5
僕の指先が、古代の魔道具に触れた、その瞬間だった。
魔道具に刻まれた魔法陣の線が、一瞬だけ淡い青白い光を放つ。
そして――。
「う……あ……っ!」
短い悲鳴を上げて、僕はその場にふらりと膝をついた。
嵐が吹き荒れる空。
満天の星々の運行。
見たこともない複雑な設計図。
そして、聞いたこともない古代の言葉。
それらが洪水のように、僕の脳内へ直接流れ込んでくる。
「ロイ!? どうしたの、しっかりして!」
ニコが慌てて僕の肩を支えてくれる。
「アンデシウス! 一体何が起きた! すぐにそれから離れろ!」
グラン教官も、警戒しながら僕に声を荒らげた。
情報の奔流は、ほんの数秒で収まった。
僕はぜえぜえと息を切らしながらも、驚きと、それ以上の知的な興奮が入り混じった目で、目の前の魔道具を見上げる。
「今のは……この魔道具の……記憶? いや、違う……設計思想そのものが、直接、頭の中に……?」
***
「危険だ。もうこれ以上は触れるな」
僕のただならぬ様子を見て、グラン教官が厳命する。
僕はゆっくりと立ち上がり、首を横に振った。
「いえ、大丈夫です。それより、グラン教官。今ので少しだけ分かりました。これはやはり、ただの観測儀ではありません」
まだ少し混乱している頭で、僕は必死に言葉を紡ぐ。
「さっき見えたイメージの中に、見たこともない魔法陣のパターンがいくつかありました。それを手掛かりにすれば、図書館でこの魔道具の正体が分かるかもしれません」
僕の真剣な表情に、グラン教官は半信半疑ながらも、何かを諦めたように深いため息をついた。
「……分かった。私の責任でアカデミアの書庫を自由に使う許可を出そう。だが、無茶はするな。何か分かれば、どんな些細なことでもすぐに私に報告しろ。いいな?」
「はい!」
僕は力強く頷いた。
ニコは、僕の顔色を心配そうにのぞき込みながらも、黙って僕の後についてくる決意をしてくれたようだった。
***
アカデミアの大図書館。
僕たちは、グラン教官から預かった「特例閲覧許可証」を厳めしい司書に見せ、その目を丸くさせながら、普段は固く閉ざされている禁書庫へと足を踏み入れた。
埃っぽく、古い紙とインクの匂いが充満している神秘的な空間。
僕は、水を得た魚のように、書架から書架へと移動し始めた。
脳裏に焼き付いた魔法陣のパターンを手掛かりに、古代の工学書や天文学、魔法理論の文献を片っ端から調べていく。
「ロイ、ちょっとは休憩したら? また夢中になってるけど、顔色が悪いよ」
調査に没頭する僕に、ニコが水筒を差し出してくれる。
「ありがとう、ニコ。でも、もう少しだけ……。あと少しで、何かが繋がりそうなんだ……。さっき頭の中に流れてきたイメージと、この本の記述が、パズルのピースみたいに……」
ニコはそんな僕を見て、困ったように笑いながらも、僕が求める本を探すのを手伝ってくれた。
彼女の存在が、僕の焦る心を少しだけ落ち着かせてくれる。
そして、調査開始から数時間が経った頃だった。
僕は、誰も見向きもしないような、一冊のマイナーな文献を手に取った。
そのページをめくる手が、ピタリと止まる。
「……あった……! これだ……! 間違いない!」
僕が見開いたページには、脳内で見た未知の魔法陣のパターンと酷似した、しかしより完全な形の図が描かれていた。
隣からのぞき込んだニコが、「見つかったの、ロイ!?」と声を上げる。
僕は興奮した様子で、そこに書かれた古代文字を、まるで現代の言葉であるかのようにスラスラと読み解き始めた。
そして……僕の表情は、興奮から驚愕へ、そして次第に険しいものへと変わっていった。
***
「……なんてことだ……。『天候観測儀』なんかじゃ、全然ない……。これは……」
僕はゴクリと唾を飲み込み、隣にいるニコに向き直る。
その魔道具の真の名称は、『星辰制御式・広域魔力安定装置』。
役割は、この地域一帯の魔力、つまりマナの流れを、天体の星々の運行と精密に同期させることで、常に安定した状態に保つための、超高度で大規模な装置だったんだ。
僕は、自分の立てた推測を、震える声で語り始めた。
「何百年も正しいメンテナンスを受けずに放置されたせいで、この装置の機能に、致命的なズレが生じてるんだ。星の運行と同期できていないから、逆に周囲の魔力を乱す原因になってしまっている。最近観測されていた魔力の乱れは、その前兆だったんだ……!」
「え……? それって……」
「このまま放置すれば、ズレはどんどん大きくなって……いずれは制御不能になった魔力が暴走を引き起こす。そうなったら、アカデミア全体が……いや、この街ごと吹き飛ぶかもしれない……!」
僕の言葉に、ニコは息を呑み、その顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。
***
僕とニコは、発見した文献を手に、グラン教官の元へ緊急報告に向かった。
教官室で僕の報告を聞き、文献に目を通したグラン教官は、その内容の重大さに絶句している。
「馬鹿な……! そんなものが、このアカデミアの地下に眠っていたというのか……! 大災害だと……? そんなこと、我々教師陣は誰一人として知らなかったぞ……!」
「先生、どうにかならないんですか!?」
ニコが悲痛な声を上げる。
グラン教官は、頭を抱えて呻いた。
「どうにもならん! 現代魔法では解析すらできんのだぞ! ましてや、そんな古代の超技術の塊など……我々には手も足も出ん……! 学長に報告して、全生徒を避難させるしか……いや、しかし、そんなことをすれば大パニックに……」
絶望的な雰囲気が、部屋を支配する。
その重たい沈黙を破ったのは、僕だった。
僕は静かに、しかし力強く口を開いた。
「……大丈夫です。解決する方法は……あります」
グラン教官とニコが、驚いて僕を見る。
僕は、今まで見せたことのないような、覚悟を決めた力強い瞳で二人を見据えた。
「……いえ、やるんです。僕たちの手で、このアカデミアを救うんです」
僕の言葉に、二人の瞳に、小さな光が灯った気がした。