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古い倉庫。
古代魔法の光に感動する僕、ロイ・アンデシウス。
その背後から、静かな声が響いた。
「……そこで何をしている、アンデシウス……?」
僕は驚いて振り返る。
手の中にはまだ、古代魔法が生み出した“本物の”光が、確かに灯っている。
そこに立っていたのは――。
「うふふ、びっくりした? 今の声、グラン教官にそっくりだったでしょ?」
いたずらっぽく笑う少女。
僕の幼馴染の、ニコだった。
彼女は魔法薬学の授業で習ったという変声魔法を使って、僕をからかったらしい。
「も、もう……ニコかぁ……! 本当に心臓が止まるかと思ったよ……!」
僕は安堵のため息をつきつつ、ちょっと呆れた表情をニコに向ける。
「ごめんごめん。でもロイったら、最近ずっと何か隠してるみたいだったし、ここに入っていくの見ちゃったから。気になっちゃって」
ニコはぺろっと舌を出して謝る。
そして、僕の手元にまだ微かに残る古代魔法の光を見つけると、目をキラキラと輝かせた。
「で、さっきのあの光は何? すっごく綺麗だったんだけど!」
僕は少し戸惑いながらも、ニコに正直に打ち明けることにした。
彼女は、僕の数少ない……ううん、たった一人の理解者だから。
「こ、これは……その……古代魔法、なんだ」
「古代魔法!? わぁ、すごーい! やっぱりロイは天才だよ!」
ニコは満面の笑みで、僕の手を掴まんばかりの勢いで褒めちぎる。
「ほら、私がずーっと言ってた通りでしょ? ロイならいつか絶対に何かとんでもないことするって、私、信じてたんだから!」
「え、あ、ありがとう……。でも、まだほんの初歩の初歩で、偶然成功しただけかもしれないし……」
僕が照れながらそう言うと、ニコはぷくっと頬を膨らませた。
「ううん、そんなことないって! だって、今まで誰もできなかった古代魔法を、ロイが一人で使えるようにしたんでしょ? それって物凄いことだよ!」
僕たちは二人で、僕が灯した古代魔法の小さな光を改めて見つめた。
それは現代魔法の光とは明らかに違う、静かで、どこまでも純粋な輝きだった。
「……本当に、綺麗だね」
「うん……」
少し甘酸っぱいような、ほのぼのとした空気が、古い倉庫の中に満ちていく。
思えば、子供の頃からそうだった。
僕が周りの子たちから「変わり者」とか「何を考えているか分からない」って敬遠されて、いつも一人で本を読んでいた時も。
ニコだけは、僕のそばに来て、「ロイの見てる世界は、きっと他の人には見えないくらい面白いんだよ!」って言ってくれたっけ。
僕が何かに夢中になって、周りの声が聞こえなくなっちゃう時も。
ニコは「すごい集中力! それって立派な才能だよ! ロイはみんなと違うけど、それは天才だからなの。いつか世界がロイのすごさに気づく日が来るって!」って、ずっと僕を励まし続けてくれたんだ。
「ニコは昔からいつもそう言ってくれるけど、僕自身はそんなこと、全然……」
僕が自信なさげに言うと、ニコは得意げに胸を張って笑った。
「もー、まだそんなこと言ってるの? ほら、私の言った通りだったでしょ? ロイはやっぱり天才だったんだって! 私の目に狂いはなかったんだから!」
「……う、うん。ありがとう、ニコ」
ニコの屈託のない笑顔と、僕への絶対的な信頼。
それが、じんわりと僕の心に温かいものを広げていくのを感じた。
僕にも、何かできるかもしれないって、少しだけ思えたんだ。
***
ニコに認められたことで、僕は古代魔法の可能性を、前よりももっと強く確信するようになっていた。
「それで、そのすごい古代魔法で、これからどうするの? アカデミアのみんなをあっと言わせちゃったりする?」
帰り道、ニコが期待に満ちた目で聞いてくる。
「うーん、まだそこまでは考えてないけど……。でも、この魔法が本物だってことは分かったんだ。現代魔法よりもずっと合理的で、ずっと美しい。だから、もっと深く知りたいし、もっと色々な古代魔法を使ってみたいと思ってる」
僕の目には、新しい決意と、純粋な探求心が宿っていた。
ニコは、そんな僕の表情を嬉しそうに見守ってくれている。
「そういえばね、ニコ。あの時、実技場で大失敗して床に焦げ跡を作っちゃったでしょ? あの模様から、すごいヒントを見つけたんだ。力の流れを最適化する方法とか、魔法陣の新しい構造とか……。無駄なことなんて何一つなかったんだよ」
僕が少し興奮気味に話すと、ニコはうんうんと頷いてくれた。
「それなら、次の実技授業で早速みんなに見せちゃえばいいじゃん! グラン教官とか、腰抜かすかもよ? それに、ロイがすごいってこと、みんなに分からせてやろうよ!」
「ええっ!? そ、そんな急に……。それに、もしまた失敗したら、今度こそ本当に退学になっちゃうかも……」
僕は思わず尻込みしてしまう。
だけどニコは、力強く僕の背中をポンと叩いた。
「大丈夫! ロイなら絶対できるって! 私がちゃーんと見ててあげるから、自信持って!」
ニコの無邪気な応援に、僕の心の中にあった不安が、少しだけ軽くなった気がした。
よし……やってみようか。
***
数日後。
またあの憂鬱な、現代魔法の実技授業の日がやってきた。
グラン教官が今日の課題を発表する。
それは、僕がこの前、床に盛大な「焦げ染み」を作ってしまった、あの「ファイア・ショット」だった。
「いいか、今日の課題は『ファイア・ショット』だ。威力よりも制御と正確性を重視する。……アンデシウス、貴様はあまり期待はせんが、せめて火花くらいはマトモに出せるようになれ」
グラン教官の言葉に、クラスメイトたちからは「どうせまた線香花火だろ」「もう見飽きたってーの」なんていう声が漏れる。
僕の番が来た。
緊張で心臓がバクバクしてるけど、ニコが遠くから「大丈夫!」って感じで小さくガッツポーズしてくれてるのが見えた。
僕は覚悟を決めた表情で、おもむろに自分の魔法の杖を取り出す。
そして、詠唱を始める代わりに、杖の先を足元の地面に向けた。
杖の先から、僕が練り上げた魔力が、青白い光のインクみたいに流れ出す。
僕はそれを使って、複雑な魔法陣を地面に描き始めた。
線が描かれるそばから、魔法陣が淡い光を帯びていく。
周囲が一瞬、シンと静まり返った。
そしてすぐに、ざわざわとした騒めきが広がった。
「な、何だあれ?」
「地面に落書きか?」
「アンデシウス、ついに頭がおかしくなったんじゃ……」
グラン教官の顔が、みるみるうちに険しくなっていく。
「アンデシウス! 貴様、一体何をしている! 課題を無視する気か! ふざけるのも大概にしろ! 魔法をさっさと詠唱せんか!」
怒声が飛んでくる。
でも僕は、魔法陣を描く手を止めずに、淡々と答えた。
「いえ……。これは、魔法を発動させるための準備です」
「準備だと? そんなものは現代魔法には必要ない! その紋様……それは……まさか……!」
グラン教官の声が、驚きに震えている。
僕は、きっぱりと言い放った。
悪びれる様子なんて、これっぽっちもない。
「はい。古代魔法です」
***
「はぁぁ!? こ、古代魔法だと!?」
グラン教官の顔が真っ赤に染まる。
その怒りは、驚きを通り越して、もはや呆れに近いものだったかもしれない。
「馬鹿も休み休み言え! そんな時代遅れの、何の役にも立たんゴミ知識を持ち出して何をするつもりだ!」
他の教師たちも、もしこの場にいたなら同じように言っただろう。
「古代魔法など、とっくに陳腐化したただの伝説だ」
「発動するわけがないだろう、時間の無駄だ」
「落ちこぼれが最後に悪あがきか、みっともない」
そんな言葉が、僕の耳にも聞こえてくる。
クラスメイトたちからは、もっと直接的な野次が飛んできた。
「やっぱりアンデシウスは変わり者だな!」
「どうせ何も起きないに決まってるぜ!」
「さっさと諦めて退学しろよ!」
ニコだけが、少し離れた場所から心配そうに、でも固く拳を握りしめて僕を見つめている。
その瞳には、僕への絶対的な信頼の色が宿っていた。
僕は、周囲の罵詈雑言に一瞬顔をこわばらせた。
でも、足元で完成しつつある魔法陣から感じる、確かな手応え。
そして、ニコの信じる視線。
それが僕の心の支えになって、僕は最後の仕上げに取り掛かった。
***
僕が描き上げた魔法陣は、古代魔法の文献にあった「熱量変換」と「集光」の基本魔法陣を組み合わせたもの。
だけど、それだけじゃない。
この前の「床の染み」から得た、「力の流れを最適化する独自の幾何学パターン」を、大胆に組み込んであった。
僕だけの、オリジナルの改良型魔法陣だ。
魔法陣全体が、まるで呼吸するかのように、青白い光を明滅させている。
僕は魔法陣の中央に静かに立ち、深く息を吸い込んだ。
両手を魔法陣にかざすようにして集中し、魔力を流し込む。
詠唱はない。
ただ、魔法陣が、眩いばかりの光を放ち始めた。
固唾を飲んで見守る者。
まだ嘲笑を浮かべている者。
グラン教官は、苦虫を噛み潰したような顔で僕を睨んでいる。
(僕の考えた、最高の魔法陣……。古代魔法の理論は、間違ってなんかいなかった……!)
「古代魔法式ファイア・ショット……発動!」
次の瞬間。
僕の足元の魔法陣から轟音と共に放たれたのは、クラスメイトたちが放つ貧弱な火の玉なんかとは、比較にすらならない代物だった。
巨大な――人の頭5つ分ほどの大きさはあろうかという――灼熱の火球。
それはまるで小型の太陽のように周囲を強烈な光と熱で照らし、空間を歪ませるほどの熱波を放ちながら、訓練場の頑丈な的に向かって、恐ろしい速度で突き進んでいく。
ドゴォォォォォン!!!
凄まじい爆音。
火球が着弾した的は、一瞬にして蒸発した。
いや、それだけじゃない。
的の背後にあったはずの分厚い防護壁すらも、黒焦げにし、その一部をドロドロに溶解させてしまっている。
圧倒的な破壊力だった。
***
灼熱の余波と爆風が収まった後。
実技場は、まるで水を打ったように静まり返っていた。
生徒たちは皆、口をあんぐりと開けたまま、目の前で起きた現象が信じられないという表情で固まっている。
グラン教官も、他の教師たちも、そのあまりの威力に言葉を失い、ただ黒焦げになった的の残骸と、魔法陣の中心に立つ僕を、交互に見つめるだけだった。
ニコだけが、小さく「やった……! すごい、ロイ……!」と呟き、感動と興奮で目を潤ませていた。
僕自身も、予想を遥かに超えた威力に、少し驚いていた。
「あれ……? ちょっと……威力を上げすぎちゃった、かも……? 計算よりエネルギー変換率が高すぎたかな……?」
魔法陣は、まだ淡い輝きを放ち続けている。
僕の周囲には、制御された魔力の残滓が、陽炎のように揺らめいていた。
(大成功だ……! やっぱり、古代魔法の理論は正しかったんだ……! あの床の染みのパターンを応用した改良も、間違ってなかった……!)
僕がふと周囲を見回すと、皆の唖然とした表情が目に飛び込んできた。
そこでようやく、自分がとんでもないことをしでかしたことに気づいた。
僕は困ったように、少し青ざめた顔で頬をかいた。
「えっと……あの……。もしかして、やりすぎちゃいました……かね?」
その言葉に、誰も答えることができない。
ただ、僕と、彼が生み出した規格外の魔法の痕跡だけが、その場の全てを支配しているかのように、静寂の中に存在しているのだった。