誰も信じてはくれないが、ぼくは確かにそれを見た
横一列に並ばされた部員たちの前に日比野部長が立って、はじまりの挨拶をする。
「諸君、本日我々はこの辺根地亜川において、本物の河童を捕獲することになる。捕獲対象は昔から断続的に目撃例のある体長一メートルほどの個体だ。いつ何時、どこから現れるかわからないが、見つけ次第わたしか茂男さんに報告するように━━ケイジもだ。お前の力はわかっているが、それでも過信は禁物だ━━いいか、必ずだぞ。貴様らのような素人が簡単に捕まえられる存在ではないのだからな」
話の途中で、おもむろになにかを取り出した日比野部長が、それをよく見えるように突き出す。
「この通り、わたしは河童を捕獲するための免許も取得している! まあ、これはとある場所で誰でも貰えるものではあるが━━」
なら、見せるなよ! と思う。ほんとにそんな資格があるのかと勘違いするところだった。
「とにかく、今回の目的は河童を捕獲するということになる。だが釣りの道具や川遊びの小道具を茂男さんが用意してくれたので、それらのアクティビティも楽しんでくれて結構だが、あくまでも本来の目的を優先するように。それと、泊まりがけの用意もしてくださったので、明日帰ることにしよう!」
と、このタイミングで泊まりがけの決定が下された。てっきり日帰りのつもりだったので、泊まりの用意はしていないし、そのように言われていたはずなのだが━━無茶苦茶だ!
そのようにして一通り部長の説明を聞いてから、ぼくたちの「河童探し」がはじまった。
なにか専用の道具でもあるのかと思えば、渡されたのは魚を取るための捕獲網で、やはりこの程度かと思わざるを得ない。
日比野部長自身も、いまいちよくわかっていないのだろう━━多分、歴史上、捕獲した人間なんていないだろうから、当たり前のことではあるが。
「宙太郎、深みに引きずり込まれる危険性もあるからな、注意を怠るなよ。それとお前は、浅瀬のほうを担当したほうがよさそうだな。向こうが、川遊びにも適した場所だから、お前はそちらを担当するといい」
ってことだったので、ぼくはそれに従う。部長は「わたしは仮にも代表だからな、最も危険な場所で待つ」と、ぼくとは反対方向に向かって行った。どうやら、そっちが深くなっている場所らしい。水の流れも急で、確かに一見して危なそうではあった。
場所を決めると、とりあえずそこにしゃがんでみる。
……しかし、やることがない。
網を持ってはいるけれど、それで魚を取るわけではない。
以上の理由から、やることがない。
……まあ、いるわけないよな。普通に考えて。
いくら待ったって、現れるわけがない。そして、たとえ現れたとしても、捕まえられるのかは大いに疑問である。
これを、高校生が大真面目でやることに、いったいどれほどの意味があるのだろう。つい、そう考えてしまう。大真面目にやっている部長には申し訳ないけど。
そんな部長は急流付近で網を持ったまま仁王立ちしている。いつでも来るがいい、とでも思っていそうな雰囲気だし、きっと実際に思っているのだろう。
その手前では、衣楚子さんが積み上げた石ころを円形に並べて、なにかを作っている。
賽の河原かよ。
「お前、なにやってんだ?」
高橋刑事先輩が、そんな衣楚子さんに声をかけると、衣楚子さんは「なんか、こういうのがあれば、誘き寄せられるかなって思って……」と、弱々しく答えていた。
「バカかお前、そんな意味わかんねーもんよりキュウリだろ、キュウリ。河童と言えばよぉ」
そう言って手に提げていた重そうなビニール袋からキュウリを取り出した先輩は、衣楚子さんに一本と言わず五本くらい渡していた。
そのまま部長の方へ向かい、同じように配る。見ていたら、こちらに向かって来たので、ぼくにもくれるようだ。
「ほらよ、新入り。河童と言えばキュウリだからな。こいつがあるとないとじゃ、大違いだろ? それとコレ━━味噌と、塩もあるから好きなほうを付けて食えよ」
って、自分で食べるのかよ。
あ、でもいっぱいもらったから、自分で食べる分も含まれてるってことか。あくまでも河童を捕まえるのが目的だからな。
「あとは━━山田はどこ行った?」
訊かれたわけでもないだろうが、ぼくも気になって辺りを見回してみたら、草が生い茂る場所にしゃがんで、なにかしていた。
「なにやってんだ、アイツ。虫でも潰してんじゃねーだろな」
そう予想して向かった高橋先輩であるが、結果としては、まさにその通りであったと、あとから聞いた。
本当に本当に、山田だけはどうしようもなく尊敬できないので、悪いが先輩とは呼べない。
虫の命をなんとも思わないやつなんて、虫以下の魂しか持ち合わせてはいないのだろうと思う。人間のそれとは比べられないかもしれないけれど、虫にだって魂はあるのだ。それをないがしろにしていいはずはない。
午前中はそんな感じでなにもなく、昼食を挟んで午後になってもなにもなく、あっという間に夜になったが、やはりなにもなさそうだった。
途中、日比野部長が衣楚子さんと一緒に川遊びをしていたのが意外だったが、逆にそうすることで誘き出そうという計算があったのかもしれない。これは、確認していないから真相はわからないが。
夜になると、茂男さんが用意したオイルランプと小さな焚き火の灯りの中で、夕食を囲んだ。昼は楽しいバーベキューで、夜はおいしいカレーライスだった。どちらも凝った材料と調理で、屋外で作ったものとは信じられないほど美味しいものであった。茂男さんは料理人の経験でもあるのか、それとも現役でそういう仕事をしているのかはわからないが、腕は確かだ。
食後、部長の提案で花火をすることになった。そもそも、茂男さんに頼んで、準備をしてもらっていたからこその提案だったが。
主に手持ちの小さいやつではあるが、久しぶりの花火もなかなかに悪くない。
それでも、そこから連想される夏祭りと、そこで打ち上げられる花火とを考えれば、比べるべくもないが。
ホニャ先輩と行けないかなぁ、なんて妄想をする。可能性は低いとはいえ、接点がないわけではないのだから、まったく無理な話でもないはずだ━━けど、現状、ホニャ先輩の忙しさを見ると、そんな暇はないだろうなと思えてくる。
百合香にでも、言うだけ言ってみようか。ダメもとだけど、もしかしたら、ということもあるかもしれないのだから。
そんなことを考えながら、線香花火をしていたら、川の近くにいた衣楚子さんから声が上がった。
「あのっ、部長ぉ!」
日比野部長を呼ぶ声に、部長が「どうした衣楚子、エロ本でも見つけたか?」と返した。
「ち、違います……エロ……本じゃなく、なにかの、足跡が、あるんです」
それを聞いた部長が、すぐさまそちらへ向かう。ぼくと高橋先輩も、それにつづいた。
山田萎靡奇は興味がないのか、なんの反応も示さない━━と思ったら、光に集まってきた小さな羽虫をそのまま花火の炎で焼いていた。
地獄へ落ちるがいい!
「これです、この……これって、多分、足跡だと」
彼女が示す場所には、確かに、なにかの足跡があった。
靴跡ではなく、また、人間の足ではない。しかしなにか他の動物のものというわけでもなさそうで、より、人間に近く、小ぶりな細い足跡。
「これは! いや、待てよ━━」
よく観察する部長。
「人間のものでは、ないな」
しゃがんで目を凝らす部長は、川を背にしている。その背後に忍び寄る、黒い影。
日比野部長の真後ろに、ぬらぬらとわずかな光を反射する濡れた身体で、尖ったくちばしのようなものが目立つ顔の「なにか」が立って、じっとこちらを見ている。
その眼光は鋭く、確かな知性を感じさせた。
━━が、誰も気づいていない!
「ぶ、ぶぶぶぶっぶぶぅ」
部長、と呼びたかっただけなのに、ぼくの口からはアホみたいな音が漏れただけだった。
「はぁ? アホなの?」と、こっちを向いた部長に言われてしまう。見てほしいのは自分ではなくて背後なのだが、こちらに意識を向けてどーするんだ、と自分でも思う。
「ぶぶっぶ、ぶちょおおおう……うしょ、うしょろろろん」いつの間にか震えていた指で、ぼくは部長の背後を示して、なんとか言い切った。
「え、うしろがどうしたって?」
と、日比野部長が振り向いたその時には、すでに先ほどの生物は跡形もなく消えていた。
微かに水面が揺れている気もするが、変化といえばそれくらいで、何者かがそこにいた形跡は残されていなかった。
「なにもいないじゃないか、幽霊でも見たか」
衣楚子さんや高橋先輩もぼくの顔を見て、驚かせるなよという表情をする。
いや、ぼくは見たんだ!
確かに、なにか、「河童」みたいなヤツを!
その確信があったので、その後一生懸命説明したのだが、高橋先輩に「オレが気づいてねぇのに、お前が気づくわけねーだろが」とか、部長には「ビビりすぎると、ありもしないものが見えるぞ」なんて言われたが、見たものは見たんだし、絶対なにかがいたんだよ!
そう、しつこく訴えると「ちょっと待ってろ、テントから妖怪レーダーを取って来るから」と言った部長が走って行き、戻ってくるとそのレーダーとやらを動かした。
が、なんの反応も示さないし、なんで肝心な時に持ってなかったんだよと思う。
「やはり、なんの反応もないぞ。宙太郎、お前は疲れているんだ、早く休め」
なんて部長は言うが、そりゃあ、いなくなったあとで反応もなにもないだろう。どうしてテントに置いてたんだよ。っていうかその妖怪レーダーってなんなの?
「宙太郎のことはさておき、これはもしかすると河童の足跡かもしれないぞ━━よし、写真を撮っておこう。貴重な資料になる、全員しっかり撮影しておけよ」
指示を出しながら、あらゆる角度から撮影していく。
「河童が近くにいるのかもしれない、みんなで探すぞ。見つけたらすぐに教えろ」
立ち上がり、走って行く。
━━いや、だからいたんだってば。
そして、見つけたからすぐに教えたんだってば。と、心の中で繰り返す。
そうしているうちに、だんだん、自分の見たものは本当だったのか? 部長が言うように、怖れる心が見せた幻だったのではないかと思いはじめるけれど、自分さえ信じなかったら、本当になかったことになってしまうし、やはり、なにかを見たという自信は揺らがない。
なぜかぼくだけが━━多分、河童だったのではないかと思われる存在を目撃したのだが、誰にも信じてもらえなかった。
こうして、キャンプのようなイベントは過ぎていき、夏祭りが近づいてくる。