第一章:2013年、夏 (3)
「で、どうするんだよ」
「…どうしよう」
僕が今いるのは、北城大学のアイススケート部の部室。スケートリンクの施設の中に組み込まれている部室は、二階にあるので日当たりが良く、いつもは明るい。ただ今日は外は土砂降り、当然部屋は暗い。
ゴロゴロピシャーンとかいう雷をバックに二人で相談しているので、まるで良からぬ事でもたくらんでいる雰囲気だな、とかどうでもいい感想が浮かぶ。
「去年もピアノだったからな、ピアノの曲はもう良いんじゃないのか?」
「うーん、でもピアノ好きなんだよね。ピアノは楽器の王様だよ」
「お前が弾くわけじゃないだろう」
「好きな曲で滑りたいって、あるじゃん」
と言うわけで、今僕はコーチと、振付の打ち合わせ。新シーズンに向けたフリープログラムの曲選び。ショートはもう決まっていて、昨日から振付も始めているが、フリーはまだ幾つかの候補の中から選んでいる最中だ。
「この三曲のどれかだったら編曲も終わってる。すぐに振付に入れるぞ」
「うーん、でも…」
「はっきりしない奴だな」
でもピンと来ないんだから仕方ないじゃん。CDラジカセで曲を聴きながら、僕は首をかしげる。
用意されたのは、「リバーダンス」からのセレクション、ピアソラの「リベルタンゴ」、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の三つ。どれも耳に馴染みがあって、しかも僕が滑ったことの無い曲ばかり。
悪くない選曲だとは思うんだけど…。
「オーソドックス過ぎない?」
「つまりどれも良い曲ってことだろうが?」
そういう考え方もあるにはあるが。
「とりあえずもう少し考える」
「そうか…」
どことなく残念そうなのは何故だ。面倒だからとかじゃないだろうな。
「そういえば」
「なんだ?」
「明乃から伝言。浜名先生がよろしくって」
「…」
むっつり。
「…聞いてる?」
「…あ、ああ、分かった」
はあ、まったくこのおっさんは…。
「とにかく、フリーはまた明日相談する」
「…そうだな」
「じゃあ、練習してくるから」
「ああ。俺がいないからって手を抜くなよ。分かってるだろうな?」
コーチはこの後別のリンクでジュニア選手の振付の依頼がある。今日は一人で練習だ。
「りょーかい」
そう返すと、コーチ…父さんは何だか心もとない足取りで部屋を後にした。これだから面倒なんだよ…。今日の当番は父さんだけど、多分あの調子だと夕飯はカップ麺と冷凍ご飯で決まりだ。あー、焼きそば弁当残ってたかなぁ。
まあ、今から気にしても仕方ない。それより、プログラム、何にしよう。
プログラム、特に競技用のプログラムになると、色々と制約が多い。
ショートプログラムは2分50秒以内。フリープログラムは4分30秒±10秒の間。さらに男女シングルとペアではボーカル曲は禁止。正しは、歌詞入りの曲が禁止なので、歌詞の無いコーラスなどはOK。
これらを違反すると減点-1となる。
大抵の場合は既存の曲を編集してそれにあわせるわけだけど、案外これが難しい。
だってプログラムの中でやることは決まっている。
フリーで言うならば、ジャンプが八つ、スピンが三つ、ステップが二つ、という具合に。
しかもジャンプの助走とか、スピンの回転数とか、ステップの要素とかを考え、なおかつ音楽と調和したプログラムを作るのだ。
時々上手くいかないことがある。スピンのレベルを取ろうと思ったら音楽とずれてしまったり。逆に音楽に合わせればレベルが取れなかったり。
女子だとスパイラルなんかで時間が足りないと得点にならなかったりもするし。
そんなこんなでスケーターや振付師は普段から、クラシック音楽や映画のサントラなんかを耳にすると、プログラムに合うかな? と条件反射的に考えることが多い。
お、この曲のこのフレーズでステップを踏むと盛り上がりそうじゃね? とか、あーこの曲のこことここを繋げればいい感じにまとまりそう…ってな具合に。
そうして選んだ曲を編集しつつ、コーチや振付師の先生と一緒に、プログラム構成を練っていく。
僕の場合はコーチと二人。技術的なことをまとめて話し合えるからこれはこれで良いんだよね。
でも今回に関しては、コーチの琴線と僕の琴線がちょっとずれてたってことなんだろう。
本当に満足のいくプログラムを作るのは簡単ではないのだ。
「ねえ、明乃は今シーズンのプログラム何にしたんだっけ」
「んー、ショートはプッチーニの『トスカ』」
一足先に練習を終えた明乃にそれとなく尋ねた。重厚なメロディが頭に流れる。明乃にしては珍しい選曲だ。
「ま、一番好きなオペラだったから。好きな曲で滑りたかったし」
僕と同じようなこと言ってるな。
いやでもそれだけじゃないはずだ。絶対あの選手が五輪で使っていたのが主な理由に違いない。
ちなみに明乃憧れのあの選手とは、カウガールではなく、金パンツである。
「他は?」
「フリーは結構悩んだんだけど、ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』にしたわ」
「ああ、日本人がロシアで演じる『パリのアメリカ人』って良く分からんな」
「絶対言うと思った」
ビュゥオウ! と飛来する拳。こわっ。っていうか女子選手で『パリのアメリカ人』ってそれも珍しいような。
「エキシビションは?」
「二つ作ったけど」
「へえ~」
普通作るとしてもエキシビションは一つだ。ちなみに僕は作る予定は無い。エキシビションを滑る予定が無いんだから当然である(涙)。
「片方は『美女と野獣』のピアノアレンジね」
「おおう…」
「何その反応?」
べ、別に見た目は別にして中身はむしろ野獣? とか、そんなこと思って無いんだからねっ!
「ごめん、燃やすわ。まるごと」
「ひぃ、すみませんごめんなさい丸焼きは勘弁してください」
…あれ、でももう一つのプログラムは何だ?
「秘密」
「秘密って…あ」
なるほど。僕は納得する。
何と言っても今年は四年に一度の特別なシーズンである。そして明乃は現世界チャンピオン。もちろん狙うは一つ。
「ま、願掛けってやつかしらね。ちょっとだけ言うと、ロシア人の曲。せっかくロシアでオリンピックあるってことでね…」
僕には遠すぎて全く実感とか無いんだけれど、明乃は違う。もうその頂点に片手をかけてる。
五輪で滑るためだけに準備したプログラムがあるんだろう。それだけ本気で狙っているんだろう。
やっぱり遠いな~。
何となく、僕はそんなことを思ってしまった。それに気付いたのか、明乃が変な顔をしていたけど、僕にはどうしてそんな顔をするのか分からない。
「…とりあえず、あんたはあんたの目標へがんばりなさい」
「うーん」
僕の目標なんて、些細なもんだ。
明乃はあきれたように、
「いいから、そこはとりあえず分かったって言いなさいよ」
「うい」
まったくもう、とため息を残して明乃は帰っていった。僕はリンクに一人残って、同じくため息を漏らした。
…とにかく練習はしよう。氷に乗れば、面倒なことは忘れられるかもしれないし。
プログラムについては今夜寝ながら考えればいいしね!
一月ぶりになってしまいました。
<追記>またアホみたいな勘違いしてました…。