第一章:2013年、夏 (4)
「ど、どうしてこうなった…」
「は? 何か言った?」
日曜日。僕たちスケーターにとっては、貴重な貴重な休日である。僕の場合、その休日は映画を見るために費やされる。
映画は偉大だ。色んな世界へ行ける。
僕はスピルバーグやキャメロンやルーカスなんかの超人気監督はもちろんのこと、スコットとかデ・パルマみたいなああいう癖があったりダークな雰囲気がある映画も大好きだ。『スター・ウォーズ』は当然ブルーレイ・ボックス買ったし、『ジュラシック・パーク』も大好きだ。『アンタッチャブル』も凄く良いよね。ちなみに『エイリアン』よりは『ブレードランナー』の方が好きだったりする。
そういえば、去年のフリーで使った『ワルシャワ・コンチェルト』。あれも映画の曲だったんだよなあ。
そこで僕は閃く。
やっぱりフリーはピアノが入った映画の曲がいいかも(結局決まってない)。今までプログラムの選曲は父さんにほとんど任せてたから、プログラムで映画の曲を使ったことは何度も無い。
どうして思いつかなかったんだろう。なんかパッとしないと思ったら、普通のクラシック曲なんて、僕らしくないってことじゃないのか? 映画、映画の曲。ピアノの入った曲ならなお良い。
これが天啓と言う奴か!
僕の思考が横道へそれたところで。
「あんたどこ見てんの?」
「…ああ、思わず現実逃避してたよ…」
「やっぱりバカなんだな、お前」
「バカなのよ、こいつ」
「うるさい…」
はい、何となくお察しのことと思いますが、今ここには明乃、それにもう一人別の人間がおります。んで、ここがどこなのかと申しますと、JR札幌駅の横。まあ、いわゆるJRタワーという所ですね、はい。
次、なんでせっかくの日曜日、家でゆっくりと映画を堪能するはずがこんなところにいるかと言うと。
昨夜遅く。
『明日十時にJRタワーのいつものとこね。来なかったら○×△☆(自主規制)だから』
という色気もへったくれも無いメールが明乃から送られてきたためである。
そんなわけでため息をつきつつ待ち合わせの場所に行く。
そうしたら、明乃と一緒に、こいつがいた。この松下翔太が。僕が嫌いな男ランキングベストワンの常連だ。
「まったく、せっかく久々の北海道だというのに、変なものが視界に入るんだけど。ちょうどそこに屑篭があるから捨てていいかな?」
「捨てるな」
「な、口答えした…だって? まさか人語を操るとは…」
「お前の中の僕は一体のどんな生物なんだ…」
「むしろ無機物」
「…」
「相変わらず仲良いのね」
「「良くない」」
「STkm4(シンクロナイズドつっこみレベル4)! アイスダンスの選手も真っ青だわ」
もうどうでもいい…。っていうか僕の周りには口の悪い人間が多すぎるよね?
「「気のせいだ(よ)」」
んなわけあるか。どうしてこんな奴ばっかり集まるんだ。
「「日ごろの行いのせいだ(よ)」」
…。
お前らこそアイスダンスやればいいよ。
「…で、なんでここにいるのさ」
「そりゃ、北城のリンクにトレーニングと振付。明石先生にね」
明石先生とは北城大学で活動しているベテラン、明石浩正先生のことだ。
ひょろりとして眼鏡をかけた、年齢の割りにとても爽やかな人だ。ごろつきみたいな僕の父さんとは犬猿の仲、というか父さんが一方的に嫌っている。やっぱり小学生…。
そして、今僕の前に立って、ふん、と鼻を鳴らしているこの男。
松下翔太、北陸の円霞大学二年生。
僕が嫌いな男だ。父さんと明石先生との違いは、互いに嫌いあっているってところかな。
そう、この男こそ、昨年の東日本選手権で僕にあーだこーだとのたまってくれた、忌々しい男なのだ。
「そもそも何で僕がいなきゃいけないのさ」
「そりゃあ、男共は私の荷物持ちに決まってるじゃないの」
「だそうだ」
「…」
いや、まあ、分かってたけどさ。どうせ――
「久々に帰ってきたんだから時間あるうちにショッピングとか色々楽しんでおかないと!」
予想通り過ぎる理由です。本当にありが(ry
「俺は別に構わないよ。久々に来たし、少しは出かけようと思ってたから。ハエが一匹付いてきてるのが微妙だけど」
「素晴らしい例えだわ」
「ハエ…」
まあむしろ頭にハエがたかっている男の発言は放っておいて、僕たちが今いるJRタワー。JR札幌駅に隣接しているこのビルディングは、様々な店舗がひしめく大型商業施設だ。ただ様々な、とは言っても、二百万都市に迫ろうというこの札幌では、とりたてて珍しいというほどでもない。
だが駅に隣接しているだけあって、交通の便がよく、行きやすい。それに明乃のように中々時間の取れない人間にとっては、一つの建物で大概のものが揃うJRタワーのような場所は、とても都合が良い。
というわけで明乃からの呼び出しのほぼ二回に一回はこのJRタワーの正面玄関前になるのだ。
まあ、それは別にいい。だが。
「…おい、あれ…」
ざわ…。
「…ねえ、あの娘もしかして…」
ざわ…ざわ…。
「…ああ、フィギュアスケートの…」
ざわ…ざわ…ざわ…。
分かっていましたとも。
こうなることくらい分かっていましたとも。毎度のことですとも。
「それにしても、やっぱり凄いな」
翔太が言う。
「は? 何が? とにかく買い物行くわよ、荷物持ちたち」
「…これに気付かないのも凄いな」
「…確かに」
これは同意せざるを得ない。
何と驚くべきことに明乃は、これだけ衆目の視線を集めながらも、それに気付いたためしが全く無いのだ。
その分、僕の胃袋のほうは毎度毎度キリキリとダメージ蓄積されちゃうけどね!
…穴が開かないといいなぁ。
「だから何がよ?」
というか、本人だけ気付いていないというこの状況は、いささか不公平なんじゃなかろうか。いや、明乃が悪いわけじゃないのは分かってますよ。
でも鈍感力全開で鼻歌なんか歌いながら歩き出す明乃に、僕が何とも言えない残念な気持ちになるのは、まったくもって仕方の無いことだと思う。
僕はもう癖になってしまったため息をつき、スキップで天まで昇っていきそうな明乃の後を追った。
買い物編はまだ続くらしい。