7
僕が目を覚ましたのは、清潔なシーツの感触と、窓から差し込む柔らかな光の中だった。
魔力を使い果たした後の独特の倦怠感はあるものの、不思議と気分は悪くない。
ここは……アカデミアの医務室らしい。
「あ……ロイ! よかった、気がついたんだね!」
僕がゆっくりと身を起こすと、ベッドの脇の椅子でうたた寝をしていたらしいニコが、ぱっと顔を上げた。
その目元が少し赤いのは、僕のせいだろうか。
「僕……どれくらい眠ってたの?」
「丸一日だよ! 先生たちが言うには、魔力をほとんど空っぽにしちゃったからだって。でも、アカデミアの魔力の乱れは、ロイのおかげで完全に収まったんだって!」
そうなんだ……成功したんだ。
僕はほっと胸をなでおろしながら、自分の内なる変化に気づいていた。
なんだろう、この感じ。
世界の魔力の流れが、以前よりもずっと鮮明に……まるで色や形を持って「見える」ような、不思議な感覚が僕の中に残っている。
僕はその戸惑いを胸の奥にしまい込んだ。
コンコン、とドアがノックされ、グラン教官が入ってきた。
その表情は、どこか気まずそうで、それでいて複雑な色をしていた。
「……ご苦労だった、アンデシウス」
グラン教官は、まず僕に労いの言葉をかけてくれた。
「だがな……どうやら、俺たちが地下でコソコソやっていたことは、全て“あの方”にはお見通しだったらしい……」
「え?」
「学長が、お前にお会いしたいそうだ。……俺の報告書が提出されるよりも前に、呼び出しの使いが来た。全く、とんでもない方だ……」
グラン教官は、学長が何を考えているのか分からない、と僕に忠告した。
その声には、明らかな畏敬の念が滲んでいた。
***
僕とニコが学長室へ向かう道中、アカデミアの空気は一変していた。
廊下や中庭で会う生徒たちが、僕に気づくとサッと道を開ける。
そして、遠巻きにヒソヒソと噂を交わすのだ。
「あれがアンデシウスだ!」
「アカデミアを救ったって本当か?」
「昨日の夜のオーロラも、あいつの仕業らしいぞ!」
突き刺さる、尊敬と畏敬の眼差し。
今まで向けられたことのない種類の視線に、僕はどう振る舞っていいか分からず、ますます猫背になってしまう。
そんな僕の背中を、隣を歩くニコがポンと叩いて励ましてくれた。
「ロイはすごいんだから、もっと胸を張っていいんだよ!」
***
通された学長室は、豪華だけど華美ではなく、知的な落ち着きに満ちた空間だった。
壁一面に、ぎっしりと古書が並んでいる。
その奥の大きな机で、一人の老人が僕たちを穏やかに迎え入れた。
白く長い髭をたくわえ、一見すると温和な好々爺だ。
でも、その瞳の奥には、全てを見透かすような鋭い光と、計り知れない深さが宿っている。
この人が……アカデミアの学長。
「よく来てくれたね、アンデシウス君。ニコ君も。まずは座りなさい」
学長は、僕たちがグラン教官と事を隠そうとしていたことなど、最初から知っていたという口ぶりだった。
「グラン先生の君を思う気遣いには感謝しているよ。だが、彼の報告書が提出される前から、君たちの動向は全て把握させてもらっていた。あの地下の“遺物”のことも含めてね」
ニコが隣で、息を呑むのが分かった。
学長は、僕たちの行動を咎めるどころか、心からの称賛を口にしてくれた。
「君の知識、的確な判断力、そして何よりアカデミアを救おうと立ち上がったその勇気、実に見事だった。本当によくやってくれたね、アンデシウス君」
彼は、古代魔法について、自身の見解を語ってくれた。
「古代魔法はその力の強大さ故に、悪用や制御失敗を恐れる者が多い。しかし、力そのものに善悪はない。火が食事を温めることもできれば、家を焼き払うこともできるようにね。重要なのは、それを使う者の心だ。私には、君にはその資格があるように見える」
そして、学長は穏やかな表情のまま、本題に入った。
「さて、君のその類稀なる力、このまま埋もれさせておくのは、アカデミアにとっても、そして君自身にとっても、あまりに惜しい。まずは、その力をアカデミアの皆に正しく示す必要があるだろう」
***
学長は、僕に一つの道を提示した。
それは、近日開催される伝統の「学内ランキング選抜大会」への出場。
「この大会は、学年を問わず、アカデミアの最強を決める最も権威ある舞台だ。そこで君が優勝すれば、君自身の評価はもちろん、君が信じる古代魔法の有用性を、誰もが認めざるを得なくなるだろう。どうかな? 君の力、見せてみたまえ」
僕は、その提案に戸惑うしかなかった。
「え……僕が、ですか? 戦うなんて、あまり得意では……それに、目立つのは……」
僕がしどろもどろに言うと、学長は優しく、しかし有無を言わせぬ圧力を含んだ笑みで応えた。
「これは命令だよ、アンデシウス君。これは、君と、君の信じる魔法の価値を、このアカデミアに示す最初の『試練』だと思いなさい。まあ、いろいろ勝手なことをやった罰だとでも思ってくれ」
断れない……。
その言葉には、そんな重みがあった。
隣でニコは「すごいよロイ! 大会だよ!」と目を輝かせている。
でもすぐに、僕の戸惑いを察して、少し心配そうな顔になった。
学内ランキング選抜大会。
僕の、新たな挑戦が、こうして始まろうとしていた。