「ゆめ」と「げんじつ」
一応エッセイの分類に入れといた。
書き方それだし。
わたしは気がついたら教室の中にいました。
教室には懐かしいメンツがそろっていました。
その中には、中学のころ、わたしの好きだった男の子…○×君や、わたしの幼馴染など、とにかく知り合いだらけでした。
それが「クラスメイト」として認識されていました。
その「クラス」は居心地がよかったように思います。
「懐かしいねー」
なんて、皆で語り合っていました。
わたしは不意に、ああ、「○×君になにか言わなきゃ」と思いました。
しかし、○×君はある女子の元に動き出しました。そして――――。
見たくない。と、わたしは強く思いました。
何かが、崩れ落ちるような気がしました。
気がついたらわたしはベッドの上に居ました。
ただの夢で凄く安心した事をわたしは覚えています。
だけど、わたしは多分、それが夢であると心のどこかで気づいていたと思うのです。
3年生のころは、あの居心地のいい環境に浸っていました。
周りの皆に甘えていたのだと思います。
ですが、高校に入学し、それが許されなくなった時、わたしは孤立しました。
そして、恐らくわたしは、心のどこかで3年生のころの残骸を、
わたしが楽して、甘えて居られた時間の残骸を、探していました。
だから、わたしは○×君のことが好きだったのかもしれません。
○×君は、わたしの中学校の楽しかった記憶の象徴でした。
卒業時、離れたくない、と思ったくらいには幸せで、居心地がよかった場所だったのです。
…皮肉にもその夢がわたしに突きつけたのは現実と理想の落差でした。
高校生になってから、友だちが出来ない。
クラスメイトと仲良くなれない。わたしは、ぬるま湯に浸っていた所為でこのことにすら対応がおくれました。
そして、現在クラスメイトとの間での溝は決定的です。
『ああ、中学校のころはよかったなぁ。中学校からやり直したい。』
そういったわたしの後悔を、その夢は間接的に映し出していました。
今となっては、この夢が一体何を伝えたかったのかわたしには分かりません。
ですが、わたしはこのように思います。
『今わたしがいる現実は中学校のころより甘くもない。
だけど過去に囚われずに、未来を見、そして堅実に歩んでゆくべきだ』
あの夢は、こんな警鐘を鳴らしている気がしました。
「わたし」は何処にでも居る普通の子だと思います。
少しコミ障かもしれませんけど笑