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宮廷プリンセスナイト  作者: 友浦
城での暮らし
9/39

城での暮らし<8>

 番子がメイド宿舎棟に帰ってきたころには、夜ももうすっかり更けてしまっていた。2016号室の鍵を回してドアを開けると、中はもう真っ暗だ。明かりを灯すのもそこそこに、記憶をたどってベッドのそばまで行って、倒れ込む。

「ハルくん……」

 くたくたに疲れて家に帰ってきたはずだが、番子は眠れる気がしなかった。ようやくお待ちかねのこの時間。城で余った高級料理のまかないも断って、自宅へ直帰。今日だけは腹ペコなんて気にしていられない。窓ガラスを拭いているときも、お茶を作っているときも、ずっと思い浮かべていた姿。番子は今一度、闇の中で彼の姿を思い出した。

 優しそうな顔はやはり笑っていて、そよ風のようにそっと私の名前を呼ぶ。あの上品なブラウンのやわらかい髪に触れたい。あの知的な片眼鏡モノクル越しに微笑まれたい。

 番子はむくりと体を起こし、部屋の明かりを灯した。ポケットから手紙を取りだす。自然と手が手紙を開き、無意識に文面に視線を這わせる。本日何度目かわからない同じ行動。中に書かれている内容が変化するわけでもないのに、どんなに見つめていても飽きることはない。もう、紙の繊維の模様を記憶してしまうほどの勢いだ。

 どれほどその姿勢のまま、ベッドに転がっていただろう。時に意味のない悲鳴というか喜鳴のようなものを上げてベッドの端から端をもんどりうったり、手紙を破かんばかりに力強く握ったり繊細に指でなぞったり、幸福なあまり溶けてしまったかのように、ぱったりと動かなくなったりしていた。

 ガタッ。

 そのとき玄関の方から大きな音がした。

「こんな時間に……なに……?」

 幻想世界を彷徨っていた番子はようやく正気に返るように、むくりとベッドから身を起こした。

 いったい……?

 鍵のかかっているドアノブを無理やり回すような音だ。

 ぴたりと動きを止め、耳を澄ます。一日中人が消えることのない城内とはいえ、一般的な就業時間はとうに過ぎていて、しんとしている。お風呂上がりの他のメイドが共用スペースから帰って来るときの話し声も、寝支度を整える生活音すら、もうすっかりなくなっている時間帯だ。メイドがこんな夜更けまで起きていては体が持たない。

「ばーんこちゃん……っ!」

 声がした。こそこそとしたささやき声。これは……

 急いで玄関にかけよる。深夜にメイド宿舎棟をたずね、さらに手紙入れ口に口を当ててもごもごささやいたり、空き巣泥棒のように目を当ててこちらを覗き見たりしていたのは我が光の国の第一王位継承者……王之友花里子姫である。

 番子は鍵を開けて、中に入れた。

「こっそりお忍びで来ちゃった☆」

 満面の笑みでそんなことを言うユカリコ姫は、番子と対面すると、ほっとしたように両手を広げ、どーんと抱きついてきた。

「び……っくりしたよお……」

 湯殿を終えてきたのだろう。髪からは花のような香りがプンプンする。

「あん★ ばんこちゃんお風呂入ってないでしょーっ」

 茶目っ気たっぷりに人差し指で鼻をつんとつつかれる。汗臭かったかもしれない。今日は入っていないが、メイドなんてもともとこんな感じだ。

 ユカリコ姫は薄桃色のひらひらしたナイトドレスに、首元に毛皮付きの桃色長外套を羽織っている。寝る前の姿だろう。ティアラは外していて、髪に垂らしていた金銀の細いチェーンもない。

 お忍び……。

 それにしてもピンクの塊は目立ちすぎるだろう。こんな恰好でよくもまあお忍びと言ったものだ。目を丸くし驚く番子の当然の反応に、

「だって! そろそろ、いいでしょう?」

 ユカリコ姫はぐいっと詰め寄り、小さく頬を膨らませた。断ったら拗ねるからね! と子どものような目でこちらに訴えられる。しかし番子は言うまでもなく、壁によって通路を開け、喜んで招き入れた。

「ごめんね。ありがとうユカリコ。うん。実を言うと、そろそろ話を聞いてほしいなあなんて思ってた」

「ほ~らね☆ やっぱり~」

 じゃ、上がるよ~、とユカリコ姫は、靴を脱ぎ散らかして嬉々として中に入る。番子は無意識に彼女の靴を揃え、扉を閉める。寝間着に似合わないような宝石飾り付きの靴だ。部屋を出るときに傍にあったものを適当にあわててはいたのだろう。

「男子禁制だから☆ ってリッキーを女装させようとしたら、拒まれた……」

 リキヤは棟の門外で待機しているらしい。首元に毛皮の付いた暖かそうな桃色の長外套を脱ぐ。フードもついているようで、ユカリコ姫はおどけたように両肩部分を持ち上げて人型にして見せてくる。リキヤ様にこれを着せようとしたのか……。

「そりゃ……そうだよ……」

 まあ一応とはいえこれはお忍びだし、メイド宿舎棟は端にあるとはいえ城の敷地内。派手な桃色外套が目立ったとしても、十分に警戒した護衛のリキヤもついているとあれば、さすがに姫の身を狙う不届き者もいないだろう。それにしても――番子はユカリコ姫に付き合わされるリキヤに同情した。

「あ~寒かったっ」

 受け取った外套を番子は洋服掛けに丁寧に掛けながら、「中もそう大して暖かくはないけどね」などと返すも、二人でいれば少しは室温も上がるだろうと思いなおす。

「綺麗に片付いてるね~」

「まあ、そうだね。……職業柄ね」

 リビングに通し、テーブルの下に座敷を二枚出す。

「かわいい~❤ このレース、自分で編んだの?」

「そうだよ」

 身を乗り出し、テーブルの下に敷いたレースの編み物を見ているユカリコ姫に、温かいお茶を出す。手作りレースのコースターを敷いてみた。「これも!?」姫ならこの程度のもの珍しくもなんともないだろうが、少女のように喜んでくれる。

「おなかはすいてる?」

「ん。大丈夫! これ持ってきたし!」

 そういえば手に何か包みを持っている。どうやら手みやげを持参してきたらしい。番子が礼を言って開くと、

「……おいしそうなクッキー」

 自室にあったお菓子を適当に包んで持ってきたのだろう。端のほうに銀細工の細やかな飾りのついた白い布包みの中から、丸や四角の様々なクッキーが甘い香りを立てた。メイドにとって上質なお菓子なんてものは、お金を持っていたとしてもなかなか手に入れられない。そもそも仕入れ場所がない上に、休みも少なく、買いに行く時間がないのだ。が、ここには王家御用達のクッキーが両手に余るほどずっしりと。

「いただきます」

「どーぞ❤」

 ユカリコ姫ににっこりすすめられ、番子は思わず胸をときめかせながら一口、口に入れると、――どこまでも甘く、そこから溶けてなくなるような食感が広がった。

「おいしいわ……」

「でしょ★ まだ湿気ってなかったし」

 番子が久しく口にしていない美味しさだった。たとえ湿気っていたとしても、番子にはおいしく感じられただろう――選び抜かれた牛乳とバターを黄金比で溶け合わせた高級な味わい。他にも、木苺やレモンピールのトッピングが入っていたりと、それぞれ味が違ったりした。胃に物を入れたことで急激におなかが空いてくるのを感じ、二つ、三つと次々に口へと運ぶ。

「あー、これに合う紅茶がないのが残念だね」

「ごめーんっ! そこまでは気が回らなかったわ」

「や、十分だよ」

 ここにはのどの渇きを癒すためのお茶ぐらいしかない。これまで嗜好品をゆっくり楽しんでいる余裕もなかったが、やはりこういうときに紅茶がないのはさみしいものだ。今度なんとかして仕入れておこうと王都のお茶屋を思い出す。

 もっといろいろ持ってくればよかったかしらねー、と王室を思い返しているユカリコ姫だが、番子にとっては姫がここに来ていることが見つかるよりは手ぶらの方がずっといい。メイド――中でも平メイドは、本当はその姿を主人の目に晒すことすら忌諱されるのだ。夜な夜な姫様と会い、自分の部屋に招き入れたとでも噂されれば、上役メイドにいったいどんなお叱りを受けることかわかったものではない。だが、あのまぶしいピンク外套を見る限り、もう手遅れかもしれなかった。背筋が寒くなる。

 それより、とユカリコ姫は何かを探すように視線をさまよわせる。番子はクッキーのときめきも忘れてぱっとほおを赤らめた――ユカリコ姫の視線は部屋のある一点でぴたりと止まっている。その先――ベッドの上には、味わい深い乳白色の封筒に、壊された複雑な柄の封蝋。出しっぱなしの便箋――あまりに読んでいたままの状態なのが少し照れくさい。番子はユカリコ姫と競うように急いで手を伸ばして先に手紙を勝ち取ると、負けて悔しがるユカリコ姫の前でまずは何度も自分で読み返す。なにか、恥ずかしいことが書かれていないか――しかし、大概が気恥ずかしい内容すぎた。番子は今さらのような気分になり、もうすっぱりとあきらめてユカリコ姫に手紙を預けることにした。

「読んじゃうわよ?」

 片頬をにやりと歪ませて確認するユカリコ姫に、番子は観念して頷いた。それを確認するや否やユカリコ姫はさっと番子の手から手紙を取り上げると、

「ふむふむ……ほうほう……」

 にやにやと楽しそうにしながら一枚二枚と便箋をめくっていく。

「今月末、公務でそっちに行く! ほうほう」

「……うん」

「二日目以降なら、なんとか都合をつけて会うことができる~~……ほほうほう」

「うん……」

「今でも変わらず、愛しているっ……て❤ ほ~~うほう……」

「う、うん……」

 にやにやっとした意地悪な視線をよこすユカリコ姫に、番子は苦笑する。直視していられない。ソラトではないが、番子はもうヤケになったようにクッキーをバリボリと貪り食った。

 読み終わったのか、ユカリコ姫は丁寧に手紙を畳んで返してきた。番子もエプロンで手をぬぐい、大事に封筒にしまう。厚みのある封筒。味のある色合いの白。手紙の封をとじていた青色の封蝋には、王冠と盾を、左右からオリーブの葉とクローバーの葉が包んでいる印が刻まれている。

 それはまさしく、隣国――青き国の王家の紋章だ。

「はあ~妬けちゃうな~っ! 王子様とね~ぇ」

 ユカリコ姫は番子があわてて「しーっ!」と合図しなければならないほどの大声でそう叫び、

「よかったわね……本当に」

 そっとつぶやいた。

「うん……ありがと……」

「いーえ★ 楽しいし」

「そ、そう……」

 ユカリコ姫もメイドたちに負けないくらい、この手の話が好きらしい。

「次はどうやってあなたたちを会わせたものかしらねぇ……」

 ユカリコ姫は立ち上がると、窓に近づいていって、ぱっとカーテンを開けた。まだぽつぽつと明かりがついている窓ガラスが、ここから見ると星空のようにも見える城の景色が広がる。さすがにこんな時間にメイド宿舎棟を見ている人はいないだろう。いや、たとえ見られたとしてもまさか姫君がこんなところにいるとは思うまい。遠くを見つめるように眺めるユカリコ姫につられるように、番子も夜風の向こう、揺れる国旗を掲げる城の先端をじっと見つめた。

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