正条植え
戦国時代に現れた主人公が定番と言っていいほど最初に通るものと言えば正条植えかと思われる。
それまでバラバラに水田に苗を植えていたのを、田植え定規を使ったり水田の端と端にロープを張ってまっすぐ等間隔に植える農法だ。
江戸時代後期に大工兼農家の大岡利右衛門が米の生産量を増やすために、各地の村で米の栽培方法を聞いたり、良い米がとれたと聞けば分けてもらい品種改良行った人物が、日光が風通しが米の生育に影響を与えると考え正条植えを実践し収穫量が向上したことを確認すれば農民に奨励しのが始まりで、明治に入り政府が正条植えを行わない農家に対して罰則させるなどして全国的に普及していった。
現在の稲は約15㎝前後で植えられておりそれほど隙間が大きいというわけでもない。日光や風通しが大事というのはわかるが15㎝よりももっと狭い感覚で植えていたのかという疑問が残る。
今までのバラバラに植えれれていた水田と違い等間隔で植えられることによって水田の中央部まで移動が楽になり、雑草や病気になった稲を除去しやすくなったことが収穫量の増加の要因と考える。
バラバラに植えられた水田で泥に足をとられ稲を踏みつける可能性を考えて、水田内に入ることが少なかったと私は思う。
水田の雑草を抜くために幅10㎝程度の道具を作り、雑草を処理で来て初めて正条植えの効果が期待できる思われ、ただ安易に正条植えを行っても収穫量の増減はなく等間隔に植える事によって生じる無駄な労力と時間だけが発生すると思われる。