プロローグ 赤髪の悪魔
今日、「赤髪の悪魔」と呼ばれる一人の青年が断罪され、処刑される。
恐れ多くも王太子妃になるはずだった女性に懸想し、未来の国王の殺害未遂を起こした大逆罪で。
浮き足立つ周囲をよそに、当事者本人は心穏やかだ。
彼はこれから散々、犯していない数々の悪行を責められるだろう。見せしめのために、結果の決まっている裁判と、それから派手な公開処刑が行われるはずだ。
けれど彼女を守ることができるなら、悪役として死ぬこと程度、なんとも思わなかった。
赤髪の青年は予想通り、大勢の人間が見守る法廷に引きずり出される。
罪が数々申し渡されるが、身に覚えがなくとも大人しく肯定し、あるいは沈黙を保って相手に好きなように想像させてやる。
とはいえ、途中で彼女が証言台に立たされた時には、さすがに内心ざわめきを覚えずにはいられなかった。
きっと奴の嫌がらせの一つだ。
自分で婚約者に選んだ相手を、この期に及んでなぶろうとする――その態度に吐き気がする。
少し前、青年は彼女の幸せを思って、身を引こうとした。けれど彼女の伴侶として名乗り出た相手は、こちらの予想以上にとんでもない男だった。もっと早く、その邪悪さに気がついていれば――後悔していることがあれば、そのことだけだ。
この醜聞を逆に利用すれば、彼女は奴と別れられるはずだ。傷物の噂が広まってしまうことは避けられないが――それでもあのまま王太子妃になるよりは、彼女の思う生き方ができるはず。
下品な野次に晒されてうつむく彼女の姿には、心が痛む。青年も静かに目を閉じ、ただ早くこの時が終われと念じる。
――だから彼は、変化に気がつくのが遅れた。
「証人……何か付け加えることが?」
「はい。――この人に罪はありません」
潔く死の覚悟を決めてきた青年と逆に、彼女は青年を生かすためにこの場に立っていた。
茶番を逆手に、冤罪を証明し、真の悪党を裁判の場に引きずり出す。
後世に残る逆転劇が今、始まろうとしていた。
***
昔々、異世界から聖女がやってきた。
聖女はその場に存在するだけで人を幸せにする、不思議な魅力の持ち主だ。世界を巡りながら世の中を平和にしていき、やがてある国の王子と恋に落ちた。
ところが一人の悪女が、異世界から来た女は悪辣な魔女だと言い始める。彼女は王子の幼なじみのご令嬢だったから、自分こそが妃になるべき存在だと考えたのだ。
あの手この手で嫌がらせが繰り返された。
ある時は階段から突き落とし、ある時は食事に毒を盛り、またある時は衆人の前で辱める……。
彼女の家族もまた、娘を王妃にすべく暗躍した。一族は皆冷淡で傲慢で、何度も聖女は命の危機にさらされた。
けれど彼女は王子と手を取り合い、陰湿な彼らと戦った。ついには自らが正しく聖女であると、広く民に周知させた。
すると今度は、悪女が断罪される番だ。世界を救う奇跡を起こす人を魔女扱いした罪は重い。一族郎党処刑されることになった。
悪者がいなくなった世界で、聖女は王子と真実の愛を誓い、いつまでも幸せに暮らしたそうな。
めでたし、めでたし。
……ところでこの悪女の一族は、皆燃えさかる炎のような赤髪の持ち主だった。
それで誰かが言い出した。
「赤い髪は悪の象徴だ」
「赤い髪の人間は、産まれながらに性悪だ」
「赤い髪の人間は、悪魔なのだ」
「存在するだけで人を不幸にする悪魔は、滅ぼさなければならない……!」
誰もが信じた。悪女とその一族の顛末を見ていたから。
実際に一族の末裔かどうかは、もはや関係ない。
赤色は罪の証。断罪の理由。いつしかそれは常識となり、人は血の色に狂乱し――数百年経ってもまだ、赤い髪の人間はそれだけで悪人扱いされる世界が続いていた。
さて、あるのどかな街に、また一人、不幸な赤髪の子どもが産声を上げた。
それなりに裕福な平民の家に生まれた彼は、両親から「エイデン」と名前を与えられる。
エイデンは最初、自分が赤い髪であることを知らなかった。両親が息子の髪を洗うふりをして、無難な黒色に染めていたのだ。
両親も、その両親にも、赤い髪の人間はいなかった。エイデンの髪は先祖返りか、あるいは誰か秘密を隠して家庭を持った人がいたのか。
エイデンが物心ついてまもなく、両親は二人とも揃って事故で死んだ。
突然の不幸に呆然としているうちに、エイデンの髪は元の色を取り戻していく。すると彼の人生は、それまでとまったく異なるものになった。
今まであんなに優しかったお隣さんも、訃報を聞いて駆けつけた親戚も、エイデンが赤い髪であるだけで嫌悪し、軽蔑し、恐怖のまなざしを向けてくる。
「騙していたな!」
「嘘つき一家め!」
「悪魔の子どもを育てた親も異端者だ、地獄に落ちろ!」
親しき他人達はついに、平気な顔で故人への罵倒も口にするようになった。家も墓も荒らされ、詐欺師に騙された迷惑料とばかりに、遺産は全部持って行かれた。エイデンの手元には、ついに形見の一つも残らなかった。
そしてエイデン自身は最終的に、孤児院に厄介払いされた。
身寄りのない子ども達のたまり場でも、赤毛を温かく受け入れる人はいない。
むしろ暗い鬱憤のはけ口として、エイデンは格好の的になった。
エイデンは嘆くことも恨むこともなく、日々を静かに淡々と生きていた。あまりに何もかもが変わりすぎて、何かを考えること、感じることに疲れてしまったのだろう。
彼の心は凍えきって動かなくなっていた。再び火を灯す出会いが、十歳の年に訪れるまで。
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