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馬車は宿場町を離れ、再び穏やかな街道を進み始めた。窓から差し込む午後の光は、グレースのシルバーブロンドの髪を淡く照らし、その涼しげな横顔の美しさを一層際立たせていた。
「(それにしても、カイル殿下はなんて気が利いて優しい方なの!レギオス国ではきっと完璧な彼に夢中のご令嬢が多く、私は周りから嫉妬され、憎悪の対象とされるに違いないわ!)」
俺は、彼女の心の声を聞いて、はっと我に返った。彼女の不安は、俺を「完璧な第三王子」だと勘違いしている限り、消えることはないだろう。俺は、姿勢を正し彼女の澄んだ瞳を見つめて言った。
「王宮に着く前に、君に話しておきたいことがあるんだ」
俺は、レギオス国での自分の立場について語り始めた。
レギオス国の高位貴族しか知らない、決して誉められたものではない俺の出生につきまとう疑惑と母の罪。
「…だから、俺はこの国では少し浮いた存在なんだ。グレースには申し訳ないが、俺の背景を知る高位貴族から今後嫌味を言われたりして、嫌な思いをするかもしれない」
これを聞いた彼女がどう思うか、正直不安がなかったわけではない。
俺は無意識のうちに、顔の火傷の古傷に触れていた。
「俺の周囲はこの火傷の醜い傷跡を嫌悪する令嬢達ばかりだった。俺のこの火傷を不吉な生まれの証だと囁く者も中にはいるんだ」
彼女も不吉な証などと伝えたら怖がるだろうか。そう思って冷静な表情のままでいるグレースの様子を窺った。しかし、俺の耳に届いたのは、予想もしない温かい声だった。
(…私は傷を怖いなんて思わないわ、むしろカッコいいって感じるのはなんでかしら)
グレースの脳裏に、まだ5歳くらいの幼い日の彼女の姿と、薔薇の手入れをする無骨な老人の姿が浮かんでいるのが伝わってくる。日に焼けた肌に、古傷を持つその老人は、彼女の実家の庭師だった人物のようだ。
老人はどことなく長老に雰囲気が似ていた。
*****
「庭師さんは昔軍人さんだった頃に足を怪我してしまったのでしょ?だから今足を引きずって歩いているのよね?辛くないの?」
「ふぉふぉ、そりゃ辛いよ。傷があるだけで、痛むし、仕事は限られるし、人から蔑まれることもある。じゃが、名刀ほど、何度も叩かれ、火に入れられ、その鍛錬が、剣の切れ味になる。儂の傷も同じじゃよ。「傷」を持って人前に立っているってだけで、人一倍難易度が高い、人生という戦場から逃げずに、真正面から受け止めている証だ。『試練を越えた勲章』なんじゃよ」
「シレンをこえたクンショー?」
「ふぉふぉ、お嬢様にはまだ難しい言葉だったな。苦難に立ち向かった者だけが、本当の強さを手に入れられるということじゃよ。お嬢様も辛い事があるじゃろうが、それを乗り越えられることはカッコいいことだと覚えておきなされ」
*****
――ああ、そうか。
俺は、その記憶の中の老人の口調を聞いて、腑に落ちた。
彼女の脳内に住むあの厳しくも温かい『長老』は、この庭師のお爺さんがモデルだったのか。彼女は辛い時、無意識に彼の言葉を反芻し、自分を奮い立たせてきたのだろうか。
その事を知った瞬間、俺の中で彼女への愛しさがまた一つ、深く積もった。
そして、現在のグレースの心の声が、その教えを俺に重ね合わせる。
(カイル殿下のこの傷も、逃げずに戦った証だわ。不吉だなんてとんでもない、彼にとっての勲章……だからきっと、とってもとっても、カッコいいって私は感じるのだわ!)
「殿下。私は、その傷を怖く思いません」
――っ。
グレースの凛とした言葉と心の声に、心臓が早鐘を打ち、顔に熱が集まるのがわかる。
周囲から蔑まれ、俺自身が誰よりも醜いと呪い続けてきたこの傷を。
彼女は「勲章」だと言ってくれるのか。「かっこいい」と、そう思ってくれるのか。
その一言で、長年俺の心を縛り付けていた鎖が、音を立てて砕け散った気がした。
「……っ、君には敵わないな」
俺は口元を手で覆った。胸の奥が熱くなり、どうしようもない幸福感が広がっていく。
彼女が隣にいてくれるなら、俺はどんな壁も乗り越えられる気さえした。
「いや……ありがとう、グレース。君に出会えて本当によかった」
もっと彼女と心を通わせたい。この関係をもっと進めたい、そう思い俺は提案した。
「これからは、他人行儀な呼び方はやめてほしいんだ。俺のことは『カイル』と呼んでくれないか?」
「えっ……で、ですが……」
「俺がそうしてほしいんだ。……だめかな?」
少し甘えるように頼んでみる。グレースは驚いたようにアイスブルーの瞳を丸くし、硬直した。
だがその直後、先ほどのカリーパン祭りを凌駕する大騒ぎが、俺の脳内に響き渡った。
「(名前を呼んでほしいだなんて…。殿下が私に、心を許してくださった証拠みたいで嬉しいわ!)
「(ふぉふぉふぉ!こりゃめでたい!さあ、旗を振れ!総員、旗を振るのじゃー!)
彼女の脳内で、長老とヒロインちゃんが『カイル』『カイル様』と達筆に書かれた旗を全力でブンブンと振り回している。空からは大量の紙吹雪。
俺の名前が書かれた旗が振られている光景は、なんともこそばゆく、そして最高に嬉しかった。
「……はい、カイル……様」
わずかに頬を染めたグレースが、小さな声で俺の名を呼んだ。
その愛おしい声を聞いただけで、胸に熱が広がるのを感じ、俺は歓喜の笑みを隠すことができなくなったのだった。




