ユーグの戦い・中編
ユーグ視点です。
竜は僕が正面に回るより早く僕を捕捉し、再び口を開ける。
あの炎が来る!
全身が粟立ち、槍を握る手に力が入る。
右、いや左だ。
右に体をそらすと、勢いを落とずそのまま駆ける。炎は体スレスレで左側を通り過ぎ、地面を黒く焼く。
一度見ただけなのに、竜の炎を無理なくかわせた。竜の動きが細かに分かるし、それに合わせた判断も対応もできる。
祈りの力のおかげだ。やっぱりリゼットはすごい。
高揚感が背中を押す。一段はやい速度で走り、竜の首めがけて飛んだ。首の左側に傷を確認し、そこに狙いをつけて槍を突く。
竜は後ろへのけぞり、首をしならせた。胴体に近い首の右側に隙ができる。
今なら竜に深傷を負わせられる。今の僕なら、この槍なら、深く届く。
攻撃しようと体をひねりかけ、やめた。焼けた地面に降り立つと、竜の炎を跳んでかわす。
「危なかった。手首か腕は焼けていたな」
自分の浅はかさに、自嘲的な笑みがこぼれる。
祈りの力でいつもより冴えた頭は、周りの状況を瞬時に判断し、僕が負う傷まで理解した。
今の僕は囮だ。
竜の気づかれない程度に攻撃し気をそらす。決して深追いはしてはいけない。
戦いの最後でみんなが倒れていても、僕だけは無傷で立っていなければならない。
確実に竜を倒す。その為の仲間で、その為に連携を訓練していた。
危険は最小限に。
改めて心に刻み、槍を握りなおす。
竜の後ろに二人、奥に離れて一人、竜の左側に一人、右側の木の上に一人、僕の後ろに二人。僕を合わせて仲間が八人。
狙いは竜の尾。
次は左だ!
僕が一歩踏み出す前に、後方から誰かが僕に近づいてきた。
「右から行く」
僕の横を走り抜けながら、ロイ先輩が僕の肩を叩いた。
「はい!」
返事とともに走り出し、僕は竜の左側へ回り込む。
竜が僕を追って首を回し、口を開きながら尾を振り回した。
悲鳴が聞こえる。
視界の端で誰かが吹き飛んだ。
炎を避けながら間合いを詰め、竜の気を引きながら距離を取る。
大剣が竜の足を切りつけた。木の上から放たれた短剣は、翼で弾かれ僕の足元に刺さった、竜の背に乗ったヴァレリーさんは首の付け根に傷をつけた後すぐに振り落とされた。
少しだけど攻撃は届いている。でも竜は何ともないように暴れ回る。
何度目かの距離をとった時、ロイ先輩が吹き飛んできた。
「うぐっ」
うめき声をあげて僕の近くに転がる。
竜が口を開けた。炎だ。
ロイ先輩を助けたら僕もやけどでは済まない。
僕は無傷でなければならない。
助けてはいけない。
動かないロイ先輩と目が合う。
ロイ先輩は声にならない声で確かに「行け」と言った。
僕は炎を左後ろへ避けながら、翼を狙う仲間のために竜を揺さぶりつつ間合いを詰める……必要はなかった。
黒い炎は僕に届く前に消えた。
竜の激しい咆哮が空気を震わし、黒い尾がおびただしい量の血を噴き上げる。
赤黒い血の雨の向こうに鮮やかな赤色が見える。ヴァレリーさんの髪だ。
「すげえ」
近くから聞こえた声に驚き、僕はロイ先輩に駆け寄った。
ロイ先輩はさっきまでピクリとも動かなかったはずだ。なのに今は上半身を軽く起こして暴れる竜の後方を見ている。
「ロイ先輩、なんで動けるんですか」
「なんでってお前、聖女様の力だろ」
「リゼットの?」
「祈りの力で治してもらった時の感覚がある。今も少しずつ回復してるぞ。正直、まだ左足が痛くて走るのは無理だけどな」
祝福を受けてしばらく経つ。それなのに自己治癒の効果まで残ってるなんて。
本当にリゼットは特別だ。
聖女であることだけで特別なのに、歴代聖女の中でもひときわ強い力を持っている。物語や文献にこれほどまでの祝福を見た覚えがない。
伝説に近い始まりの聖女なら、もしかしたらリゼットと同等か、それに近い能力だったんだろうか。
「えっ!? まだ行く気だぞ!」
考え込む僕の横で、ロイ先輩は驚愕の声を上げた。僕を支えに立ち上がり、大きく口を開けたまま竜の向こうを凝視している。
痛みに暴れる竜の尾を避けながら、ヴァレリーさんが竜に近づこうとしていた。
「左の翼を落としに行くんですよ」
「はあ!!?」
「ははは」
本当にやる気だ、あの人。
左の翼と尾を切り落としに行く。
岩陰に隠れていた時、ヴァレリーさんはそう言った。尾を切り落としたから、次は左の翼だ。
竜は再び咆哮を上げ、さらに暴れようと体を動かす。
尾でヴァレリーさんを攻撃したが、短くなった尾では届かない。尾の先は三分の一程度なくなっている。
竜の血は少し黒っぽい赤。僕たちとほとんど変わらない色の血が、竜が尾を振るたびに飛び散る。
顔にかかった返り血を乱暴にぬぐい、ヴァレリーさんはさらに竜に近づく。
「ユーグ!!」
よく通る大きな声が響くと同時に、僕は走り出した。
ヴァレリーさんの声に反応し、竜の関心が僕の方へ向く。。
すごいなあ。状況判断が的確で、囮の使い方が上手い。名前を呼ぶタイミングが絶妙だ。僕が動くのが分かったんだな、本能で。
竜は首を高く上げ、祈りの槍の存在を思い出したかのように、炎を吐き出す。
避ける必要もなく、炎は僕から離れた場所を通り過ぎた。
「あちっ」
ロイ先輩が眉間に皺を寄せ、炎から身をそらす。それから鈍い動きで近くの岩陰に隠れた。左足が完全には回復しなかったらしい。
それでも逃げられるだけで奇跡だ。心の中でリゼットに礼を言い、ロイ先輩から距離を取りながら竜に近づく。
竜は痛みで余裕がなさそうだな。尾もただ振り回しているだけで攻撃になっていない。
ふと思い立って、足元に転がる石を投げつけた。
石は竜の前足に当たったが、傷も付いてないし当たったことに気づいてもなさそうだ。
それならと、さっきよりやや大きい石を掴んで投げた。今度は竜の鼻先に当たって落ちた。
竜は短く鳴いて僕をにらみ、土を蹴り上げた。僕の方へ向かってくる。
よし、誘いに乗った!!
苛立つ竜は背後の動きに全く気づいていない。ヴァレリーさんが軽々と竜の背に乗る。
そして剣を振り下ろした。
「ギュアアアアアアア!!!」
竜の叫び声が空へ抜け、突風が僕を襲う。
左の翼は傷ひとつ付かず、傷を負った右の翼から血が弾けるように散った。
竜が空を飛んでいる。
僕の眼前には空を覆うように黒い巨体があり、翼をもう一度はばたかせた。激しい風が木々を揺らす。
鳥や虫とは違う、特別な力で竜は飛ぶ。
目の前の現実は物語より鮮やかで、読み込んだ資料と答え合わせをするように落ち着いて理解した。
竜の吐く炎は黒く熱い。
シメオンさんの短剣が投げられ、ヤニックさんが木々を足場に竜まで跳ぶ。竜に振り落とされたヴァレリーさんをギヨームさんが抱き起こし、サミュエルさんが二人に駆け寄る。
炎は僕に向かっている。
避けるには炎の範囲が広く、受け止めるすべは僕にない。
身を焼く熱に触れる寸前、左からの足音に体が硬直する。
足音はナタンさんで、これから彼がすることも、僕がどうなるかも全て分かった。
強い衝撃に身をゆだね、僕は遠くへ飛ばされる。
僕がいた場所の近くにはナタンさんが倒れ、彼の体に黒い炎が通り過ぎた。
僕が負ったすり傷は、聖女の力ですぐに治った。




