BEFORE
このお話は実話を基にしています。実際はアメリカのある夫婦に起きた出来事で、感動秘話として全米に流されたそうです。愛する娘を失った夫婦が遺された「贈り物」で生きる勇気を得るお話、クリスマスの季節にあなたへ贈ります。ギフト企画2009「非」参加作品です。(参加しなかった理由は単純。だってあんな大御所や気鋭の方々と肩を並べるなんて・・・自分、惨めじゃないw)
念のため・・・実際に起きた出来事をヒントにしていますが、登場人物の名前を始め内容は全て作者の創作・フィクションです。実在の人物・出来事とは一切関係はありません。
カレンが死んでわたしの毎日は色のない世界になった。
あんなに華やいで穏やかな日々は二度と訪れることはないだろう。
スティーブも別人のように落ち込んで、触れることも声を掛けることさえも憚れるほどだった。
また作ればいいなどと無責任で非情なことを言う人もいる。ペットを飼ったらいい、と子犬を押し付けようとした人もいた。
カレンは物でもペットでもない。代わりなどいるはずがないし、もう二度とわたしたちの前に現れることもない。
わたしたち夫婦にとってカレンは何物にも代えようのない神様からの贈り物だった。
ちいさな手が何かをする度に笑いが浮かび、その足が走り出す度にはらはらして、わたしたちの生活は全てがカレンを中心に動いていた。
カレンが不治の病だと分かったのは三年前のクリスマス。
その年はスティーブが大きなモミの木をリビングに持ち込んで、例年以上の華やかなクリスマスになった。わたしの母親とスティーブの両親を呼んで、カレンを囲んでターキーを食べる。皆からのプレゼントを開けてカレンは大はしゃぎだった。そのカレンから全員にプレゼントが渡される。それはクレヨンで書いたそれぞれの似顔絵。特にお義父さまの銀縁眼鏡が良く描けていて、皆は一斉に爆笑した。
そんな楽しい夜が一変したのは夜半過ぎのことだった。
隣の子供部屋から苦しげな声が聞こえ、わたしは目が覚めた。急いでカレンの部屋に行くと、カレンはベッドの上で苦しそうに呻いていた。額を触るとものすごい熱で、わたしはあわててスティーブを起こすと、彼は毛布にカレンを包んで大急ぎでホンダの後席に乗せ、その横にわたしが乗り込むや市立病院へ走らせた。
カレンは病院に付く頃には完全に意識不明に陥っていた。彼女はそのまま緊急医療班の医師や看護師に囲まれ、わたしたちの前から去った。直ちに集中治療室の一つが彼女に割り当てられて、色々な配線やチューブで覆われた哀れな姿でベッドの上に横たわった。
悪夢の様な一夜が空け、昼も近くなった頃合にわたしたちは内科医長の診療室に呼ばれた。
「どうか落ち着いて聞いてください」
市立病院の第一内科医長、ストレーゼマン医師は眼鏡を押し上げるとそう切り出した。
「お嬢さんは現代の医療では完治が望めない病気にかかっています」
「それはどの程度の難病なのでしょう?」
スティーブが掠れた声で聞いた。
「はっきり言いましょう。私の診立てでは余命三ヶ月です」
その宣告はわたしたちにとっては自分への死刑判決に等しかった。スティーブの肩が震え、それを怒りと感じたわたしは彼が医師を殴るのではないか、と恐れた。その思いがあったので、わたしはその場で気を失うことがなかったのだと思う。
「何か出来ることは?たとえばもっと大きな州立病院か、海軍病院など・・・」
スティーブの物言いは医師の気持ちを傷付ける無遠慮な言い方だったけれど、ストレーゼマン医師は表情を和らげ、
「お気持ちは良く分かります。もちろん紹介状を書いて差し上げることも出来る。その方がお気持ちが楽になるのならですが」
スティーブはすがる様な眼差しを医師に注いでいた。わたしも彼に負けないほどの表情だったに違いない。けれどストレーゼマン医師は根拠のない楽観で親族を慰めることを潔しとしない人だった。
「しかし、ここも最新の医療設備を整えているし州都の州立病院より先端医療を学んだ医師も多いのです。わたしはここに来る前、D.C.(ワシントン)の国立病院で10年間働いていました」
医師はそう言って、婉曲にどこへ行っても一緒だ、と告げた。
「ベセスダ海軍病院にわたしの友人がいます。彼は有能だ。あるいは彼なら数ヶ月はお嬢さんの命を永らえることが出来るかも知れない」
「出来るだけのことはしないと、スティーブ」
わたしはそう言ったが、スティーブは力なく首を振った。
「分かりました、先生。出来る限りのことをお願いします」
「スティーブ!」
「いいんだよ、ネリー。先生はきっと精一杯やってくださる。それにカレンはここで生まれたんじゃないか。ぼくは、どこか知らない土地で彼女の最期を看取るのは・・・」
それだけ言うとスティーブは泣き崩れ、医師に深々と頭を下げた。わたしもこらえ切れずに声を上げて泣いた。医師は「出来ることは全てやらせていただきます」というと、わたしたちが自分を取り戻すまでそのままにしておいてくれた。
自分を取り戻す。あの頃はそんな日が訪れるなんて信じられなかった。
あの日以来、病院での日々は霞の向こうの出来事の様で、おぼろげなイメージしか残っていない。全てが夢の中の出来事のよう。それはわたしがそれを悪夢の中の出来事だと思いたがっていたせいなのかもしれない。
殆ど意識を失ったまま衰弱して行くカレンを見ているのは辛かった。それでもストレーゼマン医師の約束は本物だった。彼は有能だと言っていたベセスダの友人を呼んでカレンを診て貰い、海軍の医師は友人と同じ結論に達すると、2日間付きっ切りで容態を安定させるために色々な治療を施してくれた。しかし結果は変わらず、後はカレンが余り苦しまないように緩和治療を施すだけとなった。
カレンの最期の日のことは、あの悪夢の中でぽっかりとそこだけ浮き上がっていて、わたしは今でも度々夢に見る。
あの日の朝、わたしがいつものように病院に一番乗りして集中治療室(ICU)の前のソファで転寝をしていると、看護師が「お嬢さんが起きています」と起こしてくれた。カレンは入院以来殆ど意識がない状態だったのでわたしは大急ぎで部屋の中に入った。そこにはストレーゼマン医師もいて、わたしに白衣とマスクを付けさせると、特別に治療室の中へ入れてくれた。
カレンは目を開けて天井を見つめていた。苦しげな表情はなく、医師が酸素マスクを外すと配線とチューブだらけの右手を上げようとした。
「ああ、だめ、カレン、そのままで」
わたしはやせ細ったその小さい手を握る。
「ママ」
わたしの知っているカレンの声ではなかった。掠れて聞き取り辛い低い声。
「ママ」
「カレン」
何かを言おうとしている。わたしは彼女の口元に耳を近付けて必死に聞き出そうとした。
「ママ・・・だいすき・・・」
「・・・わたしも大好きよ、カレン」
カレンはそれ以上何かを言うことはなく、大きな目がじっとわたしを見つめていた。わたしは涙を抑えようとしたけれど、とても無理で、涙に曇ったカレンの顔がこちらを見ているのを意識しながら、彼女の右手を握り続けた。
「このくらいで、どうか」
どのくらい経ったのか、ストレーゼマン医師がわたしにささやいた。わたしは頷いてカレンの手を離した。離したくないと叫び続ける心と戦った挙句のことだ。彼女は一つちいさな溜息を漏らすと目を閉じて眠った。
カレンは昼過ぎにも目を覚まし、わたしは再び彼女の横にいた。この時もカレンはじっとわたしの目を見て弱々しく手を握っていた。
カレンが意識を取り戻したことはスティーブにも知らされて、彼は会社を早退して駆けつけた。彼がICUに文字通り駆け込んだときには彼女は眠っていたけれど、暫くすると目を開けて、
「パパ」
と声を掛けた。スティーブも涙をこらえてほとんど囁くように話した。
「カレン、みんなが応援しているよ。がんばろうね」
カレンはこくりとひとつ頷くと目を閉じた。
その夜、カレンは眠るように息を引き取った。
八歳の誕生日まであと四日のことだった。