MID
色のない日々。わたしはそう言ったが、それはほんとうだった。
明け染めの空は灰色で、流れる雲は濃淡のきつい黒と白。
庭の草木は日差しを受けてしおれている。手入れをしない芝は伸び放題だった。
わたしとスティーブの毎日は判で押したように同じだった。仕事に出かけ、定時に帰る。
休日にはなにもしないで教会にも行かず、リビングでぼんやりしていた。
毎日が惰性で、笑うことも怒ることもない。泣くことはしばしばで、楽しいことなどあるはずもなかった。
カレンの思い出がわたしたちの日常を縛っていた。
それでも時は無常で、一年、一年半、二年と過ぎると、彼女は夢の中でゆっくりと変化しておぼろげとなり、あんなにはっきりと覚えていた彼女の声、仕草、出来事がほんとうに夢のかなたへ消えて行こうとしているのに気付く。わたしは焦った。忘れるはずのないものが消えて行くのは残酷だ。とても耐えられそうにない。
そしてカレンが死んで二年が過ぎたある春の土曜日、わたしは決心して彼女の部屋を開けたのだ。
彼女が亡くなってからこの部屋を開けたことはなかった。わたしたち夫婦は二人とも、彼女が生きていた証を直視する勇気がなかった。彼女が使っていた部屋を見ることは、彼女が既にここにはいないことを認めてしまうことにつながるからだ。そんなことをしたらわたしたちは現実を突きつけられ、カレンの思い出は一気に褪せて消えてしまうのではないか、そんな風に恐れていた。
けれどわたしは実際、カレンの思い出が薄れて行く自分に耐えられなくなっていた。今一度彼女の記憶を新たにして強くしなくてはほんとうに消えてしまう、そう考えた。
部屋のドアは軋みながら開いた。埃の臭いが鼻を掠めると、その先にカレンのいい匂いが漂っているように感じた。わたしは大きく息を吸って確かめたけれど、もう、彼女の懐かしい、あのお日様のような匂いはしなかった。
ゆっくりと窓に行き、カーテンを開く。埃が舞って、開いた窓から入る日差しにはっきりとした線を引いた。
ちいさなベッド。机と椅子。クローゼットの取っ手に掛かったテナガザルのぬいぐるみ。
それらはカレンの思い出をわたしに溢れさせ、その衝撃の大きさに思わず息を呑んだ。
心臓の鼓動を押さえ込み、机の引き出しを開ける。こまごまとしたものが入っている。亡くなった次の日にわたしの母や兄、スティーブのご両親が片付けてくれたそのままの姿。わたしたちはそこからひとつも持ち出さなかった。出来るだけそのままにしておいた。
はさみとのり、色とりどりのメモ用紙が目立つ。
カレンは広告の裏やのり付きの付箋、メモ用紙に何かを書くのが好きだった。次の引き出しにはそれらが詰まっている。クレヨンで描いた鳥や犬、猫。想像の動物。ともだちやわたしたちの顔。それらに混じって短い文章もあった。
「おなかがすいた」「きょう、パパははやくかえってくる」「ミッチーはいじわるだ」「プリンおいしい」「こねこがさんびきいたよ」
それはあの穏やかな日々に彼女が感じたそのままの言葉。日記のようなものだったのだろう。
やはり見るのは辛かった。次第に涙でかすんで、字が読めない。わたしは引き出しをそっと閉め、震える足でベッドに倒れこんだ。
しばらく声を殺して泣くと、気持ちが多少は治まった。よろよろと立ち上がると、窓際に行き、カーテンを閉めた。すると・・・
ひらり、とちいさな紙切れが舞った。絨毯に落ちた紙には「1ドル99セントお買い得」の文字。広告の切れ端だった。何気に拾ってポケットに入れる。わたしはカーテンを閉めて、重い足を引き摺るようにして部屋を出た。
その夜。スティーブは夕飯も食べずに街へ行き、酔って帰って来た。
泥酔する訳でなく、何かにイラついたり大声を上げたり物を壊したり、そういうことはしない。ただ、一週間に一度、こうして街のカウンターバーに出掛けて飲む。車で行かず歩いて行くのでわたしは何も言わなかった。
「おかえり」
わたしは水を一杯、スティーブの座ったダイニングテーブルに置く。彼は無言で飲み干すと大きな溜息をひとつ。そのままふらりとバスルームへ消えた。
慣れ切っていたけれどこの瞬間のやりきれない思いはたまらない。彼もわたしも錨のない船のようだ。あっちへふらふら、こっちへふらふら、落ち着くことはない。ただ、さまよっている。わたしは椅子に座りテーブルへ突っ伏した。
短い間だったけれどそのまま寝てしまったのだろう、ふと気付くとバスルームで着替えるスティーブの立てるカタカタという音が聞こえている。わたしは粘りつくように重い身体を起こして立ち上がる。その時、羽織ったカーディガンのポケットからカサリ、と何かが落ちた。拾い上げると広告の切れ端。ああ、カレンの部屋、カーテンに挟まっていた・・・そのまま丸めて捨てようとしたが・・・何かが裏に書いてある。
ああ・・・これは・・・
「スティーブ!」
わたしはそのちいさな紙をテーブルの上に置いて叫んだ。
「スティーブ!」
カチャリとドアが開いて彼が出て来た。
「なんだ、騒々しい」
彼は髪をタオルでごしごし擦りながらやってくる。
「これを見て」
わたしはテーブルの上を指差した。
「なんだって言うんだ」
彼はぶつぶつ言うとその紙を見つけ、固まった。
「どこから持ってきた。二階か?」
彼は静かな声で言うといきなり声を荒げ、
「今更なんだ!こんなものを持ち出してぼくを責めるのか!」
「ちがう、ちがうの、聞いて!」
わたしは怒り出したスティーブを押し止めて、この広告の切れ端をカレンの部屋で見つけた経緯を話す。彼はしばらく黙ってそれを見ていたが、
「カーテンに、挟まっていた、って?」
「多分そう。ねえ、これって・・・」
「きっとまだある」
スティーブは髪が乾かないままガウン姿で二階へ急いだ。わたしも追いかけてカレンの部屋に行くと、部屋の明かりを二年振りに点けて探し始めた。
スティーブの予想は当たった。紙切れはたくさん出てきた。
広告の裏。色とりどりのメモ。画用紙を切ったもの。
「おめでとう、みつけたね」「みつかっちゃった」「つぎはどこでしょう」
ベッドと壁の隙間から。その足に挟まって。机の裏から。その下から。クローゼットのドアの上に張り付いて。カーテンレールの上から・・・
カレンの隠したメモだった。最初に見つけた広告の裏にはこうあった。
「さがして・もっとさがして」




