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恋、  作者: 常二遊々
3/3

おわりました。

 須依がこの世界に呼ばれる最大の原因。それは五年前の神隠し事件を再調査した事だろう。

 首都に程近い町で連続して起きた勾引かどわかしと無関係である可能性が高いと思われる事件。しかし、何の確認もしない訳にもいかず須依に御鉢が回ってきたのだ。

 課内において中堅と言える経験年数を重ねているが年齢だけ見ればまだ若手の部類に入り、単独でも使いやすい駒だと彼女にも自覚はあった。

 上司命令とあらばと現地に資料携え足を運んだが、以前の事件の影響から人の訪れが減った湖は静かなばかり。都からも町からも少々遠い、その湖近隣の村々についても旅人に扮して回ってみたが、長閑そのもの。

 それでも五日、湖の周囲を含め様子を伺ったが収穫はやはりない。

 最後見切りをつけ昼下がりの湖から踵を返せすと、突如、足元が水場に変わり異界へ引き摺りこまれて、一介の公僕が唯一の聖女と早変わり。

 異界であるここでは、魔王が生まれる度に聖女を必要とすることを世間にも広く認知されていて、吟遊詩人であれば幾つもの時代の英雄譚を諳んじる事が出来て当たり前、多くの国の子守唄にもそれらしい曲が伝わっていた。

 反面、異界から呼ばれる聖女の生い立ち、その世界へ触れるものに世間で出会う事はない。

 今より三百年程前に現れた聖女リョシカの記述を見つけたのは須依が旅を始めて五つめの国。王都が天花そらはなの都と異名を持つその国に呼ばれた聖女リョシカ。地下の禁書室に眠る、彼女の偉大な功績で埋め尽くされた書物を詰め込む棚の中から見つけ出したのは並べられた他と見劣りしないよう豪華な装丁、けれど中身は安価な紙を使って黄ばんだ薄い手記だった。

 リョシカが身につけていた風習についての僅かな記述が素っ気なく走り書きのように載せられていた他に、明らかに筆跡が異なるたどたどしい署名。この世界にある文字と、見慣れた文字の並列。






 三百年前、聖女は幸せだったのだろうか。

「…………」

 荒い風を耳にして意識が浮かぶ。咳き込み、音は自身の呼吸だと気付いた。熱く痺れて痛む手足で身を起して、振り向いた。暗い闇に、氷が玲瓏と存在を主張していた。蔦の様に這う黒い紋様が仄かに明りを帯びる為にこの廊下で最も強い光源となっている。

 気を失っていたようだが長い時間ではないらしいと、須依の顔は自然と力なく笑っていた。

 扉を前にして、様々な覚悟を決めていた。戦う者として、異世界人としても。どんな形にせよ、誰ともわからないにせよ、魔王討伐による何かしらの別れは予想していた。

「全く、何、浮かれてたんだか……」

 胸に巣くっていた感情の末路に一度目を閉じた。一息も吐かず前を見据え、蹌踉めく足に壁を支えとして立ち上がった。

 後ろを襲われては敵わないとここに来るまでの道ではどんな魔族も見逃さず止めを刺してきたので、少しばかりの警戒を心の隅に置きながらも、躊躇わず進む事ができる。

 壁を伝うとは逆の、だらりと伸ばした手には勇者の為の剣が時折床を引っ掻いては音を立てる。

 初代勇者であるザイアトと共に歴史に現れ、世界を救い続けた剣。 

 聖女を殺し続けた剣だ。聖女にとってそんな物騒なもの、捨てるに捨てられない。

 これからを考えて、須依はうんざりした。

 王子一行は恐らく生き残るだろう。全員か一部かはまだ予測がつかない状況だったが、魔王達は既に撤退の動きを見せていた。魔王もきっと生き残る。見れば瀕死の様子だったが、聖女を殺したこの剣でないと死なないらしいのだ。そのうち回復するに違いない。 

 世界は聖女の死と救世の剣を求める。その目的は異なるが、須依にとっては同じだ。

 王子の話からしてあるべき世界に戻れた聖女はいない。皆が皆、この世界にいる彼女一人を血眼になって探す。

 こんな春、嬉しくない。疲れた頭で須依はぼやいた。

 旅の道中、少なくない人々と交流を深めた。しかし、それも世の為の聖女としてだ。世界救済の裏事情を知って手を差し伸べてくれるとは到底思い難い。これからの目的を知れば尚更だろう。

 王子一行には十八だと鯖をよんでいたが、実は二十三の須依。この世界で二年という時を過ごしているが、それを外しても職業婦人五年目である。女性には珍しい国勤めの輪をかけて珍しい部署に配属されたが、須依はそれを誇りにしている。

 だから、聖女の価値を伝えたられて直ぐ須依は正気を取り戻せた。

 川霧かわぎり淑香よしか

 紙面だけでしか知らない彼女。須依が持ち出した未解決事件資料に記載された、齢十六の少女の名前である。

 魔王は繰り返し生まれる。聖女は繰り返し求められる。

 そして、死ぬ。この世界で魔を除く者達が平和を享受しているのが、その証。 

 死んだ魔の腐臭が漂う広間に漸く辿り着く。

 城を出るまで未だ道半ば。血溜まりを歯を食いしばり踏み越えて、続く通路へと崩れるように座り込む。肩で呼吸をしながら、髪が張り付くのにも構わず頤を上げた。擦れた声は誰に聞かせるものでもなく、ただ通ったばかりの通路を白光の紋様で編んだ鎖で縦横幾重にも塞いだ。

「……私が最後の聖女にならなければならない」

 聖女は何も須依の世界からだけ選ばれている訳ではない。けれど再び須依の国、須依の世界から選ばれるかもしれない。いつかの先を脅かす憂いを故国帝の民を守る黒蓮こくれんを背負う末席として見逃せる筈もなかった。

 最後の聖女になる為には生き延びなければならない。ただ生き延びるだけではなく、聖女を呼ぶ条件を正確に調べる必要がある。聖女を呼ぶ国は一つだけでないので、国を巡らなければならない。

 須依の世界では職務の為の仲間がいた。この世界では使命の為の仲間がいた。これまでにない山積みの問題を前にして、この世界で彼女の世界の職務を共にする者はいない。世界の多数からも、残る少数からも死を望まれるこの現状。

「上等じゃないの」

 不幸にも元の世界に帰る術はなく、また連絡を取る手立てもない。それでもやり遂げるだけだと奮い、荒い息で立ち上がる。暗闇の広がる廊下の先へと目を細めて、彼女は笑う。

「お立ち会いの皆様もご覧じろ、これぞ終いの聖女一人旅ってね」

 世に蔓延る魑魅魍魎摩訶不思議の問題万事解決を謳うあやし課所属の伊木野須依。

 神隠し事件解決の為、この度二年振りの一人旅である。


 




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