9.不穏な求婚者
エイデンはユリアのことを綺麗な娘だと認識していたが、王宮で色とりどりの人間に囲まれるとここでも通用する美しさだと更にかみしめる。
デビュタントということもあり、装いはけして派手ではない。
だがシンプルでありつつ上品なドレスは、ユリアの清楚な美しさを最大限輝かせていた。
透き通るような白い肌。艶やかな黒い髪。瞳はきらきらと晴れた日の湖面のように輝く。
「聖女様……」
「本当に聖女様だ……」
歩いている途中、周囲から散々そんな言葉を聞いた。
きっとユリアは早速うんざりしているのだろうが、微笑みが崩れないのは淑女教育の積み重ねの賜なのだろう。
エイデンは誇らしい気持ちと、ほんの少し、ユリアの堪忍袋の心配を胸に、静かに後から伯爵一家を追っていく。
国王夫妻への挨拶の場までは、エイデンの身分では随行の権利がない。帰ってくるのが随分と遅くて、何かあったのではないかとうろうろしては同行の使用人にたしなめられた。
ようやく姿を見せたユリアは、エイデンを見るとほっとしたような顔になった。
「お嬢様、なかなか戻ってこられなくて、何かあったのかと」
「わたくしもね、すぐに終わると思っていたのだけど……あれやこれやと会話が続いて」
「両陛下がなかなか離してくださらなくてな」
「お怒りを買うよりは、気に入っていただける方が、いいことなのでしょうけどね……」
本人だけでなく、夫妻にも早速疲れが見える。従者達はせっせと働こうとしたが、ご主人様達は残念ながらあまり休めなかった。ユリアの社交界デビューのお祝いだとかに、次から次へと人が押し寄せてきたからだ。
エイデンは少し離れた場所から、伯爵一家が訪問者に応対する様を見守っていた。
正式な騎士であれば、もっと夫妻やユリアの側近くに侍る。ただの従者は、貴族の社交場であまり前に出て行くものではない。しかも、ただでさえエイデンは叩けばほこりの出る身――少し情報の伝手がある者が素性を調べれば、すぐに“赤毛”と判明するだろう身なのだ。なるべく騒ぎは起こさず、大人しくしていた方がいい。
まあ、この位置であれば俯瞰できるし、悪くはないと思った。当人達の様子に、周囲の様子。離れている方がかえって状況が見えやすくすらある。
ユリアは王宮でも、相変わらず人を引き寄せていた。特に若い男が何人も、気を惹こうとしている場面が目に入ってくる。
しかし、いまいち誰もエイデンの印象に残らない。
ユリアもそう感じているのか、定期的に相手が入れ替わる。もし誰か気に入られていたら、流れ作業のように右から左へ移っていく人の動きが、どこかで止まるはずではないか。
(こんな、誰が誰ともわからないような中で。ユリアは未来の相手を決めるのか……?)
そんなことを考えていた頃合い、不意に人の群れが割れる。エイデンは周りの緊張を感じ取り、すっと目を細める。
「ああ、僕の真実の愛。ようやくあなたをダンスに誘える」
この色とりどり華やかな会場の中、一際目立つ金髪の男が、恭しく伯爵令嬢の手を取った。
ユリアが身体をこわばらせたのが、遠目からでもすぐに見て取れる。
「……お初にお目にかかります、殿下」
加えて周囲のざわめきが奇妙に収まったから、先ほどまで雑音に紛れていた彼女の声もよく聞こえた。エイデンはユリアの言葉で、この物々しい男の正体を知る。
(なるほど、あれが王太子)
まず、とにかくきらきらしい。明るい金髪に、鮮やかなエメラルドグリーンの目――その上着ている服も金装飾がふんだんにあしらわれていて豪華。いかにも目立つ見た目で、皆が注目していた。確か年は二十代前半、ユリアよりもう少し年上ぐらいだ。
(顔立ちは整っている。服装はいかにも派手好きらしいな。ただ、少し態度が軽薄過ぎるように思うが……あれは気さくというより、なれなれしい、では? 初対面の挨拶にしては、なんだか距離が近い気もする。台詞も役者じみてきざったらしい。まったく、出会ったばかりで何が“真実の愛”だ――)
エイデンはそこで、不平不満だらけの己の感想に気がつき、愕然とした。
(なんでこんな、急に……今までは冷静、というか、誰がやってきても気にしなかったのに。伯爵から事前に、ユリアの求婚者と話を聞いていたせいだろうか? このざわつく感じは、なんだろう……)
もやもやを押さえるように胸に手を当て、エイデンはいまいちど気を取り直して王太子を観察しようとする。
……理由が少し、わかったかもしれない。ユリアの反応だ。
彼女はずっとぎこちなくて、王子様に話しかけられて嬉しいというより、とにかく恐縮しているように見えた。
ユリアがいまいち嬉しそうに見えないなら、相手に好印象を抱けなくて当然だ。
(珍しい……ユリアは大勢のいる場が好きではないが、それは自分のせいで人が争う所を見るのが嫌なだけで、社交自体は嫌っていない。初対面の相手とでも、普通程度には話せる。なのに王太子相手だと……緊張がずっと解けない? なんだかいつも以上に聞き役に回っていて、相づちばかり打っている気がする)
ユリアは自身も興が乗っている状態であれば、頷いているばかりではなく、その旺盛な好奇心のままにあれこれ聞いているはずなのだ。だが彼女はほとんど頷くだけ、しゃべっている王太子の方は楽しそうだが、果たしてあれは会話が盛り上がっていると言えるのか。
嫌な予感を覚えつつも、結局従者は見守るしかない。
程なくして、二人のダンスを始まった。
王太子がフロアに出ると、他の人間が遠慮してしまって、貸し切り状態になっている。二人を見る目には、羨望と嫉妬のような、結構露骨に敵意むき出しのものも混じっている。
ユリアは借りてきた猫のように大人しくなっていた。あれはあれで愛らしいが、本当の彼女はもっと生き生きして、その方が魅力的なのに――。
「……ねえ、あなた。そこの方!」
もはやハラハラしながらフロアの二人に注目していたエイデンは、自分が話しかけられていることにようやく気がついた。
会場の邪魔にならない端の方に立っているのに、いつの間にか着飾ったご婦人が隣に陣取っているではないか。流し目を送られると、エイデンは思わず眉間に皺を寄せる。
(どう見ても貴族だ。どうしてわざわざ、おれに声を……?)
「ずっと呼びかけておりましたのに。よっぽどどなたかに夢中でしたの?」
「……仕事中ですので」
もっと世の中の平均的な若い男であれば、高貴で美しいご婦人に相手にされれば、どぎまぎして顔を赤らめたりしたかもしれない。
だが今回は相手が悪かった。エイデンはユリア以外の誰かに心ときめかせたことはないし、更に絶賛仕事中である。放っておいてくれとしか感想を抱かないし、顔にも割と本心がそのまま出ている。
簡潔に答えて再び己の任務に戻ろうとしたエイデンだが、ご婦人はめざとく見つけた物珍しい若者をそう簡単に解放する気はなさそうだ。自分に注意を払わせるため、エイデンの顎に扇の先を当ててきた。
「まあ、冷たい人。でもそんな所も素敵ね……お名前は?」
どうやら変な興味を持たれてしまったらしい。今は赤髪でもないのになんでだ、とエイデンは空を仰ぎたくなる。
(明らかに格上の相手ではあるし、さすがにここまで問いかけられて、何も答えなければ無礼になる――)
けれどご婦人をあしらう言葉を考えながらちらっと視線を流した先、とんでもない光景が目に入ってきた。
王太子はユリアの大人しい態度に気を良くしたのか、それとも頷くばかりの彼女に物足りなさを覚えたのか――とにかく、腰に回している手に力を込め、密着度を上げたらしいのだ。
引き寄せられたユリアは驚いて目を見開き――そこに怯えの色が混ざったのを、番犬は見逃さなかった。
「あら……」
完全に無視され置き去りにされた形の貴人が、どこか面白そうな声を上げていた。だが全くかまっている余裕はない。
ちょうど曲の切れ間だった。動くなら今しかない。
エイデンは人の間を縫い、ユリアの元にほとんど最短距離で近づく。
他の人間は王太子の邪魔をしないようにしていたから、そこにつかつか歩み寄っていくエイデンは自然と衆目を集めた。
「あれは……?」
「招待客ではないな」
「使用人か? 一体……」
周囲の喧噪をよそに、ユリアの元に無事たどり着いたエイデンは、行儀良く従者の礼を取った。
「ご歓談中失礼します、お嬢様。替えの靴をお持ちしました」
「……なんだ、お前は」
王太子は突然の闖入者を歓迎しない様子だったが、ユリアはエイデンの顔を見るとやっぱりほっと表情が柔らかくなる。その上、王太子の腕が緩んだ隙も見逃さなかった。パッと身体を離し、貴婦人らしく頭を下げる。
「ご無礼をお許しくださいませ、殿下。その、わたくし……実は本日、張り切って新しい靴を下ろしてきましたの。身の丈に合わない、もっといつも履いているものにしなさいと、両親に注意されていたのですが……」
エイデンの作戦は無事に伝わり、そして採用されたようだ。
華やかな場に慣れない娘が、初めての舞台でつい楽しみすぎて足を痛める――珍しくもない話だ。ユリアが普段と違う、デビュー用の靴を履いてきていることは事実。そして彼女は、「慣れない自分の失敗で足を痛めてしまった、一度休ませてほしい」とお願いしていることになる。
紳士ならば、これでダンスを続けさせる無体は働くまい。
「ああ……そういうことか。こちらこそ、無理をさせていたことに気がつけなくて、申し訳なかったね。お詫びに休憩所まで送らせていただけないだろうか?」
ダンスが中断する流れになったのは思惑通りだが、付き添いの申し出はいただけなかった。自然な流れと言えばそうだが、エイデンはちょっと内心むっとする。
(この男さっきから、ユリアが大人しい娘だと思って、強引に押してきてないか?)
確かにユリアは清楚で可憐な種類の美しさを持つ少女で、初対面の男は特にそれだけの女だと勘違いしやすい。今日は特に緊張しているから、世慣れない内気な様子に見えるだろう。
だが、それだけが彼女のすべてだと思うのなら、それは節穴の勝手な先入観に過ぎないのだ。
伯爵令嬢はじっと王太子を見つめてから、花がほころぶような笑みを浮かべた。
「ありがとう存じます、殿下。けれど、恐れ多うございます。わたくしごときの新参者がこれ以上殿下を独り占めしたら、この先どなたも、わたくしと快くお話ししてくださらなくなるでしょう」
「……そう言われてしまうと、僕も自分の義務を果たした方が良さそうだ」
ユリアは角を立てぬよう、けれどきっぱりと、一人になりたい意思を示した。さすがに王太子も察したようで、さらなる深追いはしてこない。
ようやく話が収まりそうだと思った瞬間、エイデンはエメラルドグリーンの目が自分の方に飛んできたことに気がついた。
「…………」
「…………」
ばちっ、と、火花が散らされる――そんな錯覚を覚えた気がした。
――お前、覚えていろよ。
言葉にならない呪詛が聞こえたように感じた。
「それではごきげんよう、レディ」
「……ごきげんよう、殿下」
ようやく別れの挨拶になり、王太子は無事去って行く。
ほっと息を吐き出したのはユリアもエイデンも同時、思わずくすりと笑い合ってしまった。