4.伯爵家の人々
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エイデンはユリアを信じることにしたが、それ以外の人間からは相変わらず人間扱いされないことを覚悟していた。
「まずはお母さまと会って、エイデン。わたくしからも話すわ」
だからユリアがそう言い出した時、顔には出さなかったが内心気落ちしていた。当然のように、伯爵夫人から反対されるだろうと思っていたのだ。
ユリアと共にいたい。ユリアを守る約束を果たしたい。
けれどその願いを叶えるには、子どもの彼らだけでは力不足だ。大人の協力がいる。
ユリアの母親の説得は、乗り越えなければならない第一関門だろう。だが娘を案じる“常識的”な人物であれば、エイデンをユリアの側になんてきっと置きたがらない。
孤児院で子ども達に笑みを向ける様子は優しそうだったが、きっとあの優しさは人間の子どもに向けるもの――赤髪の悪魔であるエイデンに与えられることはない。
どうすれば自分に、少しでも使い道があると思ってもらえるだろう。そもそも話を聞いてもらえるのだろうか。「その卑しい頭を晒して奥様を不愉快にさせるな!」と倉庫に閉じ込められていた自分なのに。
不安な気持ちを抱えつつ、前を行くユリアの様子を見る。ユリアはエイデンと違い、あまり心配そうな様子ではなかった。何か考えがあるのだろうか。
「大丈夫?」
「平気」
時折彼女は振り返り、エイデンがちゃんとついてきているか確認する。怪我だらけのエイデンと手をつなごうとすると、歩行の邪魔になってしまう。ユリアが痛ましそうに顔をゆがめると、エイデンは困ったように眉を下げた。
「痛くない?」
「平気」
「……エイデンって平気じゃなくても、へいきって言いそう……」
「歩ける。平気だ」
「歩ける……?」
「歩けてる」
「……肩、貸す?」
「いいよ。……大丈夫だってば」
今回、骨は折られないようにしたし。
と一瞬続けかけたエイデンだったが、なんだか更に話がややこしくなりそうな予感がしたので口には出さなかった。しかし怪我に慣れている感は充分伝わってしまったのだろう。
ユリアはため息を吐いたが、自分がやいのやいの言ってもやぶ蛇だと察したのか、それ以上エイデンに執拗な声かけはしない。
彼女は不意に、姿勢を改める。エイデンもはっと、背を伸ばした。
「お母さま。……この子がエイデン」
伯爵夫人は、孤児院長と話していた所のようだった。院長はエイデンに「どうしてお前がここに」と怒りの表情を向ける。
エイデンはすぐ、足の痛みを堪えて跪く――いや地面に頭を伏せようとした。だが屈もうとした彼を、たおやかな白い手が押しとどめる。
「エイデン。お噂はかねがね伺っておりました。ユリアがよく、あなたを困らせていると。この子は素直に見えて頑固なところがあるから、なかなか大変でしょう?」
「困らせてなんかいないわ! ……たぶん」
夫人はエイデンに優しく触れた。きょとんと目を丸くしている少年を慈愛のこもった目で見つめてから、夫人は院長の方に振り返る。
「院長先生。これはどういうことでしょうか」
「そのう……申し訳ございません、このような卑しい輩を、高貴なお方の目に触れさせてしまい――」
「違います。わたくしは以前、こちらで困っている子はいないか、とお聞きしました。あなたは子ども達はいつもお腹をすかせていて、建物や備品も古いのが悩みだとおっしゃっていた。だからわたくしはあなたの言う通りにお支払いしましたが――」
院長はいつもの通りに、エイデンに手を上げ、また奥に引っ張っていこうとした。けれど伯爵夫人はエイデンを守るように立ちはだかり、それどころか院長を問い詰め始めたようだ。
呆然としていると、ユリアが杖を持つ手に彼女の手を重ねてささやきかけてきた。
「……大丈夫よ、エイデン。お母さまなら守ってくださるわ」
今まで何もかも自分のせいにされることが当たり前だったエイデンは驚いた。同時に、「ああ、こういう大人の下でユリアは育ったのか」と納得もした。
エイデンはその日のうちに伯爵家の馬車に乗せられ、孤児院を後にした。夫人はエイデンを引き取ることに一切躊躇しなかった。
「あなたはとてもいい子だとユリアから聞いています。それなのに、こんな……わたくし達大人が至らぬせいで、ごめんなさいね」
果てにはそんなことまで言われて、孤児としては恐縮しかない。
「エイデンはね、お庭の面倒が見られるのよ」
「まあ」
「お掃除もお料理もできるのですって」
「本当に? 即戦力になれそうね」
母子がほのぼのと会話する間に挟まれ、エイデンは緊張してかちこちに固まっている。
ユリアはエイデンにぴったり寄り添って楽しげに話をしていたが、そのうちうとうとして、ついにはエイデンにもたれかかって寝始めた。エイデンはますます動けなくなる。
「この子がこんなにおしゃべりになるなんて。よっぽどあなたを気に入っているのね」
伯爵夫人はそんな風に呟く。
「仲良くしてもらえると嬉しいわ、エイデン」
いえ、と答えかけたエイデンだが、なんだか違う気がして、「はい」と口にしていた。夫人は満足そうに笑い、穏やかな目で子ども達を見守っていた。
夫人の次は、伯爵家当主だ。
彼も、出会い頭に面と向かってエイデンを拒むようなことはしなかった。
ただ、女性達とは異なる目を向けてきているなと、エイデンは漠然と感じる。
案の定、男同士の話があるからと言って、エイデンは伯爵と二人きりにされた。ユリアは嫌がって離れようとしなかったが、これはエイデンからお願いして退席してもらった。
「お父さま、エイデンに意地悪したりしないわよね?」
「そのつもりではあるが」
「わたくし、知っているのよ。しゅうといじめは、みにくいわよ!」
「ユリア。後でちょっと、お前とも話をしなければいけなさそうだね。どこでそんな言葉を覚えてきたんだ?」
令嬢はんべっと小生意気に舌を出し、最後にエイデンに心配そうな目を向けてから、母と一緒にすごすご去って行った。
扉が閉まって伯爵当主のみ残った途端、射貫くような鋭い目がエイデンに向けられる。
「さて、エイデン。娘から話は聞いている。お前は随分とかわいそうな子らしい。不当に容姿で差別を受けてきた――だからうちの子は、お前をもっとふさわしい場に連れてきたのだと言う」
冷徹に値踏みするような視線が、孤児にじっと注がれている。
「だが、私はね。世の中には、かわいそうな自分を売り込む人間というものがいることも知っている。お前はどちらなんだ? ただ不運なだけだったのか、それともずる賢くうちの娘に取り入っているのか――」
伯爵が思わず言葉を途切れさせたのは、無表情だった少年が思わずという感じで一瞬だけ口元をほころばせたからだろう。
エイデンは辛辣な言葉を投げかけられて、むしろ安心していた。
良かった。だってユリアも伯爵夫人もあまりに優しすぎて、また自分は異世界に投げ出されたような気がしていたのだ。
ここがまだ、自分がいる世界であるという実感が持てたこと。
そして、お人好しすぎて不安になる二人の側に、ちゃんとしっかりした人が――しかも力を持った大人の男性がいてくれたこと。
エイデンはそれらの事実に安堵し、無意識のうちに表情を緩めていた。
だがすぐに気を取り直し、まっすぐ伯爵を見つめる。
「自分と彼女を守るためにここに来ました。気持ちは行動で示します」
ハシバミ色の目は、澄み通って凜とした輝きを放っている。
伯爵はふっと息を零した。
「なるほど。ではひとまずはきみを信用することにする。言葉通り、行動で見せてもらうことにしよう。――ただし」
伯爵は歩み寄り、エイデンの肩にそっと、傷が痛まない程度に触れた。
「まずは、怪我を治すことからだな」