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いっそ、悪い夢であってほしかった。
けれど、目が覚めてもその猫――アイルは机の上でぐっすりと寝ていた。やっぱりこれは現実なのだと改めて思い知る。
昨日は美味しいごちそうやケーキをたくさん食べた。色々な人に祝ってもらった。しかし、皆、精霊を見て一度は猫ではないかと勘違いをした。アイルは一言も喋らず、特に大きな問題にはならなかったが、きっと皆少なからず疑問を抱いたに違いない。
「朝から難しい顔をしているな」
いつの間にか起きて私の目の前にやってきたアイルが、喋る。
私はため息をついた。
「誰のせいで、こんな疲れてると思ってるのよ」
「私が喋ることがそんなに大問題か」
「当たり前でしょ。大体、あなたは今の状況をちゃんと分かってるの? あのね――」
「あの男の元へと行こう」
「は?」
アイルはベッドから降りて、扉の方へ歩きながら、顔だけこちらに向けた。
「昨日来た、あの男――ヘリオスだとか言ったか。あいつのところへ行こう」
「どうしてそれをあなたが決めるのよ」
「まぁ、そう怒るな。私のことを紹介してほしいと言っていただろう?」
得意げな顔でそう言う。
確かに精霊をちゃんと見せろとは言っていたが――
「まさかあなた、あいつの前で喋るつもりじゃないでしょうね」
「言ったはずだが。私は馬鹿ではないと」
「……」
私は無言で立ち上がり、着替えを始めた。
城下町は今日も賑わっていた。
アイルはきょろきょろとあたりを興味深く見渡している。
「都会が珍しいの?」
小声でそう聞いた。
「いや――何か、違和感を感じただけだ」
「違和感? 何よそれ。わけわかんないこと言わないで」
しばらく歩くと、武器屋――もとい、ヘリオスの家が見えて来た。
「おじさん。いますか?」
ほとんど客のいない店内に入り、店主であるヘリオスの父親を呼ぶ。
「おう、久しぶり! 昨日は誕生日おめでとうだったな、テラスちゃん」
店の奥から、がたいのいい、おじさんが出てきてそう言った。アイルに視線を一瞬だけ向けたが、ただの猫だと思ったのか、その件については何も言わなかった。
この国は平和そのものだ。武器を買う人は少ないだろうに、どうやって生計をたてているのかたまに気になったりする。
私は笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ヘリオスはいますか?」
「部屋にいるぜ」
「じゃあ、お邪魔しますね」
「あぁ、テラスちゃんなら大歓迎だ」
豪快な笑い声をあげて、おじさんはそう言った。
私は店の奥への扉を開き、すぐ近くにある階段を上った。一階は工房となっており、二階はヘリオスとおじさんが住む家となっている。母親は、小さい頃に病気で他界したと聞いていた。
狭い廊下を歩き、ヘリオスの部屋の扉をノックする。返事は聞こえなかったが、私は扉を開いた。
「――なんだ。テラスか」
ベッドに寝転がり本を読んでいたヘリオスは、起き上がってそう言った。
「なんだ、とは何よ」
「いや、親父かと思ったんだ。どうした?」
「精霊を、見せに来たのよ」
そう言うと、アイルはヘリオスのもとへと駆け寄る。彼の顔をじっと見つめていた。
「あぁ、昨日の猫か。こいつが精霊なのか? ……何か、変な感じだな。まぁ、何はともあれ良かったじゃねぇか。お前も無事、精霊をもらえて――」
「お前の精霊はいないのか」
「あぁ。俺は必要ないと思って――」
そこまで言って、ヘリオスの言葉が止まった。
私は驚愕の目をアイルに向けた。
そして一瞬の沈黙のあと、
「――ああアイル! あんた、喋るなって言ったでしょ!」
「は、はぁ!? 何だよそれ。どういうことだよ、これ!」
「それは、えっと――それより、どうしてあんた、いきなり喋ったのよ!」
もうどこに怒りをぶつけていいか分からなくて、とりあえずそう叫んだ。
「私は『頭が悪くない』と言っただけで『喋らない』とは言っていないが? 色々考えた結果、こいつには喋っても良いだろうと判断したんだ」
一人冷静なアイルが嘲笑うかのようにそう言った。
もう、勝手にしてくれ。私は深いため息をついた。
「おま、お前――精霊なんだよな。何で喋れるんだよ」
必死に冷静を装って、ヘリオスがそう言った。
「何でと言われても、喋れるものは喋れるんだから仕方がないだろう」
「そんな――そんな理由で納得が出来ると思うのか?」
「まぁ落ち着け。お前らにはゆっくりと話そうじゃないか。その代わり、あることに協力してもらうがな」
そう言うと、アイルは本やマンガが入っている棚の上へと上る。
私は大きなため息をつき、ベッドへと座った。ヘリオスが信じられないと言った顔でこちらを見てくる。
「……これ、どういうことだよ。知ってたのか?」
「……昨日、いきなり喋りだしたのよ。私もよく分からないの。もう、何が何だか……」
「だから、それを今から話すと言っている」
むっとした様子でアイルは言う。彼女(声の様子からして女だった)は私達を見下す体制で喋りだした。
「そもそも、お前らはどうして私達の様な存在――精霊がいると思う。まぁ、考えたこともないだろうが」
「考えようがないでしょう。精霊は、私達が生まれるよりもずっと前からいたんだから」
「ならば教えてやろう。私達は、かつて魔法使いだった」
「……は?」
思わず、すっとんきょんな声を出してしまった。ヘリオスも呆れた顔を浮かべている。
「魔法使いってのは、数百年前封印されたって聞いてるが。まさかお前が、そのうちの一人だったと?」
「あぁ、その通りだ」
「馬鹿らしい。あり得ないだろ、そんなこと」
「なぜだ? 数百年も前のことだからか?」
「それもそうだけど、そもそもあなた達は何かしでかしたから、封印をされたわけでしょう? どうして、そんな奴らが今更この世界にいるのよ。封印されているはずじゃない」
「――なるほど。お前らは魔法使いなんていう存在はとっくの昔に封印されて、滅んだと思ってたわけか。いや、そう教育されてきたと言うべきだな」
「そうじゃないの?」
「違う。それは間違いだ。お前達は嘘を言い伝えられてきた」
「根拠はあるの?」
「ここに魔法使いがいること。それが全てであろう」
「じゃあ、お前が魔法使いだって証明するなにかはあるのかよ」
アイルは面倒くさそうにため息をつく。すると、本棚に入っている本が一冊、宙に浮いた。
「これが魔法だ。それを使える私は、魔法使いだということになる」
しかし、それを見ても、アイルの言葉を聞いても、私達は特に不思議な顔を浮かべることはなかった。その光景を見るのは、日常茶飯事だからだ。
ヘリオスが小さくため息をつく。
「……あのなぁ、それじゃあ証明にはならねぇよ」
「なぜだ」
「その力は精霊が持っている力と同じものだ。精霊が重い物を運んだり、火をつけたり、そういうことがお前に出来るのは当たり前なんだよ」
「――何だそれは。お前らは、それが『精霊の力』だと言うのか?」
今度はアイルが呆れた顔を浮かべる番だった。
「そうだ。何かおかしいところがあるのか?」
「おかしいも何も、その力こそ魔法と呼ばれるものだ」
「……」
私達は顔を見合わせた。
「お前らは――お前らは、今まで一体何を定義としてそれを『精霊の力』と呼んできたんだ。一度でも、これは『魔法』だとそうは思わなかったのか?」
「そう言われても……。魔法なんて、目の前で見た事ないし」
「じゃあ、『精霊の力』と『魔法』の違いは何なんだ。私達の力は、どっからどう見ても魔法だ。魔法と呼ばれるものだ」
「だから、魔法なんて見た事ねぇから分かんねぇって言ってんだろ」
「それに、魔法はすごく恐ろしい力だって聞いたことがあるわ。とてもそんな風には見えないんだけど」
「……なるほど。まぁ、確かにそれは言えている。私の力はだいぶ封印されているわけだしな」
「力が封印されてる?」
「そうだ。なぜかは分からないが、私はどうやら自我と魔力の一部だけ封印を解かれたらしい。きっと本体は他のところに封印されているはずだ」
「はぁ……」
そう言われても、実感が湧かなかった。数百年前、何が起こったかなど分からないし、ましてや魔法使いという存在や、魔法というのがどういうものなのかも分からない。
アイルは小さな手で頭を抱える。尻尾が左右に揺れた。
「なぜ納得しない。この技はどう見ても、ただの人間が扱えるものではないだろう」
「そうよ。だから、精霊だけが使えるんでしょう」
「その精霊が、そもそも精霊ではないと言うのだ。お前らが精霊と呼んでいるもの達は、力を制御された魔法使い達だ」
「どうして数百年前封印された魔法使いが、今になって精霊っていう形で出てくんだよ」
「それは分からないが、この国のお姫様とやらが何か良からぬことを考えているのかもしれない」
その発言は聞き捨てならなかった。
「ちょっと。フィーリア王女を根拠も無く悪く言うの、やめてほしいわね」
「あいつの肩を持つのか」
「当たり前でしょ。私達の生活を支えてくれているのは、他の誰でもないあの人なんだから」
「……」
「……ねぇ、どうしてあなたは喋れるの? 他の精霊は喋れないのに」
「――封印の強さには個人差がある」
アイルは本棚から降り、私の元へと近寄ってくる。
「私達は封印される時、必死に抵抗をした。ついでに言えば、私はなかなか優秀な魔法使いだったからな。私の封印は弱いものになってしまっていたのだろうよ。考えてもみろ。私達はもともと魔法使い、つまりは人間だったわけだ。言葉が分からないわけがないだろう? まぁ、これはただの憶測でしかないがな」
「……お前は……」
言う言葉が見つからないのか、ヘリオスはそこまで言うと、頭を抱えた。
「お前達は、何事も信じすぎだ」
私の膝にぽんと手を置いて、アイルは言う。
「私達が喋らないというのも、魔法を精霊の力だと思っていたのも、きっとこの世界の――この国の大人たちに言われたことなのだろう。まぁ、確かにそれも正しいのかもしれないが……何もかも鵜呑みにするのは、関心しないな」
「私達だけじゃないわ。お母さんも、お父さんだって……この大陸の人は、皆それを何年も前から信じてる。きっと、このことを皆に話しても誰も信じちゃくれないわ」
「信じさせる必要はない。その勘違いによって戦争が起こるなんてことになっているなら話は別だが、その奴らは今の生活に満足しているのだろう? 精霊達には可愛そうかもしれんが、知らない奴は知らないまま平和に暮らしていればいい」
「じゃあどうして、俺達には全てを教えたんだ」
よくぞ聞いてくれたとでも言いたげな顔で、アイルは語りだす。
「最初にも言ったが、お前達にはあることに協力をしてもらいたい。そして、それに協力してもらうためには真実を知ってもらうことが第一だからな」
「あることって、どんなことよ。……まさか、犯罪?」
「さぁな。それは分からないが、お前らに殺人をやらすつもりはない」
「殺人以外の犯罪はあり得るってこと? どういうことよ、それ」
「落ち着け、テラス。とりあえず話を聞こう」
ヘリオスの言葉に、私は口を閉じた。
「……さっき話した通り、私達は封印をされて今こんな姿になり、精霊として――もっとストレートに言えば、お前らの奴隷として働いているわけだ」
「奴隷、って――」
「間違ってはいないだろう。面倒事を全て精霊に任せているわけだからな」
確かに――そう言われてしまうと、返す言葉がない。
私達は今まで、かつて人間だったこの魔法使い達を精霊として、奴隷として使ってきた。そう考えると、罪悪感を覚えて仕方がなかった。
「そして、私はそんな精霊達を――魔法使い達を救いたいと思う」
「救う?」
「そう。私達にかかっている封印を解くということだ」
「そんなの、どうやって」
「問題はそこだ。……そこでまず、情報収集をしなければならない。まぁ、でかい図書館にでも行けば簡単に見つかるだろう」
「でも、この大陸には図書館なんてないわよ」
アイルが一瞬目を見開いた。
「予想はしていた事だが……お前ら、よくこんな大陸で生きてこれたな」
「そりゃどうも。で、どうすんだよ」
「それこそ簡単なことだ。他の大陸に行けばいい」
「無理よ。他の大陸に行ける船を唯一所持してるのは城の人達よ。私達が乗れるものじゃないわ。城の人達が持っているっていうのも、ただの噂でしかないし」
「ならば、盗んでしまえばいい」
「――は?」
当たり前だというような顔をして言ったアイルの言葉に、思わずそう声をあげた。
「盗んでしまえと言っている。魔法を使えば城の警備なんぞ敵ではないし、それしか方法がないのなら――」
「待って。……ちょっと待ってよ。私達は、そんな危険なことに協力しなきゃいけないの?」
「あぁ」
「嫌よ。私、絶対嫌」
「だろうな」
ため息交じりに、アイルはそう言った。
「まぁ、お前がこの狭い大陸でこのまま何も知らずに一生を過ごしたいと言うなら、それも良いだろう」
「何よ、その言い方。私だってね、こんな大陸早く出たいわよ。平和だけど、ただそれだけで何もないし――それに何より、今まで私達は精霊達にひどい仕打ちをしてきたわ。その精霊を救えるのなら、出来れば協力したい。……だけど、犯罪はしたくないわ」
「俺も同じ意見だ。もし、成功して大陸を出ることが出来ても、親に迷惑がかかるかもしれない」
アイルは呆れた顔を浮かべた。
「お前らは、なんというか……綺麗事ばっかり言う奴らだな。……無理強いはしない。お前らが犯罪をしたくないというなら、私一人で――」
そう言いかけた時、部屋にノックの音が響いた。アイルは途端に口を閉ざす。
入って来たのは、ヘリオスのお父さんだった。
「テラスちゃん。お客さんだ」
「え? 私に?」
私はヘリオスと顔を見合わせた。
「城の兵士が来てるんだが……もしかして、まだ精霊もらってなかったのか?」
「――ありがとう、おじさん」
私は短くそう返事をすると、足早に部屋を出た。アイルも私の肩に飛び乗ってくる。ヘリオスも後ろについてきた。
店の外へと出ると、鎧を着た城の兵士が立っていた。私を見つけるなり、会釈をして、近づいてくる。
「姫からの伝言で、すぐに城に来てほしいとのことです」
「わ、私がですか?」
「はい。その際、精霊を連れてくるようにと。では、城でお待ちしております」
早口にそう言うと、兵士は城の方向へと歩いて行った。
その後ろ姿を見ながら、私は立ちつくす。
「……さて、どう出るか見物だな」
アイルが耳元で楽しそうにそうつぶやいた