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5.忠義の証明

 そして、エイデンの従者としての人生が始まった。


 すべての人間がエイデンに対して好意的だったわけではない。むしろ、赤髪の小狡い小僧が、自分の境遇を大げさに騙ってお嬢様の気を惹いたのだと思う人間は、けして少なくはなかった。中には伯爵当主のように、直接エイデンに悪意の有無を問いかけてきた者もある。


 だがエイデンは周囲の厳しい目を、けして苦とは思わなかった。人間扱いされてこなかった今までに比べれば、冷ややかなまなざしを向けられる程度、何の害もない。


 それに、疑惑を払拭するには継続して行動を続けるしかないことも理解していた。心の内は言葉にしなければわからないが、人間は所詮見えるものしか信じられない。


 ユリアを守る。ユリアを守る自分を守る。

 彼の目標はシンプルで、そのために迷わず、一つ一つの課題をこなしていく。



 まず、怪我が治ったエイデンは、他の使用人と同じように、家事や水作業を任された。不慣れな新入りには、当然多くの雑用が言いつけられる。

 エイデンは先輩の言うことをよく聞き、きびきびと働いた。わからないことがあればすぐに質問をし、何か教えてもらったら必ず礼を言う。

 時に理不尽なぐらいの叱責を受けても、けして言い訳をせずに反省した。


 最初はただ大人しく周囲の言うことを聞いていたが、ある時、かっとならなそうな相手を選んで反応を伺いながら言葉を返してみる。


「申し訳ありません。頼まれた物を持ってこられなかったのは、おれのミスです。ただ、この二つの入れ物はすごく見た目が似ていて、きっとこの屋敷に慣れている人も、疲れている時は見分けづらいはずです。次から間違いをなくすために、もっとわかりやすい印をつけてはいけませんか?」


 非を認めた上で、自分だけでなく周りも得をする、あるいは損を減らす提案だった。少年の静かな、けれど理路整然とした言葉に相手は驚いた顔をしたが、少し考え――そしてエイデンの改善案は採用された。


 エイデンは常に、何が問題の原因だったか分析し、改善方法を模索していたのだ。彼は自らの不足点を見つけると「ではどうすればよいか」を思考する。そして、改善案が自分で思いつけば提案し、思いつかなければ質問をする。質問しても答えが得られなければ、更に自分で試行を繰り返す。


 エイデンはけして、強引に自分の我を通そうとはしなかった。提案はするが、却下されればほとんど大人しく身を引く。


 エイデンが気にくわない人間は、対抗心を燃やして自らも日々の業務と己の修練に励んだ。

 日に日に鋭くなっていく質問や反論を受ける者達は、慌てて業務や知識の見直しを行い、侮られるものかと居住まいを正す。


 結果として、伯爵家の使用人達の質は明らかに上がっていった。

 エイデンに反発を覚える人間の数は減り、一目置く人の数が増えていく。



「エイデン。とっても頑張っているんですって? この前なんか、執事長が褒めていたのよ」


 こっそり様子を見に来たユリアが、嬉しそうにささやいた。エイデンは教え込まれたお辞儀を披露し、より彼女を喜ばせる。


「すばらしい成果を出したのなら、何かご褒美がないといけないわ。エイデンは何がほしいの?」

「……とくには、なにも」

「まああ! なんてなまいきな言葉なの! そんなつまらないことを言う人は、こうだわ!」


 充実した毎日を送っていて不足を感じていなかったエイデンは謙虚に答えたが、ユリアには不満な回答だったらしい。みょーんと頬を引っ張られた彼が困り顔になると、ユリアはなぜか得意げな表情になる。


「わたくしはね。お菓子が食べたいわ。いい香りのするお茶と一緒に」

「……はあ。いえ……はい」

「お出かけするのもいいわね。日差しが強すぎない、穏やかな晴れの日がいいわ」

「はい」

「エイデンも一緒に来るのよ。わかっていて?」

「お供致します。どこへなりと」


 エイデンの働きぶりが認めれば、いずれはそういうこともできるようになるかもしれない。それはとても、光栄で、楽しいことだと思った。ユリアも同じ気持ちなのだろう。ずっとニコニコしている。だが何かに気がついたように、む、と口をとがらせた。


「ねえ、エイデン。あとね……」

「なんでしょうか」

「……その言葉遣い。二人きりの時は、前みたいでいいのだから……ね?」


 エイデンは虚をつかれて固まる。なぜか脳裏に、「お前はうちの子をたぶらかしたのか?」と詰めてきた伯爵の顔がよぎった。


 しかしエイデンがユリアに勝てることはない。

 結局彼は、お嬢様のお願いにはすべて「はい」と返すしかないのだった。



「――エイデン。剣を習う気はあるか」


 使用人仕事に慣れてきた頃、見計らったかのように伯爵が切り出してきた。エイデンが迷わず即座に是と答えると、「では、戦い方と立ち居振る舞いを教えてくれる師が必要だな」と伯爵は続けた。


 これはつまり、ただ雑用をするだけの使用人ではなく、騎士見習いの従者になれという打診だ。エイデンの働きが認められて、次のステップに進んだと言うことに他ならない。


 ユリアのことをもっと近くで、確実に守ることができるようになる!


 高ぶる気持ちを抑えて対面した騎士に、けれどエイデンは正直に言えば拍子抜けした。

 伯爵に「お前の師だ」と紹介された相手は、どう見ても引退済みに見える、白髪と白髭をたたえた老騎士だったのだ。


「現役ではないが、その分経験に優れて――何より時間がある。遠慮せずにあらゆることを盗むがいいぞ、エイデン」


 老騎士はただ静かに黙し、伯爵は人の悪い笑みを浮かべてのたまった。

 エイデンはすぐ、その言葉の意味を身を以て知ることになる。


 老騎士は覇気なく貧相にすら見える体格に反し、すこぶる強く、そしてとんでもなく厳しかった。


 最初、手本を見せてやると言われた時、エイデンは何が起きたのかまるでわからなかった。気がつけば自分の手にしていた剣が落ち、倒れ伏していた。


「これではいかぬ」


 呆然と空を見上げる少年に、ぽつりと老騎士はこぼし――そして地獄のようなしごきが始まった。エイデンは鍛錬中、何度も腕が痺れて練習用の剣を落とした。


 老人はけして、罵声を浴びせることはない。エイデンが限界と見ると、ただ「もうやめるか?」と尋ねる。それが逆に、静かな圧を帯びていてどんな暴言よりも恐ろしい。


 けれど、何度打ちのめされようと、エイデンは絶対に屈しなかった。もしここで諦めたら、「やめる」と答えたら、将来ユリアを守りたい時に手が届かないかもしれない――そう思うと、どれほど身体が疲れようと、彼は心に火をともし、立ち上がる気力を振り絞ることができた。


 鍛錬で毎日ボロボロになり、時に着替えに腕を上げることすら辛そうにするエイデンの姿に、ますます周りの態度は軟化した。ついにはエイデンの休み時間を増やすため、雑用を引き受けてやると言い出す人が現れるようになったほどだ。


「お前が色々考えて、あれこれうるさく言ったおかげで、俺らにも時間ができたからよ……」


 ぶっきらぼうにそう言ったのは、最初はエイデンが気に入らないと突っかかってきた使用人だ。エイデンは素直に感謝し、そしてありがたく鍛錬に集中した。


 ユリアはこっそりエイデンの様子を見に来るが、彼が疲れ果てて寝ていると、邪魔はせずに帰って行く。ただし、枕元にちょっとした差し入れを残していくことは忘れない。


 けれど少年が過酷な修行を文句一つ言わずこなしていることを知っていた周囲は、お嬢様のお菓子の試食係が特定の一人に集中することに、もうあまり文句を言わない。むしろ疲れ切っている所に更に“挑戦作”を差し入れられて悶絶している彼の姿を目にすると、同情すら集まるようになっていた。エイデンの寝室の枕元には、時に口直しすら置かれるようになる。



 やがて鍛錬を重ねて体ができてくると、また少し余裕が生まれた。

 エイデンは休息の大切さも知っていたが、空き時間を無駄にもしたくなかった。


 使用人の仕事も鍛錬も休みで時間ができると、少年はいつしか、身分を問わず自由解放されていた図書室に通い出す。基礎的な学習ぐらいであれば使用人でも受けさせてもらっていたが、エイデンは更に知識を深め、そして広げたがった。


 選書を書庫番に相談しているうち、いつの間にか勉強の教師がつく。熱心に学ぼうとする彼の話を聞きつけて、ユリアの家庭教師が夜に時間を作ってくれるようになったのだ。エイデンの図書館通いと勉強は、やることをやった上でのものだったから、感心するものはあれど批判はない。


 忙殺される日々の合間、ユリアがエイデンの様子を見に来る。

 彼女は得意げに勉強の先輩の顔をしようとしたが、時にエイデンの方が詳しくなっていることもあり、すると次に会いに来る時までに猛然と予習をする。


「お嬢様はできるとそれでいい、という所がありますから、いい薬になります」


 家庭教師はそんな風に笑い、面白がってますます少年に知識を授ける。そしてエイデンは、文も武も行儀作法も、あらゆるものを吸収して育っていく。



 ユリアはエイデンの成長に真っ先に気がついて喜び、ことあるごとにお気に入りの従者を“お祝い”することが好きだった。特別な日には、“挑戦作”ではないきちんとしたお菓子を用意して、お茶も彼女が手ずから振る舞う。


 大人達は少年少女が静かに幸せを共有している現場を目撃すると、黙ってそっとその場を離れた。


 この頃には、皆がエイデンの行動で知っていた。

 彼が並々ならぬ努力家であること、それなのにお嬢様にちっとも求める所がないこと――むしろ厚遇に遠慮すらしていることを。

 そしてそんな彼だからこそ、お嬢様は大好きで仕方ないのだということも。


 エイデンが伯爵家に来て八年目の春――もはや誰も、彼が赤毛だからどうとか、特別待遇でずるいだとか、そんなつまらないことを口にはしなくなっていた。


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