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銀盤奮闘記  作者: 左藤
第一章:2013年、夏
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第一章:2013年、夏 (1)

『やる気無いんじゃないのか?』



 試合終了後に、あいつが言った。


 何を言う、僕は真剣にやってる。言い返そうとしたが悔しさにまみれ言葉にならない。僕は練習のときからあいつを見ていた。六分間練習終了間際、わざわざ僕の横を滑りぬけてトリプルアクセルを決めて見せた、鼻持ちなら無いあの野郎。


 あの野郎、だなんて誰かさんの影響を受けすぎかもしれないが、それが僕の中でのあいつの評価であることも変わりない。



 ちなみにあいつは実際に本番でトリプルアクセルを決めて見せたし、表彰台にも上って全日本選手権の出場を決めた。


 そして僕の演技について、こんなことをのたまった。



『はっきり言って、くだらないよ』



--



「なんだとぉう!」


 思わず大声を出して起き上がると、白いカーテンの隙間からやわらかい朝日が漏れていた。見回すと、そこは自宅の、自室。どうやらまた夢を見ていたらしい。



 東日本選手権で惨憺たる結果に終わったのは、もう半年以上も前のことだ。にもかかわらず未だに夢に見るとは、我ながら情け無いというか何と言うか。


「おい、どうしたんだ大声出して」

「あ…なんでもない」

「そうか。朝飯、早くしろよ」


 ドアの向こうからの声に答える。そうだった、今日の当番は僕だ。思い出したように漏れた欠伸を噛み殺し、パジャマのまま立ち上がる。


 時刻は午前七時。急がねば。



 僕の家は、3LDKの普通のアパートだ。そこで父との二人暮らし。生活にはまあ、服もご飯も電気も水道もガスも滞りはなく、困っていない。家事は二人で交代でこなし、その後父は仕事へ、僕は大学へ行く。


「…」

「…」

「…」


 黙々と僕が準備した朝食を二人で食べる。これは決して仲が悪いとかではない。


「…」

「…」


 美味い。


「…」

「…」

「…」

「…今日の練習は?」

「午後の講義が終わってからすぐ行く」

「そうか」

「…」

「…」


 断じて仲が悪いわけではない。ただ単に、二人ともこういう会話が苦手なだけだ。まったく、家でなけりゃ普通に会話できるのに。


 てきぱきと二人で片付けて、食器を洗い、僕は部屋へ行き着替える。



 僕が通う北城(ほうじょう)大学は、北海道で唯一、大学内にリンクを持っている。なので道内を拠点にするスケーターの多くは、ここに進学する。僕も昨年の春からここに通う、列記とした大学二年生だ。


 学校へはバスで通う。札幌市近郊の田園地帯にキャンパスを構える北城大は、僕の家から約四十分。どちらかといえば近い。田んぼの中に鎮座する建物群はそれはそれで異様ではあるが、多分、土地の広さとか値段とか色々あったのだろうと僕は勝手に想像している。



 はっきり言って、僕は勉強があまり好きではない。高校にも大学にもスポーツ推薦で入学している身なのだから、ある意味当然かもしれない、と無理やり納得している。


 午前中は文学の講義。右から左へ。午後には政治・経済が入るが、左から右へ。


 僕の興味はほとんどスケートと映画のどちらかに振り分けられているので、もう他のものが入る余地はあまり無い。



 講義をどうにかこなした後は、その足で敷地内のリンクへ向かう。もちろん練習のためだ。



 フィギュアスケーターは、ほぼ練習漬けの毎日である。


 僕の場合は講義が終わった後、午後四時ごろから八時過ぎまでのおおよそ四時間、試合が近づくと講義を休みさらに二時間ほど練習する。それがシーズンオフのわずかな休みを除いて一年間ずっと続くわけだ。


 もちろん練習と言っても、ただ滑って跳ぶわけじゃない。吐き気がするほどのランニング、うんざりするほどの筋トレ、無酸素運動など、死にたくなるような陸トレメニューが盛りだくさんだ。


 人間やれば出来るんだなぁ…。


 でもまあこれは一番大変な時期であって、今日の練習は普通の氷の上で滑ること。


 でも一口に氷の上を滑る…と言っても、さらにその中で色々とやることがあるわけで。スピンにステップにジャンプ。しかもそれぞれがまた色々分かれる。



 例えばスピン。ただ単にスピンと言っても、膝を折って座ったような姿勢になるシットスピン、上体と片足を氷と水平に伸ばした状態で回るキャメルスピン、立ち上がった体勢のアップライトスピン、背中と足をそらすレイバックスピン、さらにそのバリエーションが目が回るほどある。


 競技で使うには、試行錯誤して様々な組み合わせを練習しなければならない。スピンが好きじゃない僕は練習しすぎると本当に目が回ったりする。



 ステップ。もうこれに関しては言い切れない。ロッカーターン、カウンターターン、ツイズル、トウステップ…気が変になりそうなくらいのフットワークの数々。競技会ではそれらを複雑に組み合わせ、しかも音に合わせつつ踏みながら、さらに上半身は大きく動かして音楽を表現する。


 油断するとステップだけでヘロヘロになる。



 最後は何と言ってもジャンプ。僕が競技で取り組んでいるのは六種類ある三回転(トリプル)ジャンプを全て入れることだ。もちろん全て練習するし、コンビネーションの組み合わせ方も無数にある。世界レベルの選手になるとこの他に複数種類の四回転(クワドラプル)まで入ってくる。


 それにトリプル以上のジャンプになると、耳元で風を切る音が聞こえるくらいの速度でジャンプに入っていくものだから、転んだときの衝撃も並じゃない。凄く痛い。場合によっては骨がボッキリとイッてしまうこともある。


 僕も中学時代に転んで左手の指を強打し、骨折したことがある。練習を三日休んだ。



 スケート選手って楽々やってるように見えても結構超人集団なんだよ?



 そしてフィギュアスケートを語る上で欠かすことの出来ないのは、コーチの存在。一人で練習していると気づかない点というものが多々ある。


 スピンのレベルが取れているかどうか、深いエッジでステップを踏めているか、ジャンプのタイミングや軸がずれていないか。そういう諸々の要素について、選手を見守り、改善点を指摘し、どうすれば良いのか指示を与える。


 それがコーチ。


 僕のコーチは北城大のリンクを拠点に指導しているので、僕は毎日コーチの指示の元に練習に励むことが出来る。


「違う! お前、耳付いてんのか? 俺の話聞いてたのか? 何なら頭かち割って直接脳みそに書き込んでやるぞ」


 ちょっと心が折れそうだが。



 どこのヤ○ザ? というこの男が僕のコーチ。


 口調もさることながら、見た目もごついしでかいし、顔も怖いし、全体的に無駄に質量がある。どう見てもコーチというよりどっかの企業舎弟の親分です。


 そんな見た目だが、意外なことにコーチとしての実績はそこそこであり、過去に国際大会で入賞した教え子もいる。


 僕も何度か会ったことがあるが、初めてその人に会ったとき、可哀想な生き物を見る目で、搾り出すように「…めげるなよ」と言われた。


 うん、今ならその気持ちも良く分かります(遠い目)。


「そんなところに転がってないで、とっとと体を動かせ」


 ステップでけっつまづいて大の字になった僕に容赦なく叱責が跳ぶ。鬼め。


「今何か言ったか」

「ん? 何も言って無いけど?」


 どこか納得できていない顔のコーチだが、そんなことに構わず僕も涼しい顔で練習再開。もう慣れたもんだ。



 その後もああだこうだと言ったり言われたりで練習を続け、周囲のリンクメイトから生暖かい諦めの視線を向けられつつも、コーチの腹いせのつもりなのかいつもよりも苛烈気味のメニューをこなした。


 日が長くなった今の時期でもほぼ外は真っ暗と言うくらいの頃、ようやく開放される。



 僕はもう歩くのも億劫というくらい疲れきっていたわけだが、コーチの方はざまあ見ろといった様子でニヤニヤ笑っていたりする。どこの小学生だ。


「もっとまじめに練習することだな」

「その笑顔、どういうわけか凄く腹立つんですけど」

「んなこたぁ分かってる」

「最低だ」

「褒めても何も出ないぜ」


 我ながら変わった関係の師弟ではあると思うが、いつの間にかこうなってしまったのだから仕方が無い。信頼の一つの変化形ということにしておこう。


 よぼよぼした足取りで僕はロッカールームに向かう。僕まだ十代なのに…。


「おい、ちょっと待て亮平」


 そこでえらく真面目な顔のコーチに呼び止められた。


 何だ、まだ何かあるのか。げんなりした僕に、コーチは神妙な顔で当たり前のように言った。


「今日の晩飯は、カレーが食いたいな」


 僕はため息をついて「リョーカイ」とつぶやくと、フラフラと帰路についた。これが僕のコーチかつ義理の父でもある嵯峨洋次郎(サガ ヨウジロウ)であり、僕の日常なのだった。

相変わらずの誰得小説ぶり。

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