高校生活はまだまだはじまったばかりだというのに、まさか、ホニャ先輩が……。
人間の順応性とは、これほどのものだったのか━━考えもしなかったことなので、自分自身に驚いている。
そう、ぶっちゃけ、あれほど異質だと考えていた「河童部」の活動にも、慣れはじめていたのだ。
「よかったじゃない、いい部活に入れて」と、幼馴染の百合香は気楽に言うが、果たしていい部活だったかどうかは、今でも疑問がある。慣れてきたという事実とは無関係に。
「でもさ、笑っちゃうよね━━ホニャ子のために入ったのに、ホニャ子ほとんど顔出さないって」
笑っちゃうよねと言った百合香は、実際に笑ってみせたが、それは、ぼくにとっては全然おもしろい話ではない。
本来の目論見が見当外れだったというわけで、一番の目的が果たされていないことを意味しているのだから。
そんな毎日ではあったが、今日も律儀に部活を行い━━本日の活動は、先週から急にはじまった木彫りの河童製作のつづきだったのだが、だいぶ完成が見えてきたところだ。
日比野部長所蔵の妖怪事典を参考に、せっせと作っていたのだが、なんとか形になってきた。無理矢理河童を絡めれば、なんでも活動にしてしまう節操のなさはあったが、それはそれで飽きずに楽しめたので、良い部分もある。
「お前にはピッタリな部活だよ」と、親友の暗黒ダーク黒豆太郎に言われたけれど、どのへんがピッタリなのかは、自分ではわからない。
テニス部の活動を終えた百合香とたまたま一緒になったので、そのまま二人で帰る流れになってしまった。
幼馴染とはいえ、付き合ってもいない女子と二人きりで帰ることには、緊張がともなった。変な噂を立てられなければいいが、たとえ噂になったとしても「幼馴染」という、簡単かつわかりやすい説明ができるので、そこまで気にする必要はないかもしれない。
「しかしホニャ子って、何者なんだろうね。戦争防ぐなんてさ、女子高生にできるかって話じゃない。まあ、あの子の能力はしってるけどさ、だからってそんな、世界の命運を左右できるなんて、あり得ないってゆーか」
百合香の言うことも、もっともだ。ホニャ先輩なら、なんでもアリとは思っていても、実際にその活動や実績を目の当たりにすると、すごすぎてよくわからなくなる。どれほど信じていてすらも、本当に実在するのかと再三疑ってしまうような、そんなレベルである。
そんなホニャ先輩は、各国が隠し持った危険な対外兵器や地震発生装置、その他の人命に関わり平和を脅かすような物をことごとく使用不可能にして、それゆえに様々な暗殺者や裏の世界の住人から命を狙われているとも聞くが、誰にも彼女は殺せない━━らしい。
ネット上の噂に過ぎないものの、路上で狙撃されたホニャ先輩だったが、その身体に触れる直前で弾丸が消滅した、なんて話もある。いったい誰がそれを確認したんだよ、という話だが。
なんにしても、実際に、ホニャ先輩はまだ生きているし、そのような活動をつづけている。
世界大戦を未然に防いでからは、あまり目立った話は聞かないが、今もどこかの国で、なにかすごいことをやっているのだろうなと想像する。
想像していたら、なんと、そのご本人が目の前に現れたではないか!
国内にいるとさえ思っていなかった人が目の前にいて、しかもこちらへ向かって歩いてくる。間違いなくぼくたちを目指してやってくるその姿はやはりどこか神々しく、微笑む顔は女神そのもので、輝くオーラが見えるような気にすらなってしまう。
夢原ホニャ子先輩が、すぐ近くにいた。
「おひさしぶりですね、剣崎百合香ちゃん。館山宙太郎くん」
姿かたちと同様の美しい声は、すべての汚れた心を浄化する。
溜まっていたストレスや負の感情が消えゆくのを、ぼくは感じていた。
「ホニャ子ぉ、ひっさしぶりー。元気だった?
まあ、元気なのは知ってたけど」
「ええ、おかげさまでこの通り、なにごともなく帰って来ることができました」
「最近は、なにやってたの?」
百合香、ホニャ先輩、ぼくと並んで歩きだす。
「一番最近のものは━━所得や身寄りのないお年寄りが快適に暮らせる空間を、各国の地下に建設していたのですが、それがだいたい完成しました。シルバーランド、と名付けたのですが、ご好評をいただいています」
そんな計画や施設が存在することも、ぼくは知らなかったのだが、やはりホニャ先輩の行動力というか、能力は人間離れし過ぎている。
「へえー、なんかわかんないけど、すごいモン作ったのね」
想像も及ばないことを想像しようとしたような━━百合香はよくわかっていない顔で、それでもわかったように頷いた。
「ところでさ」と、つづける。「今度の夏祭りなんだけど、よかったらホニャ子もどうかなって━━宙太郎と二人ってのも、なんかキモいから」
おのれ百合香、ホニャ先輩の前でそんなことを━━とは思ったが、期せずして訪れたチャンスに、胸が高鳴った。そんな予定は聞かされていなかったし、なんなら暗黒ダーク黒豆太郎とでも行くことになるだろうと思っていただけに、期待せずにはいられない展開となった。
「ええ、喜んで。ご一緒します」
その言葉は、一瞬だけぼくの右耳から入って左耳から出ていきそうになったけど、すんでのところで引き戻した。
嘘なんじゃないかと思うほど、あまりにも期待通りすぎてこわくなる。けれど、ホニャ先輩が嘘をつかないことは、わかっている。
内心の歓喜と動揺を悟られないようにしながらも、がんばって声をだした。
百合香がニヤついてるけど、それは見ない。
「ほ、ほんとですかホニャ先輩?」
「ええ、本当です」
「忙しくないの、ホニャ子?」
「忙しいのは終わりました━━わたしができる限りのこと、やってもいい、やるべきと感じたことについては、一通りできましたので」
まるで人生を全うしたかのようなホニャ先輩の言葉には、どこか違和感があった。
「それって、どうゆうこと?」
「わたしにしかできない部分は、すべて行いました。あとは、他のかたによって完成したり整備されたりするでしょう。それに至る道筋や土台を作り上げた、ということです」
「ほ、ほぉ……なんかすごいね。よくわかんないけど」
「技術もお伝えしましたし、道具も用意いたしました━━あとは、成すべき人が成すでしょう」
なんだろう━━本当にホニャ先輩って神様とか、そんなやつじゃないのだろうか。
話していることや、やっていることが、まさにそうとしか思えない。
「ですから、わたしの役目は終わりました。あとは、最後の仕事を残すのみです」
告げられた言葉に、ぼくは混乱する。
役目が終わった?
最後の仕事?
いったい、ホニャ先輩は、なんの話をしているのだ。
「なに言ってるの、ホニャ子。ちょっとよくわかんないんだけど」
「よかったら、あちらの喫茶店で、少しお話をしませんか?」
いつもは通りすぎるだけのその店は、路地裏にひっそりと隠れているような、存在感のない店だった。言われてはじめて、そういえばそんな店もあったか、と思い出したほどだ。
☆★☆★☆
店主だという男性が運んできた飲み物が、テーブルに並ぶ。
ぼくはコーヒー、百合香がカフェオレ、そしてホニャ先輩はなぜか小さな薬ルートだった。
誰でも知ってる、メジャーな乳酸菌飲料である。
「え、ホニャ先輩、薬ルートなんですか?」
「ええ。わたしがこれを飲めるというところを、お見せしたくて」
そう言ったホニャ先輩だが、まあ、世の中には飲めない人もいるだろうが、ほとんどの人はだいたい飲めると思うんですけど……。
その真意はまったくわからなかったが、ホニャ先輩は実際にそれを飲んでみせた。
普通の光景である。
「では━━」と前置きして、先輩が語りはじめた。
「わたしは元々、あなたたちと同じ人間ではありません」
「ぶふぅっ!」
「どぼうっ!」
百合香の吹いたカフェオレがぼくの顔に、ぼくが吹き出したコーヒーはテーブルへと、それぞれを汚した。
それって、マジな話をしているのか?
ホニャ先輩がけして嘘をつかないという事実をわかってはいても、疑うべき言葉だった。いや、でも先輩の能力を考えれば、確かに同じ人間ではないと、言えなくもない。つまり、そういう意味の言葉なのか。
けれど、その予想は間違っていた。
すぐにわかった。
「わたしは━━この世界の言葉に直すと『ニョンニュピョニャピロミャンプリチョンピッピョニュニャン』という星を故郷に持つ、いわゆる異星人なのです」
「ピロニャン……なんだって?」と、百合香。
ぼくも覚えきれなかった。ピョロピョロニャンニャンみたいな印象だけが、なんとなく残っている。
「ホニャ子、大丈夫? あんまり忙しすぎて、頭がちょっと疲れちゃったんじゃないの?」
心配そうに百合香は手を伸ばしたが、「いいえ」と言って、ホニャ先輩は首を振った。
「信じてはもらえないかもしれませんが、事実なのです。わたしはこの星を救うためにやってきた、異星人です。話せば長くなりますが、簡単に言えば、わたしの祖先が、この星の誕生に関わっています。だからこそ、この星のみなさんにとってより良い世界にするために、そしてなにより破滅の時を回避するために、わたしは使命を与えられ、やってきました」
ああ、話が━━唐突すぎて、ついていけない。
ホニャ先輩が異星人?
まあ、確かに名前は変だけど。見た目があまりに美しすぎるけれど━━それでも、どう見たって人間にしか見えないのに。
それとも、異星人だろうがなんだろうが「人」のカタチは変わらないということなのか。
いやいや、それでもぼくは信じられない。
いくらホニャ先輩の言葉でも、こんなこと……。
「あらゆる構造を改革し、技術を伝え、未来への種を蒔きました。あとは、この星の人々に委ねられます。そして、破滅の時を回避する準備も、整いました━━二つのうちの、一つですが」
ホニャ先輩が語ったことによると、この世界にはほぼ同時期に、二つの「破滅」が訪れるのだという。
そのうちの一つはホニャ先輩が準備を整えたことで、人の手によりどうにかできるものであるのだが、もう一つのほうは、人の手ではどうにもならないことらしい。
「ですので、そちらのほうはわたしがなんとかいたします。そしてその時こそが、わたしにとっての刻限でもあるのです」
美しい顔のまま、いつもの笑みを浮かべたままで、ホニャ先輩は語りつづけた。
「刻限までに、できる限りのことをして、その時がきたら、わたしに迎えがやってくる。はじめから、決められていたことでした」
「そんな……それじゃあ、ホニャ子は……」
「わたしは『もう一つの破滅』を回避するために、宇宙へ出ます。そしてそのまま、故郷へ帰ることになるでしょう。もちろん、この世界の脅威を無くしたあとになりますが」
「ああ、そんな……」
「ですので、お別れすることになります━━剣崎百合香ちゃん、館山宙太郎くん。とても仲良くしていただいたお二人にだけは、話しておこうと思って、今日は会いにきたのです」
ぼくはなにも言えなかった。
言葉が、出てこなかった。
こんなことって……本当に、こんなことが現実にあるものなのか。
まだ告白だってしていないのに━━それなのに、お別れだなんて!