ユーグの戦い・前編
ユーグ視点です。
目的の場所へ着く前に、乗っていた馬が進まなくなった。
「歩くか」
ヴァレリーさんの一言で全員が馬から降りる。ここからは徒歩で向かう。
竜の気配なのか、言いようのない不穏な空気がまとわりつく。
「嫌な空気ですね。馬が嫌がるのも分かります」
「ユーグ、なんか分かんの? やっぱり金色の英雄は違うな」
「そう言うロイ先輩は顔色が悪いですよ」
「そうか?」
分かっているはずなのに、ロイ先輩はとぼけた顔をしている。きっと平気な顔をしていないと進めないんだろう。ロイ先輩と軽口を叩きながら、足を前へ出す。
背中がこわばり、腹の奥が痛む。足は重いし、暑くないのに汗をかき始めた。全身が先へ進むのを拒否しているのが分かる。
恐い。
でも不思議と高揚感もある。
幼い頃から頭の中で描き続けた深き黒の竜にやっと会える。
挿絵は正しいだろうか。本当に全身が黒色だろうか。
物語に入り込んだような錯覚がして、目の前の景色が夢の中のような気になる。
前回の竜討伐は三百年以上前。当たり前だけど、今は誰もその時のことを物語や資料の中でしか知らない。
人間には気の遠くなるような長い時間、深き黒の竜は封印されていた。いや、眠っていただけかも分からない。
自身の体を硬くし、微動だにせず、竜はただそこに在る。それを封印したと人間が言っているだけだ。
ロイ先輩が何度目かのため息をついた頃、前を歩いていた仲間がざわついた。
「竜だ!」
「後ろへ跳べ!!」
叫び声と同時に目の前を黒い炎が通った。
さっきまで僕がいた場所が黒く焼けこげている。肩を焼かれた者もいるが、おおむね避けられたようだ。
道の先は夜のように暗く見えづらい。竜はどこに。
「ユーグ! 上だ!!」
理解する前に左後ろへ跳ぶ。
地響きと共に土がえぐられ、粉塵が散った。
艶のない黒い尾が風を起こし、僕の髪を吹き上げる。ヴァレリーさんの警告がなければ、かすっていた。
見上げると物語の竜がそこにいる。
「全員、戦闘態勢に入れ!」
ヴァレリーさんの声を合図に、皆が広がり間合いを取る。
予想した場所よりもやや手前の、細い道の真ん中で戦闘が始まった。
深き黒の竜は思った通り大きく、想像したよりずっと威圧的だ。道幅より大きな体はほとんどが木々に隠れ、全体が把握できない。
木の陰で様子をうかがっていたロイ先輩が走り出す。
「先駆けは任せろ!」
「ロイ! ヤニック! 回り込め!」
ヴァレリーさんが竜の目線の先に立ち、剣を大げさに構えた。ロイ先輩が竜のすぐ側をすり抜け、近くにいたヤニックさんがそれに続く。
それを確認したヴァレリーさんが助走をつけて跳んだ。上半身をひねり竜の首を狙う。
竜はでかい図体に似合わない速さで体を回転させた。太く大きな首でヴァレリーさんを吹き飛ばし、長い尾でロイ先輩とヤニックさんを払いのける。竜の周りの木々が円を描いてなぎ倒された。
深き黒の竜の全貌があらわれる。
「でかい」
誰かが言った言葉はそれ以上続かなかった。
息を飲む存在感に左足が半歩下がる。僕は奥歯を噛み締め槍を握り直した。
吹き飛ばされた三人はそれぞれ受け身を取っていたが、かなり衝撃を受けたようだ。
僕に近い木にぶつかったヴァレリーさんが脇腹を押さえてうめき声を上げた。それでも剣を握っている。
竜が首をそらして口を開けた。首筋にぞわりと悪寒が走る。
「炎だ!!」
僕の見立ては正しく、すぐに竜が黒い炎を吐き出した。
身を屈めて地面を滑るように駆ける。炎が僕の髪の先を少し焦がす。悲鳴に似た怒声が飛び交った。
炎から身を守るため、転がるように大きな岩陰に隠れる。そこにはヴァレリーさんがいた。
ヴァレリーさんも炎に焼かれる前にこの岩陰に隠れたらしい。竜に吹き飛ばされたのに、鎧が少し欠けた他に目立った外傷かない。この人は不死身か?
ふと、ヴァレリーさんの目線が動く。
途端に背にした岩が焼けるように熱くなり、黒い炎が辺りを焼き尽くす。
岩の横から流れる炎が、執拗に僕を焼こうとしている。
「熱烈な歓待じゃないか。金色の英雄は大変だな」
「ヴァレリーさん、竜の狙いはこれでしょ?」
僕は虹色に淡く光る槍を軽く持ち上げた。それを見てヴァレリーさんは少し笑う。
「まあ、そうだろうな。本当に物語通りだ」
深き黒の竜は祈りの槍に執着している。なぜかは分からない。ただ、祈りの槍を標的にして執拗に攻撃する。そう物語にも、研究資料にも繰り返し記されてある。
「深き黒の竜がいて、虹色の槍があって。死んだ山の灰色の谷にいる僕達も、物語の一部ですね」
「ユーグ、お前はこの物語の主人公だ」
止むことなく吐かれ続ける黒い炎が、ヴァレリーさんに暗い影を作る。そんな中で、ヴァレリーさんはニヤリと、いたずらする子供のように笑った。
「あたしは物語の一部として、英雄が竜を倒す為の道を作る。お前と初めて会った時に、そう決めたんだ」
「僕は……」
英雄じゃありません。
そう言いかけた時、黒い炎が消えた。そして竜の叫び声が響く。
岩陰から覗くと、竜の向こうに大剣が見えた。竜の周りは炎に焼かれ、一面が黒く焼けこげている。
「右の翼をやったようだな。これで飛べなくなると良いが」
「傷は深そうですね」
「あたしは左の翼と尾を切り落としに行くか。ユーグ、行け」
「はいはい。囮として頑張りますよ」
「竜のとどめはお前が刺すんだ。おいしいところをやるんだから、それまでは死なない程度に竜の気を引け」
「もし死んだら?」
「ふふっ、あたしが英雄になるだけだ」
ヴァレリーさんは背にしていた岩を出て、竜の元へ駆けた。
最後の言葉は本気なのか冗談なのか。表情が見えなくて判断できない。
頭を軽く振って切り替える。今は竜の気を引き、囮としての役割に専念する時だ。
僕は岩の上へ飛び乗り竜の場所を確認すると、わざと足音を立てて走った。
僕は英雄じゃない。
英雄は竜を倒した者が得る称号で、僕は祈りの槍を持たされただけの囮だ。
リゼットみたいに特別な力がある訳でもないし、英雄たらしめる啓示があった訳でもない。
幸運なことに戦う為の才能があって、努力して他の人より強くなった。
幼い頃から憧れた英雄になる為に、ずっとずっと訓練してきた。
僕はリゼットとは違う。竜を倒さなければただの囮で終わる。
僕は英雄になれるだろうか。




