦の産地は限られており高温になる炉が必要という明確な目的が無いと意味が無いかなと思ったけど説明はしておきました。


 本題はレンガというわけで日本は河川の近くであればほぼ粘土が算出されるということで、日干しレンガや焼成煉瓦が簡単に作れます。

 雨の多い日本で耐水性の低い日干しレンガは除外しますが、耐水耐久において優れた焼成レンガは重要となります。

 一般的にレンガと言えば建築資材として積み上げていく物と思う人が多いですが、紀元前のエジプトで巨大な石を運搬するのにレンガを道路の舗装として使っていました。


 日本において宿場町の間を通行するのに車輪が使われなかったのは雨の多い日本において車輪が通ると轍によって凸凹の道となり後続や対抗する車両が通れなくなるからです。

 牛車などの例外はありますが牛車は公家が乗ることが多く公家が移動するときは周囲に配下の者が付き従うので、泥などにはまっても数人で押して移動できたと考えられます。

 江戸時代の京都では車輪がはまるため車輪の通り道に車石という石が敷設されました。

 車輪が使えるということは輸送能力が大きく変わり、馬の背に60㎏の米俵2俵載せて運ぼうとしても10km前後の宿場間を1日1つ進むのが精いっぱいだったようです。

 明治時代に馬1頭で牽く荷車の三六式輜重車は積載量1.5トン速度4.5kmで人が歩く程度と説明され、荷車を導入するだけで積載能力が10倍に飛躍し馬の負担が少ないので移動距離も長くなっていると思います。


 レンガ舗装の道路というのは材料は日本国内ならどこでも採れる粘土で世界では古くから利用されている技術のため簡易に導入でき、馬車を利用できるようになるため輸送効率が10倍以上となる物と思います。

 地震の多い日本では重量のあるレンガの建築物は壊れやすく推奨できませんが、舗装道路としてレンガは安価に導入できます。


 重量のある大型車が入らない道は昔に比べてアスファルトやコンクリート舗装の道路が減って、レンガ舗装の道路が増えています。

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