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馬車の窓枠に切り取られた空は青く澄み渡り、降り注ぐ木漏れ日が車内に揺らめく。
レギオス国へ向かう馬車の中、俺の向かいに座るグレースは、彫像のように美しく冷静な表情で窓の外を見つめていた。
だが、俺にはそんな彼女の見た目とは裏腹な、心の映像が見えていた。数日前に、俺の言動により生死が危ぶまれた悲劇のヒロインちゃんと長老が、彼女の心の中で無事に復活していた事に、俺は内心安堵していた。
*****
悲劇のヒロインちゃんが、ハンカチを噛み締めながら叫び始めた。
「(わーん、不安だわ!レギオス国語は学んではいるけど、細かな言葉のニュアンスの違いで誤解されたらどうしましょう!)」
学者風のローブ姿の長老が、悲劇のヒロインちゃんを勇気づけるように肩に手を置いて言った。
「(ふぉふぉふぉ、落ち着くのじゃ!お前はレギオス国の辞書を丸暗記した努力家じゃろうが!お前はこれまで、語学に関して血の滲むような努力をしてきたはずじゃ!その努力は裏切らん! )」
「(でも、こんなに不安で一杯では、レギオス国のマナーもしっかり学んでいるけど、失敗してしまうかもしれないわ!)」
「(失敗や不安を恐れるな!不安を感じるのは、お前が真剣に未来を見つめている証じゃ!その不安こそが、お前を成長させるための原動力となる!失敗は『そのやり方では上手くいかない』という貴重な発見じゃ! 臆せず試行錯誤を繰り返すのじゃ!)」
「(そうね。でも、レギオス国の社交界では、私は無表情のせいで爪弾きにされてしまうかもしれないわ!もっと兄に隠れて、笑顔の表情筋の訓練を鏡を見ながらちゃんとしておけば良かったんだわ!)」
そう言って、泣き始めた悲劇のヒロインちゃんを、長老が頭を撫でながら慰めた。
「(泣いても笑顔はうまくならんぞ!ほれ、ここはレギオス国じゃ!そうじゃ!外はカリカリ、中はトロトロ!スパイスの黄金比率!伝説の『レギオス・カリーパン』の本場へ来れたんじゃぞ!!)」
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長老の怒涛の励ましと、そこからの一瞬の躊躇もないカリーパンへの思考の切り替えに、俺は思わず吹き出しそうになった。
俺はこみ上げる笑いを必死に噛み殺し、あくまで偶然を装って提案した。
「グレース、少し休憩しようか。ちょうどこの先の宿場町は、揚げたてのパンが名物なんだ」
俺の言葉に、グレースはハッとしたようにこちらを見た。
「……お気遣い、感謝いたします」
その粛々とした返答の裏で、彼女の脳内では長老とヒロインちゃんが手を取り合ってスキップしていた。
彼女の思考回路が愛おしくて、俺は口元が緩むのを止められなかった。
◇
御者に頼んで買ってこさせた揚げたてのカリーパンを、グレースは静かな表情で受け取った。
そして、一口かじった瞬間――
「(美味ーーーッ!!なにこれ、美味しい! 辛さの中に甘みがあるわ!)」と悲劇のヒロインちゃんが興奮し叫んだ。
「(ふぉふぉふぉ!これぞ本場の味!人生とは、カリカリとトロトロの絶妙なバランスじゃ! 不安というカリカリがあるからこそ、成功というトロトロが美味いのじゃ! 全てを味わい尽くすのじゃ!)」と、長老はよく分からない事を叫んでいる。
『わっしょい!わっしょい!』
『カリーパン万歳!カリーパン万歳!』
……胴上げだ。
なぜか彼女の脳内広場で、長老とヒロインちゃんが、巨大なカリーパンを神輿のように担ぎ上げ、胴上げして練り歩いている。
現実のグレースは、眉一つ動かさず優雅に咀嚼しているというのに、心の中はさながらカーニバルだ。
「気に入ってくれたみたいでよかった」
「……大変美味しゅうございます」
口元の汚れを丁寧に拭うグレースは、傍目には冷淡な反応に見える。しかし、俺には彼女が最高に喜んでいることが痛いほど伝わっていたのだった。




