第一章:2013年、夏 (5)
明乃の買い物に付き合っていると、どういうわけか僕の両手にはどんどん荷物が増えていく。あれ、どうして翔太は手ぶらで僕ばかり手荷物が増えるのかな?
ちなみに明乃は凄い勢いで散在しているように見えるけど、こういう思い切った買い物は半年に一回くらいなので、平均するとそれほどでもなかったりする。
…っていうか、明乃さん、何でそんなに買い物上手なの!? 安くて上質な品を選ぶのはいいけど、その分、買う量が増えるのは僕の体力的に問題があるよ!
そんな僕の無言の抗議は、当然明乃には届かない。
なるほど、量を買うことによって僕の両腕の筋力を増強させようと言う作戦ですね、分かります。
とまあ、そんな逃避をしたいくらいには、僕の両手の荷物は増えていった。ち、千切れる。
「貧弱な男だわ」
「本当だな」
お前ら…。
でも正直本気で腕がやばかったので、そろそろ休憩をかねて昼食にすることとあいなった。某ピエロが不気味な笑みを浮かべているファストフード店にすたすた入っていく明乃。地味に好きらしい。
太るぞ? と言ったら腹に一発良いのを喰らったよ! ゲフェッとか変な声が漏れたけど二人とも無視してくれたよ!
「それに月に一回くらい好きなもの食べたってバチは当たらないわ。シーズンインまでまだ三ヶ月以上あるし~」
そんなことを言いながら口いっぱいにハンバーガーをほお張る明乃を見て、僕は嘆息する。
「翔太はどうなのさ」
「俺だって別にそこまでストイックって人間じゃないからな。一食ぐらいどうってことない」
まあそれは僕にしたってそうなんだけど。シーズンに入ったらそうは行かない。一キロも体重が変わった日にはまたジャンプの感覚がずれてしまう。
「あー、スケート好きだけどたまには気分転換は必要なのよねぇ」
フライドポテトを食みながらしみじみ言う明乃。微妙だ。美少女な分、余計にギャップが残念すぎる。萌えない、このギャップは萌えない。
「明乃はこれからどうするんだい? そこの虫は華麗に宅配業者に転身させて荷物を届けさせるとして、俺は午後からも暇なんだ」
「へえ~でもあたしも帰ろうかな。渡米してた間に録り溜めたドラマ見ないといけないし」
ちなみに明乃が今はまっているのは「丘の上の霧」とかいう歴史ものの大作ドラマだ。
「相変わらず変な「黙れゴミ夫」」
筆舌尽くしがたいダメージを受け、ズーンという擬音を背負って沈没する僕を完全無視してズズッとジュースを吸い込む明乃。
「…今年はこれから忙しくなるから、ゆっくり出来るのはもうそろそろ終わりかしらね」
「明乃は大変だよね。俺も頑張らないと。多分オリンピックとワールドは出られないだろうけど、四大陸くらいは出たいな」
「あー、あたしはどうしようかなー。グランプリシリーズ三試合エントリーしちゃったし、ファイナルにも出たらちょっと疲れちゃうかも」
「ファイナル出て、全日本に出て、年明けにアイスショー? で、二月に四大陸とオリンピックだったら、ちょっときついな」
「でしょ? だからスキップするかも」
「ディフェンディングチャンピオンが不在か。でも仕方が無いか。ワールドは?」
「多分出る」
「いいなあ。俺も今シーズンは無理でも、いつかは出たいな」
「その意気その意気。で、練習のほうはどうなの? 四回転やってるんだって?」
「ああ、まだ全然だけどね」
「あたしも今年からトリプルアクセル入れるかも。いざ勝負ってね」
「へえ、すごいな」
…何か僕お邪魔ですかね?
「リョーヘイ、ポテト追加オーダーしてきて」
「…はいはい」
何となく口を挟みづらい空気だったので、僕はすごすごとレジカウンターへ向かった。どうせ僕は単なる荷物持ちですよ。そうですよ。使用人ですよ。
カウンターのお姉さんからの哀れみの視線を受け流しながら、とぼとぼ。
うん、いいんだよ。僕は結局のところ雑兵ですから。スポ根系の話ではモブ以上の存在になれない人間ですから。
「はあ? あんたまた下らないこと言ってんの?」
げ、口に出てたか。席にもどってふてくされていた僕に、二人が胡乱な視線を向けてくる。
と、とりあえず取り繕わねば…!
「あはは」
「へらへら笑うな」
ぴしゃりと翔太が言う。
なんだよ。別にヘラヘラとかしてないし。なんだってこいつはいつも僕を目の敵にするんだ。
「…あんたたち本当に仲良いわね」
明乃はいつもそう言うけど、その目は節穴なの?
「あんたがおこちゃまなのよ」
「わけわかんないよ」
憮然とする僕に、ふたりとも取り合おうとしない。その日は、おおよそそんな感じで進んでいった。ファストフード店をでた僕は、明乃の買い物に再び付き合わされることになる。
その間もずっと、僕は何やらモヤモヤしたものを抱えていたのだけれど。
そのモヤモヤとした思いは、その後も、小さくなりはしつつも、胸の奥にくすぶったままだった。それが何なのか分からないまま。
そんなこんなで、夏は過ぎていく。いつもと違う夏が。そして、夏が過ぎれば、いよいよ――
――本格的なシーズンが始まる。
僕は、そこはかとなく落ち着かない気分で、その季節を迎えたのだった。
お、遅くなりました…。
次話からいよいよシーズンイン。