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黒焦げになった的の残骸。
ドロドロに溶解した防護壁。
僕が放った規格外の魔法の余韻が漂う実技場は、水を打ったように静まり返っていた。
「えっと……あの……。もしかして、やりすぎちゃいました……かね?」
僕の戸惑いの声が、静寂の中でやけに大きく響く。
生徒も教師も、皆が口を開けたまま、目の前の光景が信じられないという表情で固まっている。
遠くでニコが、はっと我に返って僕に駆け寄ろうとしてくれているのが見えた。
でも、その動きはグラン教官の厳しい視線に阻まれてしまう。
(もしかして、本当に……本当にまずいことをしちゃったんじゃ……?)
僕が自分のしでかしたことの重大さにようやく気づき始めた、その時だった。
グラン教官が、重々しく口を開いた。
「……アンデシウス。貴様、ちょっと来い。話がある」
その声には、怒りよりも深い困惑と、何かを必死に抑え込もうとする複雑な感情が滲み出ているように感じた。
僕は緊張した面持ちでこくりと頷き、グラン教官に続いて実技場を後にする。
ニコが心配そうに僕を見送っている。
他の生徒たちは、蜘蛛の子を散らすように僕から距離を取りながらも、好奇心に満ちた目で遠巻きにヒソヒソと噂を始めていた。
***
連れてこられたのは、重苦しい空気が漂う教官室だった。
部屋にはグラン教官の他に、見知らぬ教師が三人ほどいる。
いかにも厳格そうな初老の教師。
神経質そうに指をいじっている中年の教師。
そして、隠しきれない好奇心で僕を値踏みするように見つめる、比較的若そうな教師。
どうやら僕の起こした騒ぎの報告は、既に彼らの耳にも入っているらしい。
「アンデシウス。単刀直入に聞く」
ソファに座るよう促された僕に、グラン教官が尋問するように問いかける。
「先ほどのあの魔法は……一体何だ?」
僕は緊張で乾いた喉を潤しながら、正直に答えるしかなかった。
「はい。あれは古代魔法に分類される『ファイア・ショット』です。先日図書館で調べた文献に、基本的な術式と魔法陣の記述がありまして……」
「古代魔法だと……!? やはりそうか……本当に……。だが、文献を読んだだけで、あの威力が本当に出せると言うのか?」
「いえ、そのままでは現代魔法と大差ないか、むしろ効率が悪い部分もありました」
僕は、僕なりに論理的に、そして見たままの事実を説明しようと試みる。
「ですので、先日、実技場で魔力が暴走して床に模様ができた時のパターンを参考に、魔力の流れを最適化するように魔法陣を少し……改良しました。その結果、計算していたよりも熱変換効率が大幅に向上したようです。おそらく、現代魔法の魔力効率に関する既存の理論には、いくつか見過ごされている前提があるのではないかと……」
僕としては、悪気なく、純粋に技術的な見地から説明したつもりだった。
だけど、その言葉は教師たちの常識をさらに揺るがし、彼らの顔をより一層険しいものに変えてしまった。
「馬鹿な!」
初老の教師が、机を叩かんばかりの勢いで叫ぶ。
「古代魔法など、とっくに廃れた危険な術だぞ! しかも独自に改良などと……万一、制御不能に陥っていたらどうするつもりだったんだ!」
「しかし、あの威力は無視できん。もし本当に古代魔法がそれほどのポテンシャルを秘めているのだとしたら……いや、ありえん。何かの間違いだ」
中年の教師は、ブツブツと何かを呟いている。
若手の教師だけが、少し興奮した様子で僕に問いかけた。
「君は、本当に文献だけでそれを……? 君の言う通り、現代魔法の理論が絶対ではないとしたら……」
まさにその時だった。
バンッ!!
教官室のドアが、勢いよく開かれた。
「失礼します! あの、ロイは悪くありません! 彼は……彼はすごいんです!」
そこに立っていたのは、息を切らしたニコだった。
どうやら外で聞き耳を立てていて、僕が問い詰められていると思って我慢できなくなっちゃったらしい。
「な、何だ君は!?」「ここは生徒が入ってきていい場所では……!」
「ニ、ニコ!? どうしてここに……」
教師たちと僕の驚きをよそに、ニコは部屋の中に飛び込んできた。
そして、僕の前に立つようにして、必死に僕を擁護し始めた。
「ロイは昔から、他の人には見えないものが見える子だったんです! みんなが無理だって諦めるようなことも、ロイは一人でコツコツ調べて……だから、古代魔法だって、きっと彼にしかできなかったんです! 悪いことなんてするはずありません!」
ニコの純粋で、まっすぐな訴え。
それに、教師たちは一瞬、言葉を失ってしまった。
グラン教官は、こめかみを押さえて深いため息をついている。
場の空気が、ますますカオスになっていく。
***
「……ゴホン!」
グラン教官の大きな咳払いが、混沌とした教官室の空気を鎮めた。
「……アンデシウス。ニコくん。君たちの言い分は分かった。しかし、アカデミアには規律というものがある。許可なく古代魔法を使用し、あまつさえ訓練施設を半壊させた事実は無視できん」
グラン教官は、何かを葛藤するように腕を組んで、しばらく黙り込んだ。
この件を学長に報告すれば、僕はどうなるんだろう……。
退学か、それとも……。
僕が最悪の事態を想像した時、グラン教官が苦渋に満ちた声で、結論を口にした。
「……今回の件は、私とここにいる者たちの預かりとする。学長には……当面、報告はしない」
「え……」
「ただし、アンデシウス、貴様には厳重注意を与える。今後、私の許可なく古代魔法を使用することは一切禁ずる。また、今回の魔法に関する詳細なレポートを提出し、当面の間、私の監督下に置かせてもらう。……異論はあるか?」
古代魔法が使えないのは残念だけど……退学は、免れたみたいだ。
僕はほっと胸をなでおろし、力なく頷いた。
「……分かりました」
***
教官室から出ると、ニコが「よかったね、ロイ! とりあえず退学は免れたみたいで!」と無邪気に喜んでくれた。
でも、アカデミアの空気は、僕が思っていた以上に変化していた。
廊下を歩くだけで、突き刺さる視線、視線、視線。
恐怖、畏敬、好奇心、嫉妬……。
今まで僕に向けられることのなかった、色とりどりの感情が、僕の周りを取り巻いている。
「おい、アンデシウスだぜ……」
「あいつが訓練場を半壊させたって本当かよ……」
「古代の禁術を使ったって噂だぞ」
「落ちこぼれじゃなかったのか……?」
「いや、むしろヤバいやつだったんじゃ……」
そんな囁き声が、あちこちから聞こえてくる。
僕はその居心地の悪さに、思わず俯いてしまった。
ニコは、僕の隣でムッとした表情で、噂の主たちを睨みつけてくれている。
僕の日常は、今日を境に、間違いなく変わってしまった。
それが良いことなのか、悪いことなのか……。
今の僕には、まだ分からなかった。
***
その頃。
アカデミアの、とある一室。
窓から、遠く離れた中庭を歩くロイとニコの姿を見下ろしている影があった。
その影の手には、ロイが引き起こした事件に関する簡単な報告書が握られている。
「アンデシウスか……」
影が、楽しそうに呟く。
「古代魔法を独力で、しかも改良してあの威力とは……。実に興味深い。彼ならば、あるいは……」
その視線が、獲物を見つけた狩人のように、鋭く光った気がした。