AFTER
その日からカレンとわたしたちのかくれんぼが始まった。
オニはわたしたちで、カレンの隠したメモを探す。それはわたしたちにとって宝探しだった。カレンのメモは見つけるたびに新鮮な驚きと安らぎを与えてくれた。
二日ほど根気よく探し回ったお陰で、子供部屋からは三十枚近くのメモが見つかった。
「みつけて」とメモから言われるたびにふたりとも夢中になった。「きっとあるよ、まだ」と言われれば探し尽くした場所ももう一度ひっくり返した。
それはカレンが仕掛けた遊びだったけれど、そのメモが見つかるたびに、わたしたちは微笑み、思わず笑い声を上げ、泣いた。
やがてもうこれ以上はない、というところまで探してしまうと、寂しさがやってきた。
スティーブも同じと見えて、カレンのベッドに浅く腰を下ろし見つかったメモを一枚一枚ゆっくりと読んでいた。わたしも隣に腰掛けてぼんやりとそのメモを見つめる。
「さがして・さがして」
メモが訴えている。するとまるで稲妻のようにある考えが浮かんだ。
「ねえ、スティーブ。カレンは自分の部屋だけに隠したと思う?」
彼は、はっと顔を上げると夢見るような目付きで、
「ここだけじゃないかもしれない」
そして急に立ち上がると部屋を飛び出した。
わたしも慌てて彼の後を追うと、彼は真っ直ぐにリビングのカーテンへ行き、背伸びをしてカーテンレールの上を探る。すると・・・
カサっと音がしてひらりと紙切れが舞った。二人して競うようにそれを拾い上げるとお互いの手を沿え、貪るようにその紙を見た。
花と太陽、木が二本。見間違えようのないクレヨンの絵。右下に「にわ」とある。
「カレン」
スティーブは潤んだ目で微笑み、わたしの肩を抱く。わたしも涙を浮かべながらそっとその腕に手を添える。彼はわたしの耳元で囁いた。
「まだ、終わりじゃない」
その日以来、かくれんぼは続いた。家の中だけでなく、庭の柵の下、ビンに入れてあったり、ゴールドクレストの木の中、ビニール袋に包まれていたり、納屋の天井からも見つかった。一体どうやって隠したものだろう、彼女の背丈では脚立に乗っても届かなかったろう、キッチンの換気扇フードの上からも見つかった。
それは不思議なことに、わたしたちが二度三度と探した場所からもひょっこり見つかった。
メモは文字ばかりでなく、カラフルな色使いの似顔絵やコミックのキャラクター、動物だったりもする。中でもわたしが最も感動したものは半分に切った画用紙に描かれた一枚で、わたしたちの寝室から見つかったものだ。
背景はわたしたちの家。茶色と白、赤のクレヨンで厚塗りされて、緑と黄色で庭のゴールドクレストの並木と花壇の花が描かれている。
その前にはまるで記念撮影のようにわたしとスティーブが並んでいて(その下に「パパ」「ママ」と書いてある)、その間にわたしたちと手をつないだ自分自身を描いている(もちろん「わたし」とあった)。絵の下には全て大文字でこう書かれていた。
「みんなだいすきだよ」
その絵は今もリビングの壁に額に入れて飾ってある。
カレンが死んで五年が過ぎようとしている。
朝日は暖かなオレンジ色に輝き庭に植えられた色とりどりの草花を際立たせ、刈りたての芝の匂いが鼻をくすぐる。
わたしたちは少しずつ世間に戻って行き、今では教会の奉仕活動にも参加するようになった。
腫れ物を触るようにそっとしておいてくれた近所の人たちとの交流も増えた。
メモ探しはもうやっていない。その数が五百枚になったとき、スティーブとわたしはもう止めようと決めたからだ。
全てのメモを見つけてしまうのは大切な絆を断ち切るように思えたし、それにカレンは見つかった五百枚のメモを通してわたしたちを癒し、再び前を向く勇気を与えてくれたのだから。
それに応えてしっかりと生きて行かなければいけないことに気付いたから、これ以上過去を振り返るのは止めたのだ。
それでも何かの折―クローゼットの奥からしばらく使っていない帽子の箱を取り出した時や、納屋の掃除をした時などがそうだったように―未だにメモが見つかる時がある。
そういう時スティーブは、
「ほら、カレンがわたしたちに会いに来たよ」
と言って微笑む。
わたしはそれが見つかる度に跪き手を組んで祈った。
「またカレンと会えますように」
かくれんぼは終わらない。