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恋、  作者: 常二遊々
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さめました。

 躊躇いなく、それは振り切られた。

 鈍い音の後に続き膝は折られ、倒れこむ。

 衝撃は受けた者だけでなく魔王城の玉座の間にいた者全てを凍り付かせ。

 あの魔王の体勢さえも、床に崩した。





 聖女の、足。

 デュラトイースの股に、無駄も容赦もなく吸い込まれたものである。




 たかが、女の足、ではない。魔王、その臣下達と互角に戦えるよう叡力による術で強化されたそれは屈強な兵士と比べても遜色ない力が宿る。

 男たる者、その痛み、押して図るべし。

 魔物を抑える剣こそ手放さずにいるが、床に身を丸めて身悶えるその姿にノーシェに引き摺られた格好で身を崩したフィロフィランは唖然となり。

「な……っ」

 ふ、と、足元が浮いたかと思えば、投げ飛ばされていた。

「ぐっ……!」

 受け身も取れず体を床に打ち付けるも、すぐさま身を起して収めていた剣を抜く。見れば、ノーシェは手の甲で何度も目元を乱暴に拭っている。

「ノーシェ、貴様……!」

 彼女は手を止めて深呼吸した。

「……ないわー、ないない、いやホントないわー」

 あっけらかんとした物言いで、赤茶の目を吊り上げるフィロフィランを流し見、笑う。

 目元赤くぎこちなくも、晴れやかに。

「行き遅れとさんっざん、言われ続けた私にすわ春がっ、異界で見つけた運命の恋……」

 旅の始まりより伸びた髪を背に揺らし、呻く運命の相手へ足音高く近づく。青黒い床に銀の髪を散らばせて、頬を付けて見上げる彼の目は潤んでいた。投げ出された片手には剣を。もう一方は、急所を。

 聖女の足は再び振られる。

「とぉ」

「ノ、」

「思って、い、た、の、で、す、が?」

 上げるのではなく、下された足は剣の柄を握る手を、言葉と共に執拗に踏み躙る。

「ノー、シェ!止め……っ、魔王がっ」

「それが?」

「がっ……!?」

 長く優美な裾が舞い、跳ねた爪先はデュラトイースの顎を蹴り上げ、支えの足を軸に弧を描き。

 背後から切りかかりを迎え撃つも、歴戦の戦士は捩り躱す。

「貴様っ、正気か!?」

「もちのろんよ!寧ろ正気に戻ったわ!」

 焦りと怒りを綯交ぜに剣を構えたフィロフィラン。対する聖女の、がん、と荒く踵を打ち付けた余韻が消えぬうち、からからんと空しく脈を止めた剣は落ち響く。

「魔王を倒さねばこの世界に未来はないんだぞ!」

「手前で片をつけられない世界など滅びてしまえ!」

「呪わしい言葉を吐くなっ!聖女として異界から招いたというのによくも……!!」

 打ち付けんと迫る剣から横跳びに身を離し、着地するや静まった剣を拾い上げる。殺気立つ姿に剣先を向け、怒鳴り返した。

「聖女なんて止めてやる、あぁ、止めてやるとも!今、この場でね!」

 聖女ノーシェ、否、伊木野いきの須依すえは宣言した。




 この世界の地を巡り空を彷徨ったところで須依を育ててきたものは見つからないと、突然、知らされた。

 二年近く前のことだ。

 前触れなく、同意もなしにこの異界に引き摺りこまれて、「聖女よ、この世界を救いたまえ」などという世迷い言を突き付けられた。

 そんな事をはじめから認め受け入れるような事は、須依に出来なかった。

 けしてここではない世界が、須依の世界だ。遠いのか、それとも近いのかもしれないどこかの世界。

 その世界には、故郷があり、家族があり、友もあり、そして仲間と過ごす仕事中心の生活があった。

 日々、せわしなく、不満も些細なものから深刻なものまで上げれば、数え切れないくらいあった。

 それでも、須依の世界なのだ。世界からすればほんの一欠けらにも満たない須依で、その世界は須依の一部だ。

 例え世界規模で危機に面していたとしても一切繋がりのない須依にとっては与り知らぬ話であり、引き離されていい理由だと微塵も納得できない。

 不審を抱き自分を聖女として呼び込んだ者達の言い分を聞き流し、時に反発をしていたが、共に苦難を背負って山越え谷渡れば情に絆される。

 また、芋の如く扱われていた職場では考えもしなかった、まるで須依が姫君であるかの如く丁重かつ典雅な接し方を他でもない正真正銘の王族の異性に行われて、更に、戦いと時を重ねるにつれて心内にある悩みを明かされ、言葉を交わし、泣きそして笑い。意見が真っ向から対立した時も、認め合い仲を深めていけば、終いには傍に立てる聖女の特権を後ろめたく想いながらも恋慕が芽吹いた。

 告げぬまま育ち、何れくる帰還には切り落とさなければならないのだと切なさを募らせていたところに、激情を押し殺した独白を耳にして期待は高まり。

 他の仲間のお節介を焼かれつつも、つい先日には互いへの愛を口にした。

 それでも疑念から己の諸々偽ってしまい、明かすに明かせず、愛する人にも騙る己が情けなく。

 魔王を倒した暁には、好意を翻されるのを覚悟して告げようと心に決めていた。

 その筈が。愛した相手は誠で以て、応じるべき人間ではなかったという事実に頭の中は真っ白になった。

 ―――――真っ白になり、灰になりかけはしたものの。

 元々、世界救済を目標として旅をしていた訳ではない。魔王を倒せば世界が安定し須依を確実に元の世界へ戻す術が使えると言われたから仕方なく始めて、仲間であった彼らに絆されてからは世界を見る目が変わり、たくさんの種族が生きる世界を救う手助けが出来る事を誇りに思った事も確かにある。

 けれども立ち直って考えてみれば薄情とどれほど罵られようと、須依は今でも聖女ノーシェではなく、伊木野須依であることを迷いなく選べた。

「縁も所縁もない世界の為に死んでたまるかっ」

 今となっては騙っているのは不幸中の幸いだったと苦い気持ちで吐き捨てながら、須依は剣を構える。

 両刃の剣を扱った事は数少なく、正直見様見真似だ。手に馴染まない重さに不安はあるがあちらの切り札とあっては手放せるものではない。

 仰向けに悶えているデュラトイースだが、術の使い手でもある彼が動きこそ精彩を欠いても戦力となるまでは後少し。須依の隙を伺うフィロフィランと共に連携されれば厄介だ。

 頼りになっていた他の元仲間は五人。障害となりそうな者は三人。うち一人はデュラトイースの国の騎士である為、王族を足蹴に、貴族と敵対している須依との距離を既に詰めてきている。他の二人も状況を把握すれば手を出してくるだろう。

 いっそ、デュラトイースを盾にする案は、考えるまでもなく悪手だ。

 どれほど怒りを滴らせても元仲間達の足枷となり、須依の策を狭めるのは最大の脅威――魔王達の存在。

 元々深い傷を負っていたからか、王であるが為にか不明だが、魔王は剣の影響も強く受けたようで倒れ伏せている。いつの間にか寄り添っている小柄な術士が、何事か魔王へ必死に囁いていた。鱗の大男はこちらから目を離さないままに少しずつ魔王に向かっていて、角が生えた二魔の男は漸く身を起こしたところだ。

 攻撃を集中させていた総大将である魔王と癒しの術を使う術士に比べれば、残る三魔の消耗は少ない。デュラトイースか須依、どちらかを討てば魔族全体を立て直す時間を稼げるのだから、二人揃って身動き取り難そうなど絶好の機会となるだろう。

 英雄一行はと言えば、後衛に徹していた須依を除けば満身創痍に近かった。

 須依も大きな傷こそ受けていないが、一行の癒しや守り、強化や弱体化などの補助的な術を放ち続け、この世界でいう叡力が底を突きかけで叶うなら意識を投げているところだ。

 気を抜けば棺桶に押し込まれるのでそんな素振りを見せるつもりはないが、下手に相手へ時間を与えては不利になるばかり。

 この世界で覚えた術の音を小さく口遊む。爪先から仄かな熱が広がっていくのを感じた。

 何も殲滅する必要はないのだ。燻る思いに蓋をすれば、相手にする必要さえない。

「セグルニ、イオフ、リタム!お前達は何故ここまで辿り着けた!己の背負うものを失ってもいいのか!」

「辿り着けた理由に聖女の存在もあると思うけどさぁ!」

 仲間である聖女と彼ら自身の全てとを天秤にかけてしまえば、揺れはどうあれ結果は言葉にするのも虚しいだけだと息を吐き、死角へと身を潜めた騎士の気配に眉を顰めた。

 こんな事なら根限りで身体強化の術を仲間にかけるのではなかったと心内で嘆き、身を屈めて一気に駆け出す。

 先程まで背を預かっていたフィロフィランめがけて剣を薙ぐ。

「どう、あっても役目を果たしてもらうぞ、ノーシェっ」

 受け流し、逆に上段からの剣で抑え込んでから怒気を滾らせた形相で迫る彼を須依は鼻で笑って、口を開こうとしたが顔を強張らせる。

 足元から立ち上る冷気。身の内から響く警鐘はフィロフィランも同じらしい。

 よく似た表情で互いにその場から飛び退るが、剣を受け止めていた須依は一足遅い。

 魔の織り成した黒い紋様が広がった床から細く鋭利な氷柱が無数に咲き乱れ、二人を襲った。

 フィロフィランが炎を纏う剣で捌くのに対して、須依は前もって施していた守護の術が命綱だ。着地し再び駆け出し間にも、無数の鈴が激しく打ち鳴らされるような、守護陣が削られる音が幾度も重なった。

 切羽詰まった実情にそぐわない、優美な一際大きなそれに、守護陣が砕けたと分かる。

 長い裾を邪魔に思いながら、表情こそ違えども皆が皆決意宿した目を向ける、先まで必死に守っていた仲間の下へ。

 顔を強張らせ、杖を掲げる術士うちの一人へ剣を躊躇わず振う。剣を弾くのは聖女が編み上げた守護陣。術士に必要不可欠な時を稼ぐ為の陣は役目を果たした。あと何度かの攻撃にも耐えられるだろう強度に、須依はうんざりするのも、僅かの事。

 朗々と紡がれた一つの声に紋様が織られ、風は須依に牙を剥いた。

 守護陣がない須依は耳と足を頼ったが、横腹の衝撃に躱し損ねたと悟った直後、痛みと勢いに負けて床を転がって――――勢いのまま身を起こす。

「……衣の護りを、見誤ったか」

 ぽつりと落とされた声が誰か聞き誤るような浅い付き合いではない。

 鈍い痛みを後に回して、取り囲もうと蠢く紋様を走り抜ける須依の耳に、最も馴染んだ玲瓏とした声が届く。青い光の檻に囚われないよう、風の塊に抉られないよう、全力を注ぐ須依の視界に、デュラトイースに狙いをつけた角持つ二魔が入る。迎え撃つフィロフィラン。己で編んだ淡く蜜を溶かしたような紋様に照らされたデュラトイースの姿が一瞬の中、鮮明に残った。

 舌打ちする余裕もなく、魔王へと視線を投げれば流れる血の先、大男に肩を借りて奥の扉に向かう姿だ。先導する術士が袖を振りながら叫び織り上げる術が何か確かめるよりも、駆ける先で剣で以て待つ騎士へ意識が逸れる。術から逃げ切れたと思えば、またの剣技に奥歯を噛み締めた。

「っ、魔王、放って、いいのっ?」

「貴方が、剣を返せば済む……!」

 術までの相手、などと甘い相手ではない。剣の打ち合う事が出来るのは須依を殺せない理由を彼が背負っているからだ。何しろ、須依を討たなければならない剣は彼女自身の手にある。

「手放すかっ、てっ」

 金属独特の重い音が鳴る度に、形勢は騎士に傾くばかり。

 既に剣を手放さない事だけに必死になっていた須依には唸りをあげて迫ってきた風がむしろ、救いだった。

 衝撃に冷たい床に転がさられ、打ち身や擦り傷を増やしたところで走れる。殺さなければと、足を裂かれるよりも余程いい。

 そして、風の術に騎士は一度距離を置かざるを得ない。それも、須依とってありがたい。

 痛みに叫ぶ暇があれば、と、全身の重さに意地で抗い、起きる。もう間近な、目指すべき場所への残りを測ろうとして目を見開く。

 決意を胸に潜った最後の扉。頂点が天井にも近い巨大なそれは英雄達が入ってからは大きく開け放たれたまま。

 その真中、宙に、魔の術が。黒い文様が目に飛び込み、須依の意識は一つに集約される。

 ――――走れ。

 剣も、術もその瞬間から脅威から外された。

 抜身の剣もただの荷物だと左腕で抱え込み、追ってくる騎士の動きも気に掛けない。

 投げかけられた叫びは耳をすり抜ける。

 編まれていく術に黒い紋様が刺すような冷気とともに生じさせた氷塊は急速に育ち、無情にも荘厳な装飾が刻まれた扉代わりに道を塞いだ。

 余波で吹き荒れる冷気は聖女の衣の加護に対して薄ら寒い空気のような効果しかないが、守りの術を受けていない騎士にとっては二の足を踏ませる。

 霜の降りた床を須依は一人我武者羅に走り、空いた右腕を大きく撓らせたかと思えば、勢いが殺ぐのも厭わず、先の魔の術士のように前方に幾度も振った。

 術士の守りの術を受けた騎士が後ろから迫ってくる。走るには長い過ぎる裾が足へ絡む。

 苛立ちに大きく息を吸う。

 黒い文様が絡まる氷壁にぶつかるのも目前。

「ウツロハミクチテナクマエミチハテヨ!」

 吐き出したのはこの世界にとって、音の羅列。この世界の者には意味を成さない響き。

 けれども此度の聖女、須依にとって。

 異界での呪禁じゅごんこそが須依の一部。深く刻まれた世界。

 須依を通じ―――――氷壁が三度、四度と不可視の巨人に齧られたように削られ、ぽっかりと暗い先へと結ぶ穴生むという形でそれは顕現した。 

 ごうごうと周りを荒ぶ冷気に耳を閉ざされたまま、黒い筋が再び伸びるよりも早く須依は剣を両腕に抱えて文字通り穴へと頭から滑り込んだ。



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