【3】揺れ動く感情
考えたことがなかった。
誰かに恋愛感情を抱いてもらえるなんて。まして、出会いがあるなんて。
いつも必死だった。
祖父に迷惑をかけないように。負担を、かけないように。
いつからそんな意識だったのか。
物心がつく前から、店を手伝うのが当たり前で──でも、それは祖父に強要されたことではなく。
祖父と離れるのが、ただただ不安だった。離れたくないとそばにいたら、店の手伝いをしていただけだ。
そうだ。
最初はその一心だった、のに。
店の手伝いをすることが日常になっていて──ある程度の年齢になり、ふと、眺めていることがあった。
それは、同年代の子たちが遊んでいる光景。
それは、同年代の子たちが学びの場に行っている光景。
『遊びたい』と、『行きたい』と言えば、祖父はいつだってすぐ行かせてくれただろう。
けれど、そのころにはもう、言えなかった。
祖父が留を重荷と思っていないと言い切れるのに。留自身は重荷になりたくないと、思うのが常になっていて──。
恋愛なんて縁がないと、いつの間にか諦めていた。
ただ、祖父はお節介なところがある。だから、いつまでも留が家庭を持とうとせず、もたもたしていたなら。
──見合いをしろと、縁談を持ってくるのかも。
なんて、勝手な想像をしていた。
──それならそれで、いいかな。
どっちでもいいと恋愛をしようともせず、自ら何も望まないようになっていって。
何でもかんでも、流されていくようになっていた。
原因はわかっている。
判断するには幼すぎたころに、『言えない』と強く望んだことを諦めたからだ。
庾月に会って、鮮明に思い出してしまった。
あのクロッカスの──あの人は、別の大陸の人で。留の居場所のない、別の家庭がある人で。
初めて会ったときに感じた高揚感が。
『迎えにきてくれたのか』
一瞬でも強く抱いてしまった感情が。
罪悪感となり、後々襲ってきたのだ。
庾月が帰った後も、留の頭にはグルグルと同じようなことが回って──しかも離れないでいる。
集中できていないと強引に頭の片隅に追いやっても、集中力は戻ってこない。
地に足が着かない感覚でも、仕事をこなせて安堵する。これほど、慣れに助けられたことはない。
庾月は、頑なに出身を言わなかった。
それがまた、留には苦しかった。
「じぃちゃん、おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
仕事中に、どんなに違うことを考えていたって、時間は過ぎていく。
一日は終わっていき、また始まる。
「じぃちゃん、おはよう」
「なぁんだ留。寝付きでも悪かったか?」
「そんなこと……ないよ」
繰り返しのような、決められた時間で動く同じような日々が。
「買い物、何か追加する?」
「あ~、そのままで構わねぇよ」
「そう? じゃ、行ってきます」
『気をつけてな、留』と見送る声に、『は~い』と返す。
大きな汽笛が鳴り、正午を町に告げる。
町に溶けていくと、雑踏に紛れて思考が混ざってくる。
父は認知をしてくれている。
きっと、留に何があっても困らないようにであって、その想いだけで充分だ。
父の血筋を思えば──庾月との身分差は、果たしてどちらにあるのか。
そんな考えも浮かんだが、父の名を出す気はない。それに──。
──血統があったとしても。
育ちが根本的に違う。
不相応だ。
風を感じて町を歩きながら、感覚だけでぼんやりと店を巡っていく。
目に入っているはずの景色が、まったく情報として入ってこない。
庾月の言葉通り、様々な要素を取り払えば──こんなチャンスは二度と巡ってこないと、結論はかんたんに出る。
あんなにまっすぐ見てくれる人に、この先出会えるとは到底思えない。
それに、何より──庾月はかわいい。
スルリと、手から物が落ちた。
──あれ……。
ドッと顔が火をふく。
ドキマギと感じる、違和感。
留は慌てて落とした物を拾う。
──いつから……。
好意を寄せていたのか。
祖父に心配をかけたくない。これが、大前提なのに。
庾月を、他の誰かに渡したくないとも強く押し寄せてくる。
そうだとしても──ハッピーエンドを、描けない。
──庾月の家族が、『俺』を認めるわけない。
これも大前提で、揺るがない。
──何を庾月の家族言われても……納得しかない。
ポンポンと拾った袋を叩いていると、ふと過る。
──別に、結婚するわけじゃ……。
早合点していたとハッとする。
庾月と付き合ったところで、身の振り方を考えなければならないわけではない。
『恋愛』だ、あくまでも。
そんな根本を再認識し、ようやく息を深く吸えた気がした。
今の庾月は、『異国の者』という物珍しさに興味が勝って、一途に想いを寄せてくれているだけかもしれない。
──もし、付き合ったとしても……。
いずれ庾月の家族が口出しをしてくるだろう。
そうなれば庾月だって──。
──目を覚ますかもしれない。
ブワッと駆け巡った痛みを、鈍感に受け流す。
そうして留は、抱えた買い物袋をあやすようにポンポン叩く。
ポツポツと歩いて、心の針が振れる。
一生の思い出くらい、いいかなと。
ちょっとくらい、祖父に甘えてみても──。
──いいの、かなぁ……。
駄目にも、いいにも何度か振れ、迷う。
「ん~……」
思わず唸れば『駄目』に大きく振れて。
『すぐに飽きられて振られるかもしれない』と笑う。
そして、留はまた抱えた買い物袋を軽快に叩く。
──ああ、そうだ。次に会うを約束したわけでもない。
一度大きく傾いたものは戻らず、『からかわれただけ』と笑う。
帰宅するころには、『真剣に悩んでしまって、おかしかった』と軽く笑えていて。その日は何だか解決したみたいにスッキリとしていて。
笑って過ごしていたら──。
庾月は約束したかのように麗人とやって来て。
長くてきれいなクロッカスの髪の毛に目を取られて。
呼ばれていないのに、瞳が合って。
先日の庾月の言葉が、鮮明に蘇った。
『私、留のことが好きよ』
手元がグラついて、危うくバランスを崩しそうになる。
下げる皿だったのが幸いした。留は軽い息を吐いて、心を落ち着かせようと努める。
皿を下げれば、できあがった料理があり運ぶ。心を揺らしている場合ではない。
ただ、何往復かして、料理を運ぶテーブル番号を聞いたとき、留はドキリとした。
平常心──をなるべく心がけ、料理を手に向かう。
テーブルを前にして立ち止まると、庾月が見上げて微笑んだ。
留も『接客だ』と心得て、口角を上げ料理名を言う。あとは料理を置けば終わり──と、料理を置いたそのとき。
庾月が耳元で無邪気に囁いた。
「また、営業の最後に、お茶を入れてくれないかしら」
瞬時、留の呼吸は止まった。




