8.赤色黒色
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ユリアの王都での社交界デビューには、エイデンもお供の一人としてついていく。
ただ、さすがに赤い髪のままで王都は出歩けない。幼い頃のように、髪を黒く染めることになった。
元の彼を知っている伯爵家の人間は、エイデンの髪が鮮やかな赤色でなくなると、一瞬誰かわからなくなるようだった。ハシバミ色の目を見るとすぐに気がつくのだが、次に頭に目が行って、二度三度、顔と頭を視線が往復する。
そしてたっぷり反芻してようやく黒髪のエイデンだと認識した後に、「慣れないなあ……」などとぼやいて苦笑する。本当に皆して同じ反応をするものだから、エイデン本人はちょっと呆れた。
「だってよ……お前は赤髪まで含めてエイデンだからよ……」
頭をかきながら言うのは、かつてエイデンを敵視していたが、いつの間にか態度が軟化して、今や友人のような距離感で接してくる使用人仲間だ。
エイデンはきょとんとしたが、徐々にじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
だが直後、むっつり黙り込んで掃除を始めた様子に、「照れだな」「ありゃ照れだ」「言った方まで照れてやがる」とかいう会話が聞こえてきたのは解せなかった。
当然というかなんというか、エイデンのイメージチェンジに最もご不満なのはお嬢様だった。
黒髪のエイデンを見ると、たたかれでもしたかのように呆然とし、それからむすっと頬を膨らませる。
「変な頭……」
「王都にいる間だけですから」
「本当にエイデンの髪……?」
「そうですけど……」
ユリアはエイデンの大層無難になった頭を、ぐしゃぐしゃとわしゃつかせる。彼女なりの渾身の八つ当たりなのだろうが、まあ髪型が寝癖がごとく乱れる程度、どうということもない。
成長期の後、それなりに身長差ができてしまったお嬢様の手すさびのため、エイデンはわざわざかがみこんでいる。それがまた気に入らないのか、ユリアはついに両手を使い出した。なんだかちょっぴり、毛を逆立てて威嚇している子猫に似ている。
「お嬢様とおそろいの黒ですよ」
あまりにも不満そうにするものだから、ついエイデンはそんなことを零した。ユリアほど綺麗な黒にはなっていないが、恐れ多くも少し近づいたようだったのが、個人的にはまんざらでもなかったのだ。
するとユリアははっと青い目を見開き、それからほんのり頬を染める。
「そうね。たまには黒だって悪くないわね。許してあげる」
現金なもので、機嫌を直したお嬢様は、今度はせっせと髪を綺麗に撫でつけ始めた。
「……櫛を取ってくるわ!」
どうやら前髪の一部が跳ねたまま戻らなくなったらしい。格闘していたユリアはぱっと立ち上がり、慌ただしく駆け去って行く。
その後ろ姿を目尻を下げた見送ったエイデンは、ふと心が冷えるのを感じた。
(あとどれぐらい、こうしていられるだろう)
伯爵領では、「赤色の髪でないお前は見慣れない」と言われるほど、エイデンの存在は馴染んでいた。だがそれは、伯爵家の人間達だからこそ、だ。
伯爵家には時々外から客人が来ることもあったが、エイデンはその人達の前に堂々とは出て行けなかった。彼らはエイデンと接触する機会があると、よくて無反応、悪くて怒りや恐怖を態度に出してきた。
まして、王都で国を支配しているのは、かつて赤毛の一族を打倒して正当性をつかみ取った一族なのだ。だから彼は、ユリアの隣に立つことはできない。
二人だけの問題であれば、エイデンは迷わずユリアの手を取る。だが、将来を共にするということは、二人だけの問題ではなくなるということだ。
ユリアは伯爵家の一人娘で、聖女の再来と謳われている。きっと誰か、王宮でいい人を見つける。その時が、自分がユリアに仕えてきた半生を終わらせる時だ。
だけどもし、ユリアが誰も選ばなかったら……?
例えば、伯爵家には今から別の誰かを後継者に迎え、ユリアは神様に仕える。
彼女はどこにいっても幸せになれるし、周囲を幸せにできる人だ。慎ましい日々の中で、きっと今までと同じように、ささやかな楽しみを見つけて生きていくのだろう。
エイデンはその彼女に仕え続ける。ずっとずっと、陰となってお守りする。穏やかな時間に、番犬として生涯寄り添い続ける。
それなら誰も、不幸にはならないのではなかろうか……。
浮かんできた夢想を、けれどエイデンは頭を振って追い払った。苦笑いし、顔を覆う。
(やめよう、そんなことを考えるのは。伯爵家の一人娘が、誰も選ばないなんてことはないはずだ。仮にユリア本人が一人でいたいと望んでも、きっと周囲が納得しない……)
伝説の聖女様だって、王子様と結婚した。そして赤毛の一族は、全員処刑された。めでたし、めでたし。
自分の好意は自覚している。相手からも憎からず想われていると感じる。きっと自意識過剰ではなく、本当に。
それでもエイデンが赤い髪である限り、この世が赤い髪の悪魔を倒してできた世界である限り、所詮、かなわぬ想いなのだ。
赤い髪でなければ始まらなかったかもしれない。でも赤い髪だから、最初から終わりはわかりきっていた。
……けれど何度自分に言い聞かせてみても、ユリアの前に現れる誰かの姿も、ユリアのいない世界で生きていく自分の姿も浮かばない。宙ぶらりんになったような、落ち着かない気持ちだった。
エイデンの複雑な胸中をよそに、時は進み、ユリアの王宮デビューに向けての準備が着々と進められていく。
「変じゃない? 本当に大丈夫?」
「よく似合っていますよ」
いつもよりも着飾った令嬢は、さすがに不安になったのか、何度も何度もエイデンに確認した。
デビュタント用の淡い色のドレスは、可憐な見た目の彼女によく似合う。だが髪を結い上げると、ぐっと大人っぽく見える。
うなじの線を思わず目で追ったエイデンは生唾を飲み込みかけ、ごまかすように咳払いした。
「どうしよう。どうせまた、わたくしの噂が変な風に広まっているのでしょう? なのに実物は品のない田舎者だって笑われたら、我が家の恥さらしだわ……せめて普通程度には見えるといいのだけど」
「お嬢様は誰より貴婦人らしい方ですから、大丈夫です。見た目も、中身も」
今度は化粧が施されて更に整った顔、そのつややかな唇に目が釘付けになりそうだ。己の邪念との戦いに忙しいエイデンは、ついうっかりいつもより自制心低めで本音ばかり零している。
するとユリアは赤面して黙り込み、周囲がえへんおほんとわざとらしく声を上げた。
誰にも浮き足立つ空気が流れる中、いよいよ王宮に上がる日がやってくる。