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宮廷プリンセスナイト  作者: 友浦
鍍金の下は
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鍍金の下は<4>

 コンコン。光の国に来るたび、メイドにユカリコ姫の自室をノックしてもらう。

「ユカリコ姫様、ハル王子がご来室です」

「ハル王子? どーぞ」

 初めに出会った時より仲良くなり、ハル王子と言えばもう客室間ではなくユカリコ姫の自室に直接通されるようになった。

「ユリちゃん! おはよっ」

「おはよう。いらっしゃーい☆」

 二人分の飲み物とおやつ――半分はハル王子が自国から持参した果物だ――を出してもらった後は、部屋に隅に控えているちらっと子守メイドを見る。

「こっからは秘密の会議だから、聞いちゃだめだよ」

「そうよ❤ 両国王会議なんだからん」

 ハル王子とユカリコ姫の、冗談とも本気とも取れる物言いに、「これは大変失礼をいたしました」とにこにこと下がっていくメイド。年の近い子ども――しかも将来は結婚することを期待されている二人が仲良く遊んでいる様は、周りの大人たちから歓迎された。

「さて、あの話の続きをしましょ」

「うん」

 だがその二つの幼き横顔は、もう立派に一国の主となる者としての器を備えていた。

 ハル王子がユカリコ姫に打ち明けて協力してもらい、彼女から教えてもらった。閉じこめられていたあの子はユカリコ姫の姉で、名前ははんなこ姫。光の国には呪いがあり、王家第一子はプリンセスナイトとして、それを打ち消す力を持つ存在であることを。第二子であるユカリコ姫は、そのことを知っていたのだった。国のトップシークレットであることも。絶対に言いふらしてはいけないと、教育係は元より両親からも固く言われていた。だがその秘密をハル王子に明かしたのは、ハル王子とユカリコ姫が、利害の面で一致していたからだ。ユカリコ姫も、姉であるはんなこに、もう一度会いたかったのだ。そしてそれは、王女として数少ない「叶う見込みのない」願いだった。でも、ハル王子と手を組めば――

「あたしね、はな姉様が出て行ってしまってから、姉様に向けて手紙を書いたのよ。」

 もう一度会いたいと願う気持ちの他に、城の近況や、家族の近況を。姉が知りたいであろう事柄を、事細かく書いて伝えようとした。

「でも……」

 でも返ってきたのは、傷からしみ出るような痛みの嘆き。

 王之友花里子の名はそれだけで、城から締め出されたはんなこの心をたやすく傷つけた。他意など、悪意など、微塵もなかった。それなのに――いや、関係ない。傷つけたというのは、事実。もう二度と軽はずみに手紙など出すまいと固く誓うユカリコ姫の元に、しかしはんなこから手紙は何通も届いた。血だらけになりながら、それでも手を伸ばすような、せっぱつまった形相で。

 ――あたしは――、どうしたらいいの!? はな姉様――っ!

 迷える手紙を通していくうち、ユカリコ姫の心に次第に広がってきた一つの答えはこうだった。

 ――絶対的な答えなんて持ってはならない。

 愛妹として抱きしめられれば、大喜びでその愛情を一身に受けて、傷の痛みを訴えられれば、共に涙を流して治療法を考える。一国の姫として何かを得れば、惜しみなく姉に半分を譲り、理不尽な怒りを向けられた時はためらうことなく否定する。

 ――時に鈍感に、時に敏感に。

 ――時に自然に、時に計画的に。

 ユカリコ姫から知らされる、囚われの姫の傷んでいく姿。見続けることが義務であるかのように、経過を気にしていたハル王子が彼女の強さに気づいたのは、毎日のように届いていたユカリコ姫への手紙が、ぱたりと止んでからだった。代わりに送られてきたのは成績表。どの科目も、人並み外れて突き抜けていた。これだけを見たら、よほどの天才か、もしくは人としてどこか壊れているように映らなくもないだろう。そしてはんなこ姫は最年少・歴代首席で試験を通過した。

 だがハル王子は、その狂気の中に、彼女の人間らしさを見た。彼女の持ちえる、怒り、悲しみ、嘆き――ありとあらゆる感情をぶつけた跡のように見えたのだ。王家への憧憬、理不尽さまでもを力に変えて。

「ユリちゃん……今日は、お願いに来たんだ。……協力してはくれないか」

 そう言ってハル王子がユカリコ姫の部屋の扉をたたいたのはまたすぐだった。

 王家に、家族に近づきたい一心であれだけの成果をたたき出した末に、平メイドとして城の中で過ごす。僕はすごいと思う。でも彼女は満足するのか? もしかしたら、自分の境遇を呪いながら、今度こそ本当に壊れてしまうのではないか。彼女ならそうなりかねない。考えると、胸が切なくなった。苦しいときには、自分が支えてあげられたら――いや、この時点で、もうハル王子ははんなこに特別な感情を抱いていたのかもしれない。はんなこ姫が城に来る。城。僕の会いに行ける範囲に! それだけでもう、理屈などなく彼女の近くに行きたかった。会いたかった。

「本当は、求めるまま、わがままに君を抱きしめたかった」

 でも、もし王子という身分が君をまた傷つけるのなら。姫として扱われるのが夢なら、僕はそれを叶えよう。ひと時でも劣等感を忘れられる時間を提供しよう。仮初の間でもいい、僕は君を支え、癒す存在でいよう。

 ハル王子は、はんなこを支える人であろうと決めた。自分にしかできないやり方で。

 本当は、その痛みを取り除いてあげられるのは自分だけだったのかもしれない。

 今の身分など気にするな、ユカリコ姫と比べるなと言うべきだったのかもしれない。

 だが、言えなかった。

 彼女の傷は、どれほど深いかわからない。今にも傷つけて、儚く散らしてしまいそうな、薄い氷の上に立っているような恐怖。

 君が荒療治に耐えられなかったら? 僕の元から離れていってしまったら……? 言いたくないのなら、言わなくてもいい。僕は君に近づきたいけれど、君を大切に思うから、せめてそばにいて支えていたい。君を愛しているから、失うのが怖い。

 はかない夢の中で踊る君は可愛くて、劣等感の泥沼の中でもがく君は綺麗で、負の感情の全てを力に変える君は素敵だ。

 僕は、何度でも君を呼ぶ。

「僕は君が好きだよはなちゃん」

 何も聞かないで、知らんぷりして、君の求める喜劇を演じ続ける。

 ありったけの思いを込めた王子からの告白。知ることのなかった過去と、紛れもない現在の言葉が結びつき、今、未来へと橋がかけられる。伸ばされた手を、それでもまだ、番子は取ることができない。確認するように、おずおずと口を開いた。

「……わたしは、小さいころに父様や母様と一緒にいられなかったのが嫌で、それで無理してメイドになってまでここまで来たの。だけど、もうこれ以上どうすることもできないってわかっているのに、満足しなきゃいけないと思えば思うほど、やっぱり、姫だったころの自分に、未練たらたらで。姫じゃない今の自分が、すごく嫌で。こんな自分、認めたくなんてない。やめて、って、あなたの前で、現実から逃げていたの。あなたに会うたびに、また王家に戻れるような気がして。でも、王家のあなたに会うたびに、辛かった」

 ハルはとっくにそんなことお見通しなのだろう。責める言葉を並べる代わりに、こう聞いてきた。

「君は、自分のことが嫌いなのか?」

「そう……だと思う。だって」

 好きになれるわけないじゃない。

 親から引き離されたのを心に根に持って、無理を押してまだ追いかけている。雑巾を手に窓ガラス越しに見るお二人の姿はあんなに遠くて、妹はあんなに近くにいるのに、自分はなにをしても届かない。

「こんな自分、みじめでしょ」

 番子がそう言うと、王子は首を横に振った。

「僕は好きだ」

 まるで叱るような口調だった。乱暴に肩をつかまれた。怒っているようだった。

「君は自分の価値をわかっていない。君は魅力的だ」

 違う――焦っているのかもしれない。

「傷つきやすい弱い君も、傷を乗り越えるたびに強くなる君も、尊重しているし尊敬している」

 それでもうつむき続ける番子に、ハル王子は、いてもたってもいられなくなったように番子の手を取り、

「お願いだ」

 深く従者の様に跪いた。

「僕が君を評価する。だからこれからは、どんなはなちゃんも僕に見せてほしい。君の傷に触れることを、僕にどうか許してほしい。どうか、これからも会って、僕に君を支えさせてほしい。僕のことは、愛してくれなくたって構わないから――」

「ハルくん……そんな」

 彼の体が、小さく震えている。番子は気がついた。怖がっているのだ。ここで私が逃げ出すことを。

「……ずっと、見ててくれたんだね……?」

 それでも。

「そうだ」

 私が一歩を踏み出すと決めたから、

「私が、やってきたことも……」

 一緒に、一歩を踏み出そうとしてくれている。

 この人は、本気で私のことを好きになって、本気で私のことを見続けてきてくれた。

「本当の姿も……ぜんぶ、知ってたんだね……」

「そうだ」

 貴族だから、とか、メイドだから、とか、そんな見栄や打算を超越した――

「それで私のことを、好きになってくれたんだね」

 ――ただ純粋な恋心で。

「そうだ」

 王子にこんな恰好までされて、ようやく気付くだなんて、愚かにもほどがある。

「僕にとっては、君がどんな格好をしていようと、何より大事なお姫様だよ」

 顔を上げて、讃えるようににっこりほほえむ彼の頬に、一筋の涙が流れた。

 番子はようやく後悔したのだった。これまで自分が自分なりに必死に生きてきたことを隠していたこと、そしてその頑張りを知っていてくれて、その上で、それを隠してしまう私の弱さまで含めて尊重し、辛抱強く愛してくれていた、隣の国に住む一人の少年・ハルに、気が付こうとしなかったことを。

「ハルくん、ハルくん――ごめんなさい――っ。私、私……」

 番子は跪くハル王子に顔を寄せた。ハルが対等に向き合ってくれていたことへの感謝と、そして自分はそんなハルに見向きもしなかったことを謝罪する気持とちと、そして、愛情いっぱいの想いを込めて、

「――っ」

 口づけした。今はまだ、頬だけに。それでもハル王子は、番子がキスした場所にそっと自分の両手を重ね合わせ、しばらくそのままでいた。

「ふふっ。こんなハルくん初めてだ」

「むう……」

 さっきまでの熱い愛の告白が嘘のように、赤く染まった頬を膨らませ黙り込むハル。照れているようだ。

「……仕方がないだろう。そもそもね、メイドなんてかわいいじゃないか。それに、ちょっとそそる……」

 王子は、番子を抱きかかえたまま、ぴっと、エプロンのフリルを引っ張って見せる。

「な、なっ……」

 番子がびっくりしてハル王子の顔を見ると、彼の顔はもう涼しげで、いつの間にか涙も乾いていた。濡れた頬は冷たかったし、見間違えではなかったはずだが……。番子がそれに気を取られているうちに、背で結んであったリボンを、するするとほどかれてしまう。

「あっ、ちょっと……」

「はあ~いつも完璧に美しく飾り立てた君しか見たことがなかったんだ。とても、新鮮だよ……」

 奪い取ったエプロンを、裏返したり逆さにしたりして、ためつすがめつ眺めている。

「君に茶でも淹れてもらおうかな」

 そう言ってわざと偉ぶったような顔をする王子に、

「か、からかうと怒るよ……。気にしてるんだからね」

「ごめんごめん。冗談」

 番子は弱々しくにらんだ。形勢逆転が早すぎる。もう、やっぱり身分の違いなんて嫌だ、とちょっとへこんでしまう。

「でも、まあ……君にそそられるな、というのも無理な話だよ」

 王子はそう言って謝る代わりに、ふわっとエプロンをかけて、後ろを結んでくれる。頬を膨らませたままの番子に、王子はふうむと次の玉を用意する。

「君のお手製パンはおいしいらしいし。……僕はまだ食べさせてもらったことないけど」

 思わぬ要望に、きょとんとする番子。

「ええっ、いや、だって、所詮わたしの作るパンなんて宮廷料理に比べたら……」

 というか、そんなことまで知ってるんだ……と、番子がつぶやくと、王子は攻め入るようにつーっと頬を撫でた。

「君のことなら、なんだって知ってるさ。ねえところで、ソラトくんって君のことどう思っているのかな」

 朗らかに質問しながらも、王子の目は笑っていない。

「あ、ちがうのっ……ソ、ソラトはただの幼なじみだよ……っ? 誤解しちゃいやだよ、ハルくん……っ?」

 番子は慌ててぺこぺことお伺いを立てながら、必死に否定した。縋るように身を寄せる番子に王子は満足げに頭を撫でた。


 その二人のはるか後方。

「平メイド――しかもあの8075番って――」

「マジで……マジで番子なの……?」

「だって、紺色メイド服で、あの髪……それに、ソラト様の名前まで出てるし……」

「けどっ、なんかの……なんかの間違いよ……っ!」

「しっ! ミイ、声が大きい!」

 身を寄せ合う番子とハル王子のやりとりを最初から最後まで柱の影からこっそり見ていたミイたち上役メイド偵察部隊。しかし、……あまりの事態にうまく呑み込めず、とうとうしまいまで彼らの前に姿を現すことはできなかった。

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