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14.断罪裁判 前編

 ***


 王国はかつてないほどの大騒ぎになっていた。

 婚約披露宴前に起きた、王太子妃候補の強奪未遂――その犯人は、赤い髪の男だと言う。


 聖女がごとき魅力の持ち主ゆえに、やや格不足の家から見事王太子妃に選ばれた令嬢。

 彼女を麗しの王子から奪い取ろうとした、赤い髪の卑しい男。


 伝説の再来――その目撃者となることに、人々は興奮し、あらゆる憶測と噂を飛び交わせた。

 下は貧民、上は貴族に至るまで、連日無意味に集っては、あれこれと賢しく陰謀論を争わせる。


 当事者である伯爵家には、当然あらゆる層の人間が殺到したが、家の門は閉ざされていた。たまに出てくる関係者らしき人物に駆け寄ってみても、口が堅くちっとも話のネタをくれない。


 代わりのように、王太子側の人間達が、いかにこの赤毛の男が邪悪で卑劣か説いて回った。

 ゴシップに飢えた誰も彼もが飛びつき、もはや国で大悪党――「赤髪の悪魔エイデン」の名を知らぬ者はいない。


 罪人に下される、華やかで派手な裁きと処刑が望まれていた。


 ――そして大勢の観衆が見守る、茶番じみた裁判が始まる。

 裁判と呼ばれてはいるが、大悪党に弁護人なんてものは不要だ。これはただ、悪行を断罪する舞台なのである。

 見守るのは、王族、議会に席を持つ貴族、それから関係者――後は、入れるだけの傍聴人がぎっしりと。

 誰もが皆、正義の鉄槌を望んでいる。絶対悪を絶対善として叩く娯楽は、何にも勝る悦楽を人にもたらすものなのだから。


 赤髪の悪魔は首に縄を打たれ、引きずられるように法廷に引っ張り出された。

 しかしその姿は、大勢の想像と大きく乖離している。


 人々はふてぶてしい態度の、みじめなみにくい男を想像していた。しかし実際姿を現したのは、胸を張り、凜と背を伸ばして歩く若者だ。


 投獄生活によって少し痩せても、エイデンの存在感は健在だった。その鮮やかな赤い髪は人目を引き寄せ、ハシバミ色の強いまなざしは目が合った相手を射すくめる。


 彼は確かに、粗末な囚人服に身を包み、薄汚れ、戒められていた。顔色もいいとは言えない。


 それなのに、堂々と歩く姿からもたらされる印象は、清廉さと、聖職者がごとき高潔さだった。とても噂の、懸想した挙句暴走してフラれたみじめな輩には見えない。


「本当にあれがエイデン(・・・・)なのか?」


 と、はじめて彼を目にする傍聴席の人々の間に困惑が広まる。


(……生意気な態度をとれないようにしろ、と言ったはずだが?)


 一方、エイデンの見た目に不本意な感想を抱く王太子は、傍らの部下をにらみつける。すると彼の部下は、目をさまよわせて言い訳をした。


「目に見える場所に痕を残すなとも、おっしゃいましたので……」

「……看守はどうした」

「言いつけ通り、相応の待遇をした――と聞いております」


 王太子は鼻を鳴らす。

 ……どうも、あの男が絡むと計画通りに行かなくなるのが気に入らない。


 そもそも今回の件は王国の問題、王族のみで片付けるつもりだったのが、大教会が絡んできたことから気にくわなかった。「聖女が関わるのならば、自分たちの問題でもある」と言われると、世間の注目度が高いこともあり、反論しきれない。


 おかげで今日、裁判官の傍らには「助言役」とやらで枢機卿が鎮座している。聖女に祈りを捧げるだけの老いぼれではあるが、部外者の目があるとどうしても、身内だけの場より無茶はできなくなる。


 そのせいで、あの忌々しい赤狗めを、あまり痛めつけてやることができなかったのだ。


 しかも奴は思ったよりも……なんというかその、痩せきっていない。もっと骨と皮だけに萎んでいる姿を期待していたのに、筋肉までまだちゃんと残っていそうだ。

 看守には囚人がどれほど悪辣か吹き込んだはず、印象が悪ければ自然と世話はぞんざいになり、最低限生きる程度の水と粗末な残飯しか与えられなかったはずなのに……。


(……まあ、いい。この不快感も、今日までだ)


 苛立つ気持ちをなだめ、権力者は特等席から断罪式を見守ることにする。


 入場前はブーイングの嵐だったのに、エイデンがいざ場に現れると、裁判官が声を張り上げるまでもなく、ざわめきが収まっていく。彼が手を戒められたままでも礼儀正しく頭を下げると、しんと静まりかえったほどだった。


 裁判官は厳かに木槌を鳴らし、開廷を告げる。


「――では、始めましょう」


 エイデンは淡々と一つ一つ、問われた罪に答えていく。沈黙したこともあったが、これは裁判という名の茶番、どうせ相手は好きに答えを連想するだろう。


 伯爵家を騙したこと、企みを見抜いた王太子に遠ざけられ憎悪を募らせたこと、王太子の婚約者に対する身勝手な執着を向け続けたこと――。


 それらが暴かれる度、王太子とその取り巻き達がエイデンを断罪する。


 エイデンは野次の類いであれば無視し、誇張や嘘を相手が話せばただ何も言わずじっと見つめた。その奇妙な静けさに圧されるように、相手の言葉は尻すぼみになり、そして場に沈黙が戻る。


「……証言していただきましょう。ユリア=トゥイリス伯爵令嬢」


 やがて証人の一人として、この事件のもう一人の主役が現れた。するとにわかに会場は色めき立つ。


 哀れな伯爵令嬢もまた、恐ろしい目に遭ったせいだろうか。元々華奢な体は更に小さくなってしまったようで、今にも壊れてしまいそうな儚さを感じさせる。


 彼女が今日身に纏っているのは、地味で飾り気のない修道女のような灰色のドレスだが、首には鮮やかな緑のスカーフを巻いていて、自然とそこに人目を惹きつける。

 鮮やかな緑、エメラルドグリーンは王太子の色だ。金髪であればよく見かけるが、あそこまで鮮やかな緑の目は珍しい。

 あれは婚約者への今でも褪せぬ忠誠心の表現だろうか? 暴漢に拐かされた彼女は、もう王太子妃となるのは難しいと考えられているが……。


 一斉に好奇の目が降り注がれる中、令嬢は健気に気丈に証言席に立つ。


 王太子はユリアの見るからに弱っている姿に目を細める。

 こちらの方は、ちょうど彼の期待通りの仕上がりだった。

 首元の布は、今更媚びたつもりなのだろうか? もう遅い。彼はもう、彼女を王太子妃にするつもりはなかった。だが、安易に手放すつもりもない。

 恋人を目の前で処刑してやったら、どこぞの修道院に閉じ込めて、遊んでやるつもりだ。

 エメラルドグリーンの目は、自分をコケにした二人への復讐に燃え、口元は嗜虐心で歪んでいた。


 エイデンはユリアをちらりと一瞥しただけで、それ以上は反応を見せない。

 ユリアは手を組んで俯いたまま、一つ一つ、問われたことに答えていく。


 ――この男と前から知り合いだったか? はい。

 ――彼の企てを何も知らなかったのか? はい。

 ――彼は鮮やかに王宮の奥まで侵入を果たしたが、本当にあなたの手引きはなかったのか? はい――。


 愛らしい声が法廷に響くと、この場の悲壮感がより増していく。


「――さて、証人。以上ですか? 何か他に、付け加えることは?」

「はいっ、質問! 証人が被告人と恋愛関係にあったというのは、事実ですか!」


 ユリアが黙り込んだ隙を突き、無粋にも傍聴席から誰かが野次を飛ばした。途端、堰を切ったように、わあっと人々が騒ぎ立て出す。


「そうだそうだ! 王太子とどっちが本命だったんだ!?」

「何も知りませんでした、全部彼のせいですなんて、幼なじみにしては随分情がないじゃないか!」

「本当は、あんたがけしかけたんじゃないのか。王太子を殺してくれって。可愛い顔して、なんておっかねえ女だ――」


「静粛に! 静粛に!」


 裁判官がどれほど木槌を叩こうと、誰も止められない。

 警備の人間は、王太子派が多いためだろうか。ユリアに心ない下世話な言葉を投げかける人々を、止めるどころかむしろ煽っていた。王太子もまた、劣勢に立たされる自らの婚約者を見て、密かにほくそ笑んでいる。


 しかし、たおやかな白い手がすっと上げられると、波が引くように静寂が戻ってきた。


「証人……何か付け加えることが?」

「はい」


 それまで俯いていたユリアが、顔を上げた。

 ――王太子は奇妙な胸騒ぎに眉をひそめる。


 ユリアの目は生気を取り戻し、きらきらと輝いていた。今までの憔悴しきった様子が嘘のように。


 彼女は一呼吸置いてから、凜と言い放った。


「告白いたします。わたくしは嘘をつきました」


 人々がざわめく。さざ波が立つような囁き合いは、木槌の音でいったん収まる。


「嘘? どんな嘘ですか」

「エイデンについての嘘です。――彼は罪人ではありません」

「それはどういうことでしょう?」


 ユリアは言葉を切り、艶然と微笑んだ。その視線の先には、何を言い出すのかと驚いて目を見開いている赤毛の青年がいる。


 彼をじっと見つめながら、ユリアはドレスのボタンに指をかけた。彼女の挙動に首を傾げていた人間達は、次の瞬間、あっと口元を覆う。実際に声を漏らした者も、とっさに横の連れ合いの目の前に手を伸ばした者もいた。


 ユリアはドレスを脱ぎ捨て、下着姿になっていた。真白く、磨き抜かれた真珠のような肌があらわになる。長い黒髪とスカーフだけが、彼女に残された心もとない砦となった。


「――どうぞ、よくごらんになってくださいませ」


 両手を広げ、惜しげもなく我が身をさらけ出した彼女は、けれどこの場を圧倒していた。


 本当に美しいものを見た時、人は感動に声を失うのだ。誰も破廉恥だとは言わなかった。ただただ、神秘がそこにある。この卑しく嘆かわしい世に、誰をもお救いになるお方がいらっしゃっている。


「聖女様……」

「聖女様だ……」

「だれにも微笑みを与え、この世界に平和をもたらしたと言う……」


 誰だろう、最初に目の前の奇跡を言葉にできたのは。皆が伝説を、そして目の前に立つ娘の異名を思い出す。


 ――聖女の再来。


 だからこそ、王太子はわざわざ伯爵令嬢を妻に望んだ。

 伝承なんてばかばかしいと思いつつ、実際に歩けば誰の視線をも自分に向け、夢中にさせる娘の姿を見ると、これは手にしておかねばならないと直感したのだ。


 この女を敵にしてはいけない――最初に会った時、確かにそう感じたのでは?


(なにを、ばかばかしい)


 王太子は頭を振り、嫌な妄想を追い払う。


 一方、神々しいまばゆさを放つ美女を拝む人々は思い出していた。

 そういえば聖女伝説の一つに、こんな話がある。

 悪女に冤罪をかけられて窮地に立たされた聖女が、己の肉体という説得力で、自らの潔白を証明したという逸話――。


「わたくしは証言いたします。この身の髪の先からつま先まで、この身この心に、何一つ汚れた部分はありません。それはわたくしを真実の意味で愛する人が、命がけで守り抜いてくれたからです。彼は確かに、禁じられた場に立ち入り、暴力を働き、騒ぎを起こしました。それは事実です。けれどわたくしを守るための行いでした――」


 そして美しきものが放つ言葉は、説得力を持って人の胸を打つ。


 沈黙の中、裁判官が厳かに問いかけた。


「あなたは今、守られたとおっしゃった。一体彼は、何から――あるいは誰から、あなたを守ったと言うのですか?」


(ユリア? ……まさか!)

(馬鹿な! 最初の殊勝な態度はこちらの油断を誘うため――これが本題だとでも言うのか!?)


 場がユリアの奇策に圧倒されている中で、二人の男だけが、彼女が何のためにその身をさらけ出したのか理解する。


 ユリアは誰にも聞こえる、はっきりした声で言い放った。


「――王太子殿下です」


 その青い目は、今まで安全な場所から高みの見物を決め込んでいた――そう思い込んでいた、真の卑怯者にひたと向けられていた。


 

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