3日目(1)
俺は亮と共に、腕くらいの太さの木を肩に担いで歩いていた。そこまで重くはないが、長いので周りに気を遣う。そして人の心配をよそに、子供達がちょろちょろと足元を走り回っている。
「下ろすぞ」
「了解!」
亮の掛け声を受け、庭の中央で足を止めた。前方を持っていた亮が屈み、息を合わせて木の一端を下ろす。それを支点にして俺が木を押し上げ、地面と垂直に突き立っている支柱に立てかけた。待ち構えていた大人達がロープで固定し、円錐状にヤグラを組み立てる。
学校が終わった後に俺達が向かったのは、たたら東区の公民館だった。
踏鞴坂市には五つのエリアがある。昨日カラオケに行った、たたら中央区が真ん中に位置し、あとはたたら東区、たたら西区、たたら南区、たたら北区が名前の通り東西南北に位置する。俺達の家は、たたら東区の駅から降りてすぐのところにある。俺と千佳は家が隣同士であり、亮は道路を挟んで反対側にあるアパートに住んでいたので、幼い頃からよく三人で遊んでいた。
倉庫に戻り、次の木を持ち上げて肩に担いだ。俺達は学校指定のジャージを着て、手ぬぐいを頭に巻き、軍手をはめて、作業の優等生みたいな格好をしている。
「痛てっ!」
倉庫から出たところで、誰かに膝の裏を蹴られた。筋肉がないので地味に痛い。振り返ったところ、小学生の男の子と目が合った。近頃珍しい坊主頭をした、いかにもイタズラ好きな子供だ。少年は前歯の抜けた口を大きく開けて笑った。
「コラッ。危ないでしょ、この悪ガキ!」
「わー、逃げろー!」
枝の束を脇に抱えた千佳が、ドタバタと音を立てて追いかけると、男の子は嬉しそうな声を上げて走り去っていった。突然のことで、俺は何も言えずぽかんとしていた。子供は苦手だ。
追いついてどうこうするつもりはなかったようで、千佳は足を止めている。顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
今組み立てているヤグラは、週末に行われる「どんど焼き」という行事のものだ。呼び方は地方によって異なり、どんと祭り、塞の神祭り、関西では左義長と呼ぶこともある。
作ったヤグラの中に、正月飾りやダルマ、書初め、お守りなどを入れて燃やす。マユダマと呼ばれる繭型の餅を、その火で炙って食べることで、その年は風邪をひかないと言われる。まぁ、なんとなくありがたいような、よく分からない行事である。
そんなことになってしまったのは、かつて日本が数え年だったことと関係している。昔はお盆のように、元日に火を灯して歳神を招き、歳の恵をもらって一斉に人々の歳が増えたことを祝っていた。そして十五日の小正月に行われるどんど焼きで、招いていた歳神を火と煙に乗せて送っていた。しかし、一九五〇年に法律が改正されて人々が誕生日に歳を取るようになると、正月は単なる大型連休になり、歳神の実感は薄れ、忘れられてしまった。こうして残ったよく分からない行事が、どんど焼きということになる。
「もう疲れたよ。なんで華の女子高生にこんなことさせるの……」
「それは、うちの親が役員だからだ。終わったら俺の分もお菓子をやるから、手を動かせ」
枝の束を放ってうんこ座りを始めた千佳を、亮がなだめている。手本になるべきお姉さんのみっともない姿を見せられ、一緒に枝を運んでいた子供達が笑っていた。
今日は平日ということもあり、準備の人手が集まらなかったらしい。区の副会長である亮の母親の命令により、息子である亮が駆り出され、亮の嘆願で俺と千佳が駆り出されて今に至る。亮の言っているお菓子とは、区の行事で子供達への謝礼として配られるもののことだろう。高校生がもらっていいのかは分からないが、目の前にぶらつかせるのは千佳に対して効果がありそうだ。
「おやつで釣ろうなんて、あたしのことを見誤っているようだね」
言葉とは裏腹に、こちらを振り返って期待した目で見上げている。足先は亮と俺に向けられており、さらなる一声を待っているのは明白だった。
「俺の分も上乗せしてやろう」
「乗った!」
読みどおり、即答でお菓子に釣られてしまった。千佳のように分かりやすい人間を見誤りようがない。
芋虫がいたとか言って、持ち上げた枝の束を再び落としていた。
大きな木を運び終わり、大人達が藁束を巻きつけて固定している。子供達は枝で地面に落書きをしたり、チャンバラをしたりして思い思いに遊んでいる。
俺は亮と千佳と共に、ジャングルジムに寄り掛かって談笑していた。
「朝、すごい眠そうだったけど、昨日の夜もチェインサーガやってたの?」
「そんなに眠そうだったか?」
会話が途切れたタイミングで、千佳が尋ねてきた。彼女の言うとおり、夜遅くまでチェインサーガをしていたせいで眠かったが、学校では表に出していないつもりだった。彼女の前では嘘笑いもそうだが、表情は隠し切れないらしい。
昨日に引き続き、ガーディアンの討伐を行ったことや、通りすがりのハッカーからバッファオーバーフローという技術を習ったこと、絶対回避に苦戦したものの、サクと一緒に倒したことを話した。
「ま・た・オ・ン・ナ・か!」
亮と千佳の言葉が被った。千佳はケッと唾を吐き捨てようとしていたが、口から何も出ていなかった。
「お前ばっかり美味い思いしやがって。俺もゲーム始めてみようかな」
亮が軽い調子で冗談を口にする。彼の爽やかな容姿と性格は女子ウケがいいので、特別何かをしなくても、もてる。俺からすれば、よっぽど亮の方が美味い思いをしている。
彼の発言で、昨日千佳がカラオケで同じことを言っていたのを思い出した。
「その槍使いと、どこかで会ったような気がしたんだけど、千佳じゃないよな」
アバターのスタイルが千佳に似ていたせいか、彼女の顔の横に槍使いの顔がちらつく。質問をした直後に、千佳が目を見開いて一瞬反応したのを見逃さなかった。
「こいつの口から、IT用語が出てくると思うか?」
彼女が言葉を発する前に、喋らせないようにしているかのように亮が割り込んだ。俺は二人の反応に違和感を覚えていた。
「……あれでしょ、バッハをアフロ?」
「バッファオーバーフローな」
訂正しながら、ははっと乾いた声で笑った。亮の言うことは一理あり、彼女が俺の理解できない専門用語を連発するところを想像できない。
「バッハ大暴露?」
「バッハから離れろ。あと多分お前が言おうとしてるのは、大暴露だから」
手のひらに漢字を書いて教えてみる。やり取りをしているうちに、千佳の顔の横にちらついていた槍使いの顔は四散していた。
「それにしても、また倒せないモンスターだったんだな。復活するスキルの次は、攻撃の当たらないスキルか……」
一転して深刻な顔をした亮が話しかけてきた。
「あぁ。試していないから想像になるけど、黒魔法で攻撃していたとしても、ダメージは与えられなかったんじゃないかと思う。それが通用するなら、他のプレイヤーが倒していたはずだしな」
「考えてみたんだけどさ、素晴とか槍使いみたいなチートを使える人間を、製作陣が炙り出そうとしているなんてことはないよな」
亮は昨日、倒せない敵を作ってプレイヤーの反感を買う目的が分からないと言っていた。その理由を自分なりに考えていたらしい。
倒せない敵を倒すのは、俺のようにゲームのルールから外れたチートを使える人間に他ならない。振り分ける方法としては明確だと思う。しかし、だ。
「なるほど……でも、チートを見つけるのに、新しいイベントを用意して他のプレイヤーまで巻き込むっていうのは妙じゃないか」
「それもそうか」
亮はすんなりと引き下がって黙ってしまった。
否定してみたが、所詮はチートを使える側の人間の言い分だ。今のところ製作陣からの接触はないが、ハッキングはなるべく使わないようにしようと思った。槍使いからも、俺のログの消し方は甘いと怒られている。
「バッハからアフロを取ったら、きっとウチのパパに似ていると思うんだよね」
珍しく静かだと思っていたら、まだバッハのことを考えていたらしい。思い浮かべてみると、確かにダンディーな眉毛と唇の辺りが似ている気がした。くやしいが吹き出して笑ってしまった。
そうこうしている内に、ヤグラは完成していた。亮の母親が公民館の中から、菓子の詰まったダンボールを抱えて出てきた。子供達が歓声を上げて駆け寄る。千佳も歓声を上げて駆け寄る。
俺と亮も遅れて公民館に向かう。軍手を外して背伸びをしたところ、木を担いでいた右腕が重かった。明日は筋肉痛に悩まされそうだ。
「素晴君、お疲れ様。つき合わせちゃって、ごめんなさいね」
亮の母親から差し出された温かい缶コーヒーを受け取った。プルタブを開けながら感謝の言葉を口にした。
「俺達にはアレはないのかよ」
亮の指は、缶ビールを受け取る父兄に向けられている。
「馬鹿言ってんじゃないの」
彼女は息子にも缶コーヒーを渡し、背中を向けて公民館の中に戻っていった。
「フゥ、近頃の子供は年上を敬うということを知らないわね」
菓子の詰まった袋を両手に持って、千佳が戻ってきた。ジャージからはみ出たYシャツの裾と乱れた髪が、争奪戦の熾烈さを物語っている。
今までの行動を見ていたら年上とは思わないだろうなあ、というヘソを曲げさせかねない言葉は心の内に留めておいた。代わりに、ことあるごとに投げかけている言葉を口にする。
「お前の将来が、とても心配だよ……」
「素晴の心配なんていらないし。カッコイイ旦那さんを捕まえてみせるし」
小さい頃から三人でふざけあってきたが、いつかは三人とも家庭を持って疎遠になるのだろう。彼女の隣に見知らぬ男が立っているのを想像すると、どことなくもやもやする。
「――どうやって捕まえるんだ? 顔はそこそこ可愛いのは認めるけど、千佳はそれを引いて余りあるくらい、突拍子もない行動をするからなぁ」
何を勘違いしたのか、千佳は頬を緩めて笑った。
「褒めてないからな」
訂正をしても、彼女の顔に浮かんだ笑みはしばらく消えなかった。
「ネットで見たけど、料理の上手い女子はモテるんだよ?」
「え? ごめん。それがどう、さっきの自信と繋がるのか分からない」
さらりとひどいことを言う亮。
「あたしといえば料理、千佳イコールクッキング」
「嘘つけ。調理実習で塩を入れるとき、桁間違えただろ」
あれは衝撃的なミスだったので、記憶に新しい。こんもり盛られた塩は、作っていたマヨネーズに当然溶け切らず、同じ班だった俺達まで先生に怒られることになった。
「和食とか洋食とか、得意ジャンルはあるのか?」
「卵料理!」
既に興味を無くしている亮に代わって、最後まで話を聞いてあげようと思い質問をしたが、斜め上を行く狭いジャンルの回答が、自信満々に返ってきた。
「それって、料理のできない人がしがちな受け答えじゃ」
「そんなことないよ。スクランブルエッグとか、目玉焼きとか……、いろいろできます!」
答えた簡単な料理ですらできないのではないかと、微妙な間と敬語が不安をあおる。
「じゃあ、エッグベネディクトは?」
俺の尋ねた料理は、円いパンの上に、サーモンや半熟の卵を載せた料理だ……らしい。お洒落な朝食の代名詞として、一時期テレビや雑誌で話題になったことがある。当然、庶民な俺達は食べたことがない。
「エッグ……できるできる。作ってあげるから、二人とも明日の朝ウチに来なよ」
嘘を暴こうと出した名前だったが、橋だテンションによって予想外の展開へと転がされていた。
「注文したのは素晴だし、素晴だけでいいだろ? オチの見えるイベントに付き合うほど暇じゃないんだよ」
「亮も!」
面倒くさそうに発せられた亮の言葉は一蹴された。明日は朝の気だるさが、さらに増すことになりそうだ。密かに楽しみにしている自分がいた。
*
俺はリードタウンのタイルを踏みしめていた。腕を回してみたが、重かった肩は嘘のように軽くなっている。ゲーム中では腕からの信号が遮断されているせいだが、早く治って得したような気分だ。
耳を澄ませて、町の様子を探る。土と風のガーディアンが倒されたことは話題になっており、残る火と水のガーディアンの討伐パーティーが数多く募集されていた。
コンソールを開き、パーティー欄を確認する。昨日と同じように、ユータとサクラは名前が灰色で表示されており、ログインしていなかった。そんな表示を見て、正直なところ少しだけほっとした。俺達は土のガーディアンを倒したことを謝るどころか、風のガーディアンまで倒してしまったのだ。どんな顔をして謝ればいいのか分からない。
インベントリからマップを取り出し、サクの位置を示す赤い円の位置を確認した。彼女がパーティーに残っていたことも、ほっとした理由のほんの一部を担っているのかもしれない。向かうエリアを確認してマップを畳んだ。
「やかましいわ、ボケ!」
突然聞こえた叫び声に、俺は身をすくませた。
「何だよ、人が親切で誘ってやったのに……」
「行こうぜ。たまにいるんだよ、あぁいうヤツ」
背中を丸めた男達が、声の聞こえた方向から立ち去っていく。興味本位で、彼らとすれ違って人だかりに向かった。
人の壁で見えないが、この辺りは噴水のある広場だったと思う。普段なら単独でゲームをしているプレイヤー達が、パーティーに参加するメンバーを募集する場所だ。
「ほら、往ね往ね。見世物ちゃうわ、ボケ」
先程の怒号と同じ人間のものと思われる声に反応して、人だかりがサッと動いて隙間ができた。歩いて出てきたのは、頭身の低い小さな人影だった。幼さを感じさせる下膨れの顔の輪郭を、前髪を揃えたショートボブが囲む。薄黄色の細身のワンピースの上に黒い革の軽鎧を纏い、ハート型の鈍い刃が幾重にも放射状つけられた柄頭を持つ棒状の武器、メイスを肩に乗せている。どう見ても小学生の女の子だった。
絶対に関わってはいけないと、ネットで得た俺の勘が言っている。人だかりと同じように俺も道をあけ、彼女が周囲にガンを飛ばしながら肩を揺らしてのっしのっしと歩いていくのを見送った。
あの子が、柄の悪い汚い言葉遣いをしていたのだろうか。武器から判断すると、ジョブは白魔導士らしいが、他者を回復させるその役割に言動が似つかわしくなかった。やはりネトゲをやっている人間は変な人が多いのかもしれない。
俺はサクのいる場所を目指して歩き出した。




