ドライバーズ・ハイ (麗しのハイヤードライバー)
「お疲れ様!」
配車室には仕事を終えてホッとする運転手達が、日常の仕事を終える合図のように挨拶を交わす。
運転手の名前札を配車板から撤収する。
配車専門職が残業を唆す前に、しなければならない重要な儀式だ。
ここはハイヤー会社である。
外は雪。都会は雪に弱い。早くも交通に支障をきたしているようだ。
配車室にはひっきりなしに電話が鳴る。
そのたびに営業の職員が申し訳なさそうに
「あいにく車は全て出払っておりまして。」
客には見えないながらも電話口に頭をペコペコ下げている。その目は恨めしそうに運転手を仰ぎ見ている。
運転手達はそそくさとロッカー室に消える。
東京では、ハイヤーと言えば黒塗りのリムジンを指す。偉い方が新聞を読みながら高級車で移動するイメージがある。
ドライバーが白手袋をつけて、すました顔で運転しているアレだ。
余談になるが、地方に出掛けた時に「今、ハイヤーを呼ぶから!」と言われて豪勢なもんだと期待した時がある。
来た車は普通のタクシー車両なので、高級車を期待していた私の喪失感。
田舎ではタクシーとハイヤーの呼び名は同義なのかと、解釈した自己の無知さを笑わざるを得ない。
厳密に言えば同義ではない。ハイヤーとタクシーには明確な境界が存在する。
一般にハイヤーは車庫待ち営業である。
ドライバーと車両は基地である営業所の車庫等で待機して客の注文の電話を待つ。
電話で受注して迎えに行くスタイルである。
対するタクシーは街中を走り、手をあげた客を乗せる事が出来る。所謂、流し営業と呼ばれるものである。大きな違いを挙げれば、その点で区別がつくが、大都市ではない地域にて走り回って乗客を捜すのは徒労に帰す。
燃料の無駄である。必然的に車庫待ち営業が合理的になる。
田舎でタクシーと表現しないのは、まさしく正解なのである。
ハイヤーと言えば黒塗りの高級車であると、東京だけで得た価値観。それを地方に勝手に当てはめた当時の私に今では気恥ずかしさだけが残る。
ハイヤーの運転手さんに四方山話ついでに質問する事がある。
なぜ、東京のハイヤーは料金が高いのか?
軽い感じで聞く。その返事は質問に対して的を得ないものばかりだった。
それならばと営業の方に聞いてみる。
しかし大概は値引き交渉と勘違いされるので、都心での用地確保の難易性や高額な車両、労働集約産業ゆえの人件費の話をされる。
私が知りたいのは、これほど高額な移動手段が商いとして東京に根付いた理由である。
他に安価な移動手段はある。しかし顧客はなぜハイヤーを選択するのだろう?
「東京の人は見栄っ張りなんです。」
一見、主観的理由として落とし所はある。まして客観的な説明なんて無理なのかも知れない。しかし他の大都市ではこれ程高額な移動手段は根付いるとは言えない。それどころかビジネスクラスでも安価な移動手段に対して抵抗感はないどころか歓迎する向きもある。ましてや名古屋や大阪などの都市に見栄っ張りがいないとは断言出来ないだろう。何も見栄っ張りは、東京だけの専売特許ではないのである。
価値観の違いも文化面に現れる。
少なくても東京にはハイヤーなるものの文化が根付いていると云わざるをえない。
私は益々興味を持った。
その中で大変興味深い運転手に出会った事がある。いつものように何気無い会話の中で、不景気なのにハイヤーの料金だけは相変わらず高いですねと笑いながら口走った。
その運転手は屈託なく、
「ハイヤーの料金が高いのは、運転手の人生の時間を切り売りしているからなのです。」
何とも哲学的な響きがある。
これには驚いたとばかりに立て続けに質問を浴びせてしまったのは言うまでもない。
しかしその運転手は、いい意味で私の期待を裏切り、澱みなく私の質問に対し真摯かつ丁寧に答えてくれた。
ハイヤードライバーの拘束時間は長い。
一度出社したら二日間は最低でも拘束される。
さらに残業をすれば三日目に突入する。
一週間に一度しか自宅に戻れないのはザラであり、運転手によっては妻子を家庭に置いたまま一ヶ月も帰宅出来ないケースもあるそうだ。労働基準法が形骸している現場でもある。
更に都心において賃料を考えると運転手の待機所は劣悪に近い。地下にあり窓も無いような所で長時間を過ごす場合が殆どである。
ある意味、東京の蟹工船と表現しても過言ではないかも知れない。
更に仕事の注文が少ない時期でも一定数の運転手を確保しなければならない。
それに対する人件費の負担は莫大である。
目先を変えて、ハイヤードライバーの仕事内容にも質問をぶつけて見た。ドライバーの主たる仕事は乗客を待つ事こそが仕事であり、運転そのものは付加価値と言う。いつ出てくるか分からない客を、玄関を凝視しながら余所見無しで待つのは普通の人なら1時間で音を上げると言う。トイレを我慢するケースもある。待っている間は食事すら我慢し、雑誌や新聞なんか読んで暇潰しなど言語同断であると言う。まさしく自身の時間を乗客に捧げ、ひたすら今か今かと玄関を凝視する。
「お客様がお出ましになる時間が分かるなら、楽な仕事になります。トイレに行けますから。(笑)」
運転手を気遣い、出て来る時間帯を予告するのは運転手には有難いものである。
運転手は食事や手洗いに行けるのである。
その予告が無ければ運転手は現場から離れられない。そのカルチャーを知らないで利用する客がいた場合、例え悪気がないとしても運転手には地獄と化す。
「私の場合、トイレにも食事にも行けずに、お客様を待った最長時間は、6時間位ですね。」
確かに運転手にして見れば、いつ出てくるか分からないのであれば現場を離れられない。
玄関に出てきた客が車を捜してキョロキョロする前に、スパッと客の目前に車を回すのが仕事の真骨頂だと話してくれた。
でも、本当は勝手に御手洗いに行ったりしてるんでしょう?
意地悪な質問もしたのだが、それに対しても臆する事なく爽やかに答えてもらえた。
「はい、ホテル等の場合は上手に目を盗んで御手洗いに行きます。大抵は、お客様の降車直後を選びます。すぐ出てくる可能性もありますから。」
トイレが無いような住宅地などが現場の場合は大変らしい。顧客の宅にてトイレを借りる事は失礼に当たるらしい。何はともあれ、事前にトイレに行く事はドライバーにとっても重要な儀式となる。
「初めてのお客様は車に乗せる為のドアサービスの一瞬で顔を憶えなければならないのが大変で、複数の場合は更に難易度が上がりネクタイの柄や靴などの特徴で憶えるケースもあります。」
ゴルフ等の送迎は往路と復路の服装が違うので印象が変わり、更に難易度が高いと言う。
乗客が自身の乗ったハイヤー車両をキョロキョロと探すようでは運転手失格だと重ねて言う。 顧客が玄関に現れた瞬間を逃さず車を滑り込ます技術に心血を注ぐ。
本来の業務とは離れる事も暫しあるという。
何らかの理由も存在するとは思うが、子供の面倒を見てあげたり、庭の雑草抜き、雪が降れば乗車に影響なきよう雪掻きも手伝う。
顧客がタクシーではなくハイヤーを選ぶ理由の存在が少しだけ理解できた気がする。
一人前の運転手になるには最低でも10年はかかるというのだ。20年で中堅、ベテランは30年からと聞いて、その業務の奥深さを感じた。
私は単にタクシーのメーター料金と単純比較して思考を張り巡らした事もある。自身を恥じたのは言うまでもない。
ここに東京のハイヤーが、文化として根付いた根幹を見た思いがした。一種の召し使い的なものから全てをこなすハイヤードライバー。その価値は輸送手段とは別の次元がある。私が今まで気付かなった高付加価値の業務をこなす姿。服務規程や就業規定にないものに対しても、顧客に真摯に応用対処してきた経緯の歴史、顧客と運転手の信頼醸成の歴史があるのだろう。
ハイヤーの意義に些少ながら初めて気付かされた思いである。ハイヤーの英語綴りはHIRE(雇う)である。リムジンと表現しない何かがある。
「私は運転手と言うよりハイヤーマンとしての意識と自覚があります。しかしお客様の前では、只の運転手として自身を卑下する事も重要です。」
物好きな私は、その運転手が業務を離れた時の顔も知りたくなった。運転手の素性を明かさない事を前提に、何とか約束を取り付けて話を聞く事に成功した。
業務を終えた運転手さんと東京の霞が関にあるお店で待ち合わせをした。一等地の場所にあるが、値段は高くない。ランチなんかもしっかりしていて米がうまい。ビジネスマンに人気で盛況な店だ。
時計は午後2時を回ってはいたが、丁度2人とも昼食を採っていなかったので食事を兼ねながら雑談形式で質問をした。
早速ですが、
この仕事でのやりがいや、嫌な思いをしたり辞めようかと思ったような出来事はありませんか?
「辞めようと思った事は何度でもあります。仕事は精神的にも肉体的にも辛いものがあります。」
例えば?
「仕事での失敗は精神的に応えますね。笑
また、運転手の組織は兵隊式?と言いますか上下の関係が厳しいです。」
運転手にも階級みたいなものがあるのですか?
「いえ、ありません。強いて言えば年功が基準になります。その世界でどれだけ飯を食べて来たか。これは運転手間でも重要視されます。」
あなたは何年くらい活躍されてますか?
「私は20代の前半でこの業界に入りました。今では40歳を越えましたので、かれこれ20年選手ですね。」
仕事上で失敗された事はありますか?
「思い出す事が嫌な位、たくさんあります。笑」
例えばどんな?
「まず、絶対やってはいけない失敗は事故です。私は幸い事故の経験はありませんが、明日は我が身として同僚などの事故を聞いてもその運転手を責める気が起きません。やってはいけない事は事故だと分かり切ってるからこそ、事故を起こされた運転手の憔悴感が我が身のように痛切に分かる気がしてなりません。」
ほんのチョッピリぶつけても?例えばバンパーなんかチョットぶつけたりとか小さな事故も?
「事故は事故です。まさかするとその事故が死亡例に達するような重大な要素が隠れているかも知れません。バンパーのへこみより更に大きなへこみが運転手の心にできますね。」
接客などの失敗は?
「大小、様々な失敗があります。それは後輩にフィードバックされ、明日のハイヤー業界を築きます。具体例は勘弁してください。心が痛くなります。笑 ただ、言えるのは失敗が実績を作るケースもあります。失敗を一度も犯していないと豪語する運転手ほど仕事が出来ないタイプが多いです。失敗を隠す事に血道をあげるので信頼関係を築けないのです。お客様もクールに振る舞う運転手より、素朴な運転手を慕う傾向があります。」
差し障りない範囲でいいんですが、
今迄に印象に残ったお客さんはいますか?
有名人なんかも乗せるんでしょう?
「個別のお客様の名前を挙げるのは難しいんです。かなり前になりますが、今日のように雪が降ると或る人を思い出すんですが、思い出のひとつとして胸にあるだけですね。」
それはどんな方ですか?
その運転手はその質問に少し考え込む様子だったが、渋々と答えてくれた。
「決して貶す訳ではないので支障はないと思うのですが・・」
故 城山三郎氏
小説家であり、数々の名作を残した。日本の小説の代表的な賞の審査にも関わる著名人である。
その運転手から何故、城山三郎氏の名前が出たのか私は更に興味を駆り立てられた。運転手とどのような経緯があるのだろう。
好々爺の趣きというより、ダンディーな印象を受けたようで、スペンサータキシードやドレスの方々、和服等も見受けられる中、城山三郎は茶色のチノパンに臙脂色のシャツ、暗いベージュのジャケットにネクタイと言うべきか、ボウタイでの出で立ち。不思議と違和感がなく、年齢と相応な重たい雰囲気もある。かき乱した感もある長めの白髪交じりの髪も違和感がない。
今は故人になられたが、その運転手が城山三郎氏と初めて会って時間がかなり過ぎるものの今に残る印象である。
「とにかく今日のようにとにかく寒い日だったんです。」
ホテルオークラにて、ある有名な賞の発表と式典があった。TV局が中継車を出し盛大に行われたのだが、その時の審査をする側として城山三郎氏も出席していた。
「私は配車室でお客様の名前を見ても、それが著名人であるか誰であるかわかりませんでした。」
城山三郎氏が何者かさえ知らなかったのである。
予備知識はゼロ、配車後すぐ出庫でろくに調べもしていない。
普通なら張り切って仕事に挑み、事前に調べ、相手に失礼のないように気配りしなければならないホスト役でもある運転手。
「その日は、あまりにも忙しくて疲れきっていたんです。単発の仕事だと知識皆無で挑む事も多いんです。文庫本はよく読みましたが、城山先生の著作は読んだ事がありませんでした。」
業務にあまり関係のない文壇の世界。文庫本位は読むが、特別な感情もない中での仕事上の行き掛かり。沢山の著名人や業界人を乗せてる関係でいちいち特別な感情は持たない訓練もされている。ただ、今度の仕事はぬるいと云うか簡単な部類。有名な人だろうが何であろうが、ただ安全にホテルから自宅に送れば運転手の仕事は終わる。そんな精神状態であり、ただ、雨混じりの雪という天候だけが運転手を悩ます。
ハイヤードライバーの日々の業務とは意外と退屈なのかも知れない。
そんな状況で運転手は城山三郎氏に強烈な印象を受け、今尚、思いを馳せるのだろうか?このハイヤードライバーと、どんな経緯があったのか?是非、知りたくなった。
私は耳を傾けながらも疑問に思ったら質問を挟み込む悪い癖がある。
話は上手で理路整然として回りくどい事もない運転手。私の持つ途中に挟む質問癖を封印出来たのも、この運転手の話し方の巧みさに助けられた感がある。
それでも、それから?と、話の続きを早く聞きたくて、つい運転手を急かしてしまうくらいであった。
運転手は城山三郎氏を城山先生と呼んでいた。
黒塗りのハイヤーが列をなし、ホテルの玄関は一斉に慌ただしくなる。
場内アナウンスの呼び出しに反応し、急ぎ玄関に車を滑り込ます。
トランクに荷物を積み込み
ホテルのドアマンが先生が乗り込んだのを確認して丁重に車のドアを閉める。
そこで城山先生が初めて運転手に口を開いた。
「きみは?」
通常なら、お客様は最初に行き先を告げる。しかし最初に出て来た言葉は予想に反して、とても新鮮であり、予知出来なかったパターンに狼狽に似た気持ちになったそうだ。
「車はすでにホテルを出て右に行くか左に行くかの段階でしたが、私はなぜか迷わず首都高速の入り口に向かわせました。」
「私は本日、先生のお供をさせて頂く運転手の荒川と申します。」
ここで城山先生は屈託のない笑顔で
「ああ!そうなの。」
名前を聞かれる事は珍しい?
「裏方である運転手は目立たないからこその価値もあります。決して運転手は表舞台には立ちません。名前など気にされた事は少ないんですよ。大抵は運転手さん。で済んでしまいますから。まさか運転手の名前を最初に求めるなんて思いもしませんでした。」
先生「ええーとっ、あ、あ・・」
運転手「あ、荒川です。」
先生「そうそう、荒川君。じつはね、」
「私の荷物なんだが・・」
一気に青ざめた顔になりました。乗客が運転手に重要な事を告げられずに時を浪費させるのも失礼と考えたのです。すでに勝手に車を出発させてますし。
荒川「申し訳ありません!只今すぐに車を戻します。」
先生「慌てなくても大丈夫。ちゃんと車のトランクにあるよ。ただちょっと重いので着いたら手伝ってくれんかね?」
荒川「喜んでお手伝いさせて頂きます。」
普通のやり取りでもあるが、何故か必要以上に緊張していた事に気付いた荒川運転手は、軽く息を吐き、行き先を尋ねた。
「横浜新道方面に。」
ようやく荒川は運転に集中しだした。
さっきまで止んでいた雪がまた降り出す。
雨混じりの雪、外気温と車内の気温差が激しいのか途端にガラスが曇り出す。運転手はエアコンの調整に気を配りだす。
「空調のお加減は如何でしょうか?」
「ああ、いいね。」
退屈なのか、城山三郎氏はこの機を起点に運転手に話しかけてきたそうである。
「本は好きかい?」
荒川のこの時の心境は、後悔の二文字のみであったらしい。まず、城山三郎を知らない。作品さえ知らない。事前に予備知識を頭に入れて来なかった罰ゲームが今から始まる予感がした。
「はい比較的、好きだと思います。ただ残念なのは仕事が忙しく最近は本を読んでいません。」
「はは、そうか、それじゃあ昔はどんな本を読んだのかね?」
なんとか、はぐらかそうとはしたものの、
先生に自身の浅い部分を見透かされた気がしてならず、観念するように恐縮して喋りだした。
「申し訳ありません。正直に申しますと実は城山先生の作品を読んだ事はありません。」
さらに、
「気に入った作品があると飽きもせず同じ本を読み倒します。新しい本を次から次に購入する財力は運転手にはありません。
繰り返し読む割りには同じ感想にたどり着かない事もあります。
読んで見ますと作者の本当の意図とは何だったのかと考えますが。
暫く年数が過ぎ、思い出したかのように読み返しますと、又もや違った答えが出てきます。」
先生の質問に答えられず、印象論と言うべきか自身の好きな本に対する傾向を話しただけで肝心のどんな本を読んだか具体例を示さない荒川。
「うんうん、そうか、そうか。」
と頷きながらも、その質問に対する答えを待っている。威圧感はない。優しいオーラが車内に漂う。
運転手レベルの論法技術を用いても無理がある事を改めて悟る荒川。それにしても分が悪過ぎた。相手はあの城山三郎氏だ。しかもまだ先生は質問の答えを待っている様子だ。
荒川はどうかしていた。
なぜか頭の中で自身の言葉が制御出来なくなって、
「私が小学生三年生の時に出会った漫画が手塚治虫のブラックジャックという漫画で友人の所有する単行本を借りっ放しで死ぬほど繰り返し読み返しました。あ、あと火の鳥も好きです!」
漫画の話だ。ここでいう本とはあくまで小説を指していると思うのだが、城山三郎氏は漫画であっても本の話として受けとめてくれたそうである。
先生は笑顔を運転手に向ける。
漫画だろうが何だろうが本の題名を挙げる事が出来た運転手。ようやく質問の答えに辿り着いた事に安堵したのかも知れない。
正確には、運転する荒川にはその様子は見えないはずだが背中で感じたそうである。
運転手は、もう開きなおるしかあるまい。そう思い、正直に出会った本を小学生時代からひたすら披露した。見栄を張る事なく真実を話すのも誠意ではないか。
「図書室では、植村直己の南極点単独到達の冒険ものなんか読み倒しました。私1人の手垢だけであの本を真っ黒にしました!」
もうここまで来ると悲劇を通り越して喜劇である。まるで小学生の読書発表会のレベルだったらしい。
車内は笑いの渦になる。
とにかく和やかなのは救いだ。
目的地は思ったより遠い。
ましてや、雨混じりとはいえ雪だ。車速も伸びない。
荒川は、更にひるまず続ける。
「でも、小学生高学年になると何故か見栄をはるように読む本も変わってきたんです。」
身を乗り出す先生。さすが物書きらしく誰がどのような本を読むか、好むかは興味の対象のようだ。しかも年齢による変遷を具体的に憶えていて詳しく語る事に印象を良くしたようで、運転手も得意になって話をしたそうだ。
「小学生高学年になって初めて夏目漱石の我輩は猫であるを読みました。」
「これは当時の担任の先生のプレゼンが良かったんです。夏目漱石、本名は夏目金之助!
このキンノスケのキンの響きに小学生の私はツボに入りました!」
先生も爆笑する。
「確かに子供は下ネタが好きだからなぁ」
「担任の先生は夏目漱石を紹介する時に、
胃が悪いのにピーナツが大好きでそれによる吐血で亡くなったとか雑学満載でした!(真偽はともかくとして)
しかも、ネタばらしです。酒を誤って飲んだ猫が、最後は溺れ死んでしまう様子を間抜けに表現して教室は笑い声にあふれていたのを覚えています!」
「皆、図書室で争うかの如く読みましたが、実際の所、小学生の私には難しかったです。最後まで読破したのはクラスで数人のみで、途中で投げ出した子が多かったです。」
そこで、城山先生が
「君は最後まで読めたの?漱石は今でも好きかね?」
荒川は
「はい、当時の担任の先生の表現した部分、冒頭と、最後だけを読みました!」
それから、走れメロスは最後まで読めましたが、人間失格は鬱になりそうなので最後まで今だに読めません。とか素朴な荒川の感想が続いた。
「城山先生は本当に聞き上手だったと思います。」
「司馬遼太郎は高校生から読んでいます。今だに飽きません。
と言うと、本に出会ったきっかけが良いねと言っていました。高校生で司馬遼太郎に行き着くのも珍しいとも。もちろん城山先生の質問の内容も深くなったのを憶えています。」
そこで急に運転手に対し
「お手洗いに寄れるかな?」
その話の遮り方に違和感を覚え、何か失礼な事を言ったのか不安になったそうで、調子に乗り過ぎたかと後悔した運転手。
しかも適当なサービスエリアは、とっくの昔に通過しており、いよいよ急が迫った様子。
私は広めの路側帯に車を停止させ、迷わずドアを開け、
荒川「私も限界でした。ご一緒に!」
先生「立ってするのか?」
荒川「はい、男ですから。」
先生「がはははは!」
それは壮大な笑い声だった。
2人で路肩で並んで小用。
この軽犯罪を犯した2人だけの秘め事で、先ほどの不安感はなくなり、同志を得たような不思議な気分になりました。もう時効ですよね?
用を足しながら先生は
「いや~、今夜は冷えるのう!」
なかなか豪快でありました。
そう語る荒川運転手の目は何故だか悲しそうに見えたのは私の気のせいかも知れないが、窓越しに視線を逸らしたのを私は見逃さなかった。荒川運転手の話はまだ続く。
「雨混じりの雪は完全に雪となっていました。まだまだ深くなりそうでした。」
「車に戻り、又、司馬遼太郎の話で盛り上がりましたが話も終わらぬうちに目的地に到着。海が近いのは分かりましたが周りは暗いし雪の激しさもあり、洋風の邸宅だという事だけを記憶しております。別荘なのかも知れません。荷物を運び入れると書斎を見学させて頂けました。」
「海は闇でしたが、書斎から一望できるのが良く分かりました。羨ましい環境でありました。」
「先生自ら紅茶を入れてくれたんです。」
「なぜか司馬遼太郎の作品について話が集中しました。先生の作品ごとの見解も披露して頂きました。」
人物の描写で美しい日本人の姿だけでなく醜い日本人も対比させて登場させる技法が好きとか、醜い日本人を描いても何故か憎悪の対象としてではなく憎めない感じで描いているのが好きとか、素人ながらの論評を生意気に披露したりしたらしい。
「先生はウン、ウン、といちいち頷いてくれるのに感動しました。」
「とにかく当時の私は城山先生が何者であるかも良く分かっていなかったのですから、怖いもの知らずの運転手であったに違いありません。時間は早く過ぎてしまいます。」
荒川「大変、長居をしてしまったようです。そろそろおいとまを・・」
時計は午前零時を回っていたらしい。
城山三郎氏は、奥から自身の作品を引っ張り出してきて、それは文庫本で10冊は超える量になり、1冊、1冊と丁寧に表紙裏に自名のサインをスラスラと書き始めた。
そして自身に言い聞かせるが如く、運転手に問いかけた。
「本を読むのには、正しい見解を養う努力。理解を深める姿勢があれば更に楽しく読めるよ。そして本を書くのも、そうアイデアはいらない。優れた着眼点、知識を積み重ねる努力さえあれば意外と簡単に良いものが書ける。
君は本を書く気はないかね?
君の見解は的を得たものだったよ。
本当に楽しい夜だった。
君には可能性を感じるよ。
私の本を持っていきたまえ、読み終えたら、本を書きたまえ。
書いたら私の所に来るように。」
運転手はかなり恐縮したらしい。しかしそれらの言葉が運転手へのリップサービスに違いないと謙虚に受け止めたのも事実で、天狗になるような気持ちには、なれなかったらしい。
「先生、本日はありがとうございました。」
紙袋に入ったサイン入りの文庫本を大切そうに抱え玄関を出ました。
いつの間にか路面は既に雪で白くなり、すっかり積もり始めているのに時間の経過を感じたそうだ。
運転席に乗り込む運転手を雪の中、傘も持たずに見送る先生。
ホストとゲストの本末転倒であり、恐縮した運転手は車の窓を開け、
「先生!お風邪を召されます!お願いですから御自宅にお戻り下さい!」
一種の悲鳴に近い響きであったろう。窓を開けた運転手にも容赦なく降りかかる雪。
先生の吐く息も凄まじく白い。冷え込みが厳しいのは体感だけでなく、視覚的にも明らかだ。
その運転手の懇願は聞き入れられる事なく、笑顔で見送る城山三郎氏。
「短編でもいい!必ず書くんだよ!」
車内で会釈をすると同時に車を発進させる。城山三郎氏はまだ車を見送っている。運転手は堪らず、東京方面ではない道なのに、最初の角を左折した。
左折して城山の視界から素早く車を消す。
運転手に出来る精一杯の気持ちであろう。
「路肩に車を止めて車外に出て、雪の降る中でそれまで我慢していた煙草に火をつけ深く吸い込んだのを今でも昨日のように憶えてます。」
風も強く火の先に普段は見える紫煙はなく、吸い込むたびに光を増減する様は、暗闇の中でのコントラストとしては何故か寂しかったのではないだろうか。先ほどの運転手が悲しそうに窓へ視線を逸らしたのが分かるような状景だ。
別れとしても、とても哀愁的ですね。
その後、荒川さんは本を執筆されましたか?
「いえ、実は書いていないんです。」
えっ!?
そんな、もったいない。そんな不義理を働いちゃったんですか?
もったいない。もったいない。
「はい。今でも後悔してるんです。」
「不義理と言えば頂いたサイン入り文庫本。営業所で素晴らしい土産と化しました。私は独り占めしたかったのですが、そうもいかず1冊だけ無造作に取り出してロッカーにしまいました。欲しいという同僚が次々に現れ、一冊、また一冊と減る事に微妙な感傷を抱きました。結局、先に取り出した1冊を除き瞬く間になくなってしまい、所長が後から話を聞きつけ、売り切れに残念と肩を落としました。相手が所長でも私の最後の1冊を渡す気持ちにはさすがになれませんでした。最後の牙城とばかり沈黙しますと副所長が気を利かせて自身の分だった1冊を渡しました。所長は我が家の書斎に飾るよと満足気でした。」
「せっかく頂いた本を配るなんて不義理でしたね。 笑 」
「 あとでそっとロッカー開けて、ちゃんとそこに最後の1冊があるかを確認しました。
そこで初めて本のタイトルを目にしたんです。」
男子の本懐
「タイトルは私の趣味ではなかったんですが、このタイトルを目にして私は本を配った事に軽く後悔を覚えました。
やはり独り占めが正しい選択であったような気がしました。不義理という言葉はピッタリですね。」
私は運転手に対し不義理という失礼な言葉を安易に用いた事を後悔した。その言葉の重みを理解してるからこその私への対応に笑顔を添えてくれたに違いない。
その後、運転手は仕事で忙殺される日々が続いたのも、そんな気持ちを忘れさせてくれた一因であったらしい。
「男子の本懐の文庫本は自宅に持ち帰りはしたものの長く読まれる事なく放置してしまったんです。」
「仕事に忙殺されて、本を読む時間さえ作らなかった哀れな境遇でもありました。城山先生との約束も記憶の中で薄れていき、男子の本懐の文庫本は次第に埃をかぶっていきました。それと比例するかのように私の本懐は誇りを失っていくかのようでした。」
その不義理は、結局、今になっても後悔として残ってるらしい。だから雪が降ると思い出してしまうそうだ。
「ただ後悔を自覚するには、かなりの時間の経過が必要でした。私は運転手として普段の日常生活に戻っていたに過ぎません。」
「それから三年も経たずして城山先生の訃報に接しました。テレビで得た情報に故人の功績をあらためて思い知らされましたし、同時に記憶が鮮やかに甦ったんです。」
(短編でもいい!必ず書くんだよ!)
「あの時の先生の言葉、笑顔も紅茶の味も。私の頬を叩く雪の冷たさも。」
「私は、あの本を必死に探しました。」
男子の本懐
「まるで時が止まったように佇んでいたその文庫本を発見した時は嬉しかったです。
居ても堪らず一心不乱に読んだ記憶があります。」
この本のタイトルから滲み出す精神性みたいなものは、当時、荒川運転手の好みではなかったらしい。
「通常なら、そのタイトルだけで敬遠してしまうでしょうね。笑 なんか重々しい。」
「夏目漱石の こころ という本も未だに読んでいないし、タイトルに精神性を売りにする内容を匂わすのは、太宰治の 人間失格 以来の後遺症の所以です。あくまで私の好みの問題でもあるんですが。」
「司馬作品などのタイトルなんかは当たり前な感じで抵抗がないんですよね。内容は濃密な精神性を具現する作品も多いのに。精神性を盛り込んだ本は嫌いじゃないのがそもそも矛盾ですよね。所詮、私の曖昧性などはこんな処に現れるんですが、私は本に関して食わず嫌いが多いようです。それでも私は読まずにいられないんで、紅茶を態々(わざわざ)用意しまして鬼籍に入られた先生の冥福を祈りながら静かに読み進めたんです。」
私ももちろん読んだ事はあります。感想は如何でしたか?
「目から鱗でした。笑」
「その時代の政界や経済界を通して過去の日本人政治家の苦労が如何程なのかを知るに、これ程までの本を知らなかったんです。恥ずかしい限りでした。
この本たった1冊で、日本人観さえも補足され、私の室町期より昭和期までの日本人観の、特に1番足りなかった近代における日本人観が完成したと言っても過言ではないんですよ。
一番足りなかった部分、その部分を充足して余りあるものだったんです!知らずとは言え、これを書いた作者と少しの間でも時間を共有出来たのは光栄の一言につきますね。」
熱く語る姿、私は思わず唸ってしまった。
印象に残る客を聞いたのも、私の一種の野次馬根性みたいなもので、有名人のこぼれ話的なものを期待していたのだが、瓢箪から駒である。
最初は運転手の自慢話の様相も覚悟していたし、ましてや信憑性に関して聞く前から信用していなかったのであるが、これは事実であると判断せざるをえないと肌で感じた。
その運転手と私も楽しい時間を過ごしているのだが、当時の城山三郎氏も楽しいひとときを過ごされたに違いない。確かに荒川運転手さんには不思議な魅力がある。素朴で飾らない人柄は、見た目では目付きの鋭い顔立ちとのアンバランスさが何とも言えない雰囲気を醸し出している。私は職業で人の優劣を判断したりする拙速なタイプの人間ではないが、荒川運転手さんを見て、その姿勢の正しさを再認識させてくれた。
恐るべしハイヤードライバーである。
余談だが、城山三郎氏が荒川運転手に本の執筆を勧めたのは司馬遼太郎の話がきっかけではないかと推測してしまう。勿論、勝手な憶測を続けると城山三郎氏は司馬遼太郎に対して、それなりの思い入れがあったのかもしれない。
そして、司馬作品を愛していたのも事実であろう。
以下、勝手ながら私の司馬遼太郎の評価。
司馬作品については何故か、リベラル系思想の方々には評判が悪い印象がある。考えすぎかもしれないが、太平洋戦争の一部の関係者にも忌避されてる向きもある。既知であると思うが、司馬遼太郎は旧陸軍出身である。戦後に戦時における戦局評価を図面や資料を調べて敗戦の原因を調べたり、考察した部分は意外と評価されてないばかりか、司馬遼太郎は嘘つきだと罵倒する者までいる。確かに一部の遺族にとっては耳の痛い話も描写している。小説の写実的デフォルメを捉えて向きにならざるを得ない方々がいる程に説得力があるからだろうか?
司馬は決して戦争で祖国の為に散っていった者を辱めている訳ではない。司馬が伝えたい事は未来の日本人に対して日本人のあるべき姿を示す指標を整理したのかもしれない。
あくまで手前勝手な司馬観ではあるが、戦争を批判したり美化するのを目的にしてないように思える。
戦争を通して未来の日本人を憂う。良識と醜悪の一部分に関してドキュメンタリーチックに事例を挙げているものだから史実だと混同する方もいる。
肩の力を抜いて読めば素晴らしい小説であると今更ながら感じるが、異論はもちろん認める。
醜い日本人と美しい日本人の対比は未来に向けて発した司馬のメッセージであり、どちらを良しとして選択するかはあくまで読者に任されている。
その点で荒川運転手と意気が投合した。
かくあるべき日本人の姿、
未来の日本人に託す。
これこそが司馬作品の真髄であると私は見ている。それは現代に組織の上下関係を上手く生き抜くコツを示すサラリーマン必携書でもある播磨灘物語しかり、戦国時代の猛将をただの人間として、単純な英雄潭として描かなかった国取り物語にも言える。
坂の上の雲などに於いては明治期の軍人の思想と太平洋戦争での軍人の資質を比べるには他に比類のない作品である。
それは日本人と云う、ひとつのキーワードであり
これこそが司馬の司馬たる思想であり、哲学である。
おそらく荒川運転手さんの読解力と理解力に城山三郎氏も関心を寄せたのではないかと考える。それならば城山三郎氏の作品も正しく理解出来るであろうと沢山の著書を荒川運転手に託したのも、うなずける話だ。
司馬の後、正しい日本人の価値観を醸成する事業を継承したのは城山三郎であるのかもしれない。荒川運転手ならば正しく理解できるはずだと、そう評価したのだと信じたい。
それを荒川運転手に伝えると
「先生、申し訳ない。」と一言つぶやき、深く肩を落としてしまった。
私もしまったと思い、その後のフォローに苦慮をした。反省しきりである。人間的に足りないと思わざるをえない。
荒川運転手との別れ際には清々しさがあったのが救いであった。
「私の素性はバラさないで下さい!約束ですよ!笑 私はただの運転手ですから。」
もし、荒川運転手が本を頂いた後、すぐに読んでいたら運転手の人生は違った展開を見せていたかも知れない。それだけの人間力をも感じたが、結果は出過ぎた真似をしないようにとの配慮した運転手の姿があった。
接触を遠慮したわけである。
これこそハイヤードライバーならではの気遣いでもある。
あの日、あの時、城山三郎氏は運転手と接していたのではなく、職業の差別なく同等の人間として、志を共にする日本人として荒川運転手を扱っていたのではないか?とさえ思える。荒川運転手もそれが余程嬉しかったに違いない。
荒川運転手に喜びと期待を持って、城山本人が城山三郎評を聞くのを楽しみにしてたに違いない。
未だ果たせぬ約束は、未来永劫に果たせぬ約束となり、彼の深い後悔は、彼が生きてる限り消えないものとなった。
しかしながら荒川運転手はハイヤードライバーとしての本分を発揮しただけの事である。それは言うまでもない。これこそが、その価値を理解する顧客がハイヤーを愛する所以でもある。
そのドライバー達の精神文化をも肯定しているに違いない。
まさしく文化と表現しても過言ではあるまい。
私はこの運転手に出会ってこれほど高揚した気分になるとは思わなかった。
荒川運転手に限らず、ハイヤードライバーには何か不思議な魅力をもった者も多い。そんなドライバー達が日夜を問わず働き続け、顧客を感動させ高揚とした気分にさせているに違いない。
私の気持ちの高揚は、まさしくドライバーズ・ハイと呼ぶに相応しいものであった。
(完)
どの業界に限らず情報管理は厳しくなる昨今。ハイヤードライバーも例外に漏れず核心の部分はなかなか取材できない苦労を伴いました。
故に職業上、知り得た情報は外部に漏れる事は稀です。偶然な展開ではありましたが私が運転手と接点をもち、埋もれるはずのエピソードを紹介できたのは幸運な事でした。
仕事をしている以上は、どの業界であれ、必ず嫌なお客様は存在するものです。
私の出会ったハイヤードライバーの特徴は、顧客に対する敬意にあふれ、ネガティブな印象は愚か、愚痴さえ漏らさない点で一致していました。
そういった面に対しては真実の面を捉え切れなかったのかも知れません。しかし、顧客の名誉を守ろうとするドライバーの必死な姿、これはただ単に情報を出さないよりも難しい対応になります。それこそがハイヤードライバーとしての誇り、真実の面そのものだったのではないかと振り返るのでした。様々なタイプの運転手さん、そのいづれかも例に漏れず、接するだけで楽しいものばかりでした。不況の影響もあり、昔ながらのハイヤードライバーは少なくなりつつあるとの声も聞かれる昨今、古き良き精神文化が廃れつつある現状は惜しいものであります。是非とも今後のハイヤードライバーの奮闘に期待し、更なる発展をして頂きたいと存じます。