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ユーグの戦い・後編

流血などの描写があります。

 太陽が真上に昇った。

 春の日差しはうららかで、時折ひんやりとした風が吹く。その風はこげた草木の匂いと血の匂いを含み、僕と竜の間を通り過ぎた。

 ここでは僕だけが余力を残し、ほぼ無傷で立っている。

 かろうじて立つヴァレリーさんを残して、仲間は倒れて動かない。

 竜は満身創痍ながら圧倒的な存在感で僕の前にいる。

 右後ろ足はサミュエルさんが剣を突き立てた。左の翼を折ったのはヴァレリーさんで、右の翼を半分切り落としたのはギヨームさん。シメオンさんの短剣が左目を潰し、ロイ先輩とヤニックさんの連携で首から胸にかけて深い傷を負わせた。

 それでも竜は倒れない。

 神話の時代から生きるこの竜は、首を落としても死なないと言う。

 どう言う仕組みなのか、竜の核がある限り年月をかけて修復する。誰も首を落としたことがないから実際は分からない。でも始めにつけたはずの首の傷がなくなっているところを見ると、あながち嘘ではなさそうだ。

 弱々しく悲痛な声を上げ、竜が上半身を持ち上げた。

 僕は竜が炎を吐き出すより早く駆け、跳んだ。槍の柄を竜の首に押し当て、勢いのままに右へ振り払う。

 黒い炎は青空に吐き出され、竜の左後ろ足が浮く。

 もうひと押しか。

 着地とともに地面を蹴ると、視界の端から赤色が横切った。

 

「ヴァレリーさん!?」

「はあああ!!」

 

 僕は走りかけた足を止め、竜との間合いを取る。

 目の前ではヴァレリーさんが竜の首の付け根に剣を刺していた。ヴァレリーさんは浅く刺さった剣を支点にして、両足で竜の太い首を蹴り上げる。そして瞬時に剣を抜き、力いっぱい竜を叩きつけた。

 黒の竜が先に落ち、地面が大きく揺れる。続いてヴァレリーさんが土埃の中を転がりながら着地する。

 竜は仰向けに倒れた。

 考えるまでもなく、剥き出しの竜の腹に飛び乗った。

 ここだと言う何かはない。ただ、ここだと思った。

 竜の胸のやや左下、人で言う心臓に近い部分に狙いを定める。そして槍を突き刺す。

 柄を持ち直し、竜の腹を足場に力を込めると、槍は硬い外皮を破り肉を割く。少ししてカツンと硬い手ごたえがあった。

 竜の核だ!

 みんなに守られて残すことができた、ありったけの力を込めて槍の柄を押す。

 僕の意味はこの時にある。

 ピシッと言う高い音が手を伝って体に響く。核にひびが入った。

 竜の咆哮が轟き、空気が揺れ、木々がざわめく。

 竜は仰向けのまま暴れ、僕を振り落とそうとする。吠えるように炎を吐き出し、前足を振りまわす。

 黒い炎が僕の左腕を焼き、鋭利な爪が頬を裂いた。

 

「ユーグ!!」

 

 ヴァレリーさんの叫び声が聞こえる。それから足音がして、竜の暴れる力が鈍った。

 視界の端で剣が太陽を反射する。ヴァレリーさんが竜の左の翼を地面に縫い止めたんだろう。

 

 僕が倒れたら代わりに英雄になると言ったのに、ヴァレリーさんはいつも僕を英雄として扱う。ヴァレリーさんだけじゃない。倒れている仲間も、騎士団のみんなも、今まで出会った全ての人が僕を英雄だと言う。

 でも僕はまだ英雄じゃない。

 

「もう良い! 止めろ!!」

 

 ヴァレリーさんが叫んだ。

 ピシリッ。核のヒビが広がる。でも割れない。

 

「まだです!」

「ユーグ!!」

 

 怒声に近い呼びかけを無視して、感覚のない左手の上に右手を重ねた。槍の柄にいっそう力を込める。

 

 初めてリゼットに会った時、想像していた聖女像との違いにガッカリした。リゼットは間違いなく聖女なのに、普通の女の子だった。それも遠征先の村で見かけるような素朴で無垢な女の子。

 頼りなげで、不安そうで、オドオドしてて、笑うと可愛かった。建国物語の英雄と聖女が兄妹だったように、僕もリゼットを妹のように大切にしたいと思った。

 

「ギュアアアアア!!!」

「うっ」

 

 至近距離での竜の咆哮が僕の耳を刺した。空気が震え、槍を持つ手までが振動する。頭の中を揺らし、くらくらして焦点が合わない。

 だけどもう僕は狙いを定める必要がない。槍の先は核に刺さっている。手の力だけは緩めずさらに奥へと突き刺す。

 また、空気が動いた。手にビリリと振動を感じるが、辺りはとても静かだ。遠くの細く高い音だけがかすかに響く。

 

 王室の教育を始めて、リゼットは日に日に洗練された。言葉遣いも所作も優雅で、それに見合う以上に美しく成長した。でも僕が堅苦しいのは嫌だと言うと、出会った頃のように笑って以前のように接してくれた。

 素直で優しい虹色の聖女は、本人がなりたくてなった訳じゃない。建国物語に憧れて、ずっと努力してきた僕とは違う。

 聖女でなければ仲の良いエリアーヌ嬢やガスパルともっと会えただろうし、祖母のロラを看取ることができた。まして竜のいる灰色の谷に来ることなんてなかった。

 リゼットは違う。自分から望んで英雄になろうとしてる僕とは違うんだ。

 

 ふっと槍が軽くなった。体勢を保てなくなって竜の腹から転がり落ちる。暴れる竜の側に落ち、さらに弾き飛ばされた。

 全身が熱い。痛みはあるのに、どこが痛いのか分からない。

 焼けただれた左腕の向こうに深き黒の竜がいる。ヴァレリーさんは見えず、ヴァレリーさんの剣だけが竜の側に落ちている。

 

 きっと終わった。

 虹色の聖女の再来と言われたリゼットの力を借りて、銀色の英雄より強いと褒め称えられる僕がいて、終わらないなんてない。終わらせなければいけないと、ずっと、リゼットを大切に守ろうと誓った時からずっと、決めていた。

 深き黒の竜がいないなら、聖女になる女の子は必要ない。リゼットみたいに逃げられない責務を強要される女の子は、未来にいない。

 

 疲労と痛みでかろうじて息をしている。自分のかすかな呼吸音が風の音みたいだ。

 真夏の訓練後のような倦怠感と、役目を果たした安堵と達成感。

 硬いものを砕いた感触が残る右手は、祈りの槍を握ったままピクリとも動かない。まぶたを下ろせないのに視界が暗くなった。

 

 僕は英雄になった。

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