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俺は、謁見室の隣の小会議室でビブリ国王と最終交渉を終えた後、王城内の控えの間にいるグレースを迎えに行った。
彼女の前に立つと、俺は深く息を吸い込み、これから自分の見せる姿について、包み隠さず正直に告げた。
「俺はこれからレギオス国の権威をかさに着て、君の父君と兄君をこのビブリ国の王城に呼びつけ、強い口調で話すことになる。そんな俺の姿を、不快に思うかもしれないが。どうか一時、許してほしい」
俺は、自分の行動が彼女の心に影を落とすことを恐れ、正直にそう告げた。
グレースは微かに目を見開いた。その表情は一瞬の驚きを湛えた後、すぐに凛としたものに戻る。彼女は、俺の懸念が杞憂であることを、言葉と態度で示してくれた。
「不快だなんてとんでもないです、殿下。 私の気持ちを、そこまで尊重してくださり、ただただ嬉しいだけです。ありがとうございます」
そして彼女は、「行ってください」と、未来を託すような視線と共にコクンと頷いてくれた。
俺はグレースを伴い侯爵たちが待つ部屋へと向かった。重厚な扉の前で、俺が視線を送ると、控えていた従者がそれを察して扉を開いた。そこは先ほど国王と交渉した小会議室で、ビブリ国王と第一王子が奥の席に座り、その向かいにロートシルト侯爵と長男オーギュストが青ざめた顔で座っていた。
部屋は重苦しい静寂に満たされていた。俺は侯爵とオーギュストの前に立ち、彼らの内心に意識を向けた。
侯爵の心の声が、醜悪な保身の言葉と共に入り込んでくる。
「( グレースは今やレギオス国第三王子の婚約者だ。これからはグレースの価値を最大限に利用するしかない。今後もグレースと接触を続け、地位を維持するための情報源として使ってやる! 絶対にこの家から逃がさない!)」
隣のオーギュストの心の声も卑小な企みに満ちていた。
「( グレースとこの王子との結婚を利用し、社交界で『グレースの兄』という地位を確立してやる。グレースには、事あるごとに『私の兄のおかげ』だと言わせるようにしよう)」
俺は、彼らの心の雑音に激しい嫌悪感を覚えた。グレースの心を長年に渡り傷つけ続けた張本人たちが、今、平然とまたグレースを利用しようとしている。
俺は声のトーンを落とし、冷たい眼差しを侯爵とオーギュストへ向けた。
「侯爵、オーギュスト殿。私はグレース嬢との婚約を進めるにあたり、まず、あなた方二人から、グレース嬢へのこれまでの仕打ちについて、弁明を求めたい」
場の空気は一瞬で凍りついた。二人の顔から、血の気が引いていくのが見て取れた。
彼らは椅子から立ち上がり心にも無い上っ面を述べだしたが、その言葉と一致しない心の声を聞けばすぐに嘘だと分かったので、俺はすぐに宣告した。
「ロートシルト侯爵。貴方の罪は、娘への精神的虐待、そして家族に対する監督責任の放棄という人道的な重罪だ」
俺がビブリ国王と第一王子が座る方向に一瞥をくれると、二人は無言で、俺の裁定を見守っていた。
「よって、侯爵位の実権は一時的にビブリ国が管理する。そして、貴方と長男オーギュストを全ての公務から永久追放する。貴方二人は本邸での厳重な蟄居を命じられ、二度とグレース嬢に関わらぬことを公的に誓約してもらうことになる」
侯爵とオーギュストは、その場で膝から崩れ落ちた。
「これが、貴方がたによるグレース嬢への利用の余地と卑小な迷惑行為を、権威と法によって永久に断つための、最終裁定だ。異論は、断じて許されない。」
「グレース、育てた恩を忘れるなよ!」
崩れ落ちた侯爵が、最後の抵抗として、グレースに向かって憎しみを込めた唸るような声で叫んだ。
その言葉に、俺は怒りを抑えられなくなった。
「衣食住と教育さえする資金さえ与えてれば育てたことになるのか? 侯爵!」
俺は、グレースを守るように一歩踏み出し、激しい怒りを込めた声で侯爵に怒鳴った。
「それは、『義務』の履行であって、『恩』ではない! 貴方はこの十年、一度でも彼女へ思いやりある言葉をかけたか? 貴方が主張する『育てた恩』を子供が感じるのは、孤独と絶望の中にいるとき、その心を守り、無償の愛と献身をくれた人に対して感じるのだ!育てた恩を忘れるな?ふざけるな!貴方はグレース嬢の絶望を作り出した張本人ではないか!」
侯爵は震え怯えながら、哀れな声を上げた。
「……ですが、私だって苦しかったのです! 公務で忙しく、家を空けることが多かった。グレースを見るのは亡き妻の面影が強すぎて、その度に胸が張り裂けそうで……」
俺は、侯爵の自己憐憫の言葉を遮った。
「貴方は、自分の苦しみを言い訳にしないでいただきたい! 親であるならば、最愛の妻が、命がけで産んだ宝を、 貴方が命がけで、守るべきだったでしょう!」
侯爵はまた何事か体裁を繕う弁明を述べだしたが、俺にはその言葉の裏で渦巻く卑小な利用計画が透けて見えていた。俺はこれ以上、侯爵と話す価値はないと判断し、国王と第一王子に視線を向けた。
「国王陛下、第一王子殿下。裁定は完了いたしました。あとは貴国による処理をお願いいたします」
ビブリ国王は小さく頷いた。俺は侯爵への激昂のあまり、自身の感情が乱れているのを感じた。心の声を聞く能力は、自分の感情が激しく波立っているときには、正確な情報が拾えないのだ。俺は感情を鎮め、無表情を貫くグレースの心に意識を集中した。その瞬間、彼女の心の映像が流れ込んできた。
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森の中で悲劇のヒロインちゃんがあおむけに倒れていた。目は完全に閉じられ、周りには花が咲き乱れている。
「(え…?)」
俺は一瞬で血の気が引いた。まさか、俺の激昂が悲劇のヒロインちゃんが倒れるほど彼女の心をひどく傷つけてしまったのか?
その時、学者風のローブ姿の長い髭を蓄えた老人が光りながら、倒れているヒロインちゃんの傍に現れた。もちろん、『長老』という名札をつけている。
長老は、悲劇のヒロインちゃんをのぞき込みながら言った。
「ふぉっふぉっふぉ。うむ、これは、ドーパミンとオキシトシンの爆発的な分泌によるものと推測される。この症状、東の小国の書物で見たことがあるぞ⋯どうやらお主の症状は、『キュン死に』のようじゃな」
長老は、倒れている悲劇のヒロインちゃんに向かって、独り言のように続けた。
「ふむ、かくゆうわしも危うかったぞ。『妻が命懸けで産んだ宝』のあたりで、こう、胸のあたりが、ぐっとなり……う、グッ……これはイカン、カイル様かっこよすぎですわ!」
長老は、そのままバタリと、悲劇のヒロインちゃんの隣に倒れ伏した。
「長老!!」と俺は内心で叫びつつ、キュン死にしたヒロインちゃんと長老の今後の動向が気になって仕方がなかったのだった。




