馬車の中にて
「花咲く星空はご存知ですか」
何度か仕切り直して、ヴァレリー様は話し始めた。
「四代目の英雄と聖女を元にしたお話ですね」
「はい、二十年以上前に流行った歌劇です」
平民出身の騎士と侯爵家の聖女が恋に落ち、男が英雄となったことで恋が成就する。三百年前の実話を元にしながら大胆に脚色された物語は、老若男女がこぞって見に行くほど流行した。と、以前マナーの先生が興奮した様子で教えてくれた。
「その影響で騎士になられたのですか」
「はい」
ヴァレリー様はうなずいた。
「同じく劇を見に行った八つ上の姉と、同じ頃に見た姉の友人が花咲く星空についてよく話していたのです。わたくしはその後ろについて、騎士の真似事をしたり、会話にまじったりしていました」
「仲がよろしかったのですね」
「当時わたくしは五つになったばかりの子供でした。姉もその友人も面倒がらずに相手をしてくれ、とても嬉しかったのを覚えています」
懐かしむように目細め、ヴァレリー様は微笑んだ。
「今となっては、歌劇を見て騎士を目指したのか、二人と遊ぶことが楽しかったからなのか分かりません。本当によく相手をしてもらいましたから」
「ふふふ、私には兄弟がいませんから羨ましいです」
「ああああああ、なんて可憐な微笑み! エタンセル王国の虹の宝石!!」
叫びが馬車の中に響いた。どこでヴァレリー様のスイッチが入ったんだろう。
馬車と並行して走る騎士様の耳にもきっと届いている。身の置きどころがなく、落ち着くために座り直す。少しだけ気が紛れた。
十秒ほどでヴァレリー様がすっと背筋を伸ばした。さっきより落ち着くのが少しずつ短くなっている。ちょっとは慣れてくれたかな。
じっと見すぎたのか、ヴァレリー様と目が合った。ヴァレリー様は、んんっと声を漏らし眉間に皺を寄せる。だけど叫ばれなかった。
かすかな声で女神と聞こえたけど、私は聞こえなかった。うん、聞いてない、聞いてない。
「騎士は女性にはめずらしい職業だと思います。ご家族は心配されませんでしたか」
「心配はされましたが、止められはしませんでした。うちは兄弟が多く両親がおおらかなので、好きなことを選んで良かったのです」
「素敵ですね」
「リゼット様の方が素敵です」
「あっ、ええっと、ありがとうございます?」
ヴァレリー様は急におかしな切り返しをするから返事に困る。
私の困惑をよそに、ヴァレリー様がにこりと笑う。
「幼い頃のごっこ遊びが原点なので、女騎士が少ないことに寂しさを感じたこともあります。ですが今はそれで良かったと思っています」
「なぜですか」
「リゼット様の護衛を任されたのは同性だからです。ライバルは少ない方が良いです。護衛に選ばれて本当に良かった!」
言い切るヴァレリー様の表情はとても清々しかった。
「リゼット様、民家が見えてきました。そろそろハサイ村に着きますよ」
ヴァレリー様の言うように、窓の外に民家がポツポツ増えてきた。あれは農家の家だろう。家の横には畑が広がっている。
途中、馬の休憩や交換にいくつかの村に立ち寄ったけど、私は馬車から降りてはいない。
村に着いたらまず背伸びをしよう。それから疲れた人に祈りの力を使って、村に私が治せる病気の人がいたら治そう。泊めてもらうんだから、他にもできることがあったらしよう。
私にできることをいくつか考えたあと、ヴァレリー様の忠告を思い出す。そうだ、人前に出たらいけないんだった。
「ヴァレリー様、私が泊まる部屋に人を呼ぶことはできますか」
「えっ、ああ、はい。できます。お、お会いしたい方が、いらっしゃるのですか」
「泊めていただくお礼に、村に怪我や病気の方がいれば治したいと思って。あ、騎士団の方もご希望であれば仰ってください。祈りの力で疲れを取ることもできますから」
「……」
ヴァレリー様が、静かに泣いている。
持っていたハンカチを差し出すと、更にヴァレリー様の目から涙が溢れた。
「人前に出るのは駄目ですよね。聞かなかったことにして忘れてください」
「いいえ! 麗しく慈愛に満ちたリゼット様の優しいお言葉を、忘れることなどできません!」
ヴァレリー様は袖で涙を拭った。ことの経緯はアレだけど、その姿はとても美しい。絵画のようだ。
何度かまばたきをし息を整えたヴァレリー様が微笑む。
「警備しやすい村を選んでいますから、それほど神経質にならなくても良いのです。リゼット様のご希望に添えるよう、モルガン副団長に掛け合ってみます」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。生まれてきてくださり、ありがとうございます」
「あ、あはは」
お礼の規模が大きい。とりあえず笑っていたら、ヴァレリー様もとても良い顔で笑っていた。
馬車は農地を抜け、村に入った。
村と言っても、故郷のブラン村とは比較にならないほど発展している。
道は舗装され、建物はしっかりとした作りの物しかない。店舗がいくつもあり、私の目には街に見える。
そう言えば、聖女になってから首都アルゲントの街を出たことがなかった。もっと言えば、大神殿と王宮の以外に足を運んだことは、片手で数えれるくらいしかない。十歳までいたエストリラ領だって、ブラン村と領主様のいる街しか知らない。
勉強でハサイ村のことは知っている。面積や人口、特産品、青い屋根で統一された景観だって知っている。
だけど、窓の外の馴染みのない景色が私の目に鮮やかに映る。
「リゼット様、お部屋で休憩のあと、少し村を散策なさいますか」
「良いのですか!?」
「警備しやすい村を選んでいますから大丈夫です。あの、わたくしで良ければご案内します」
「ぜひお願いします」
「うう、騎士になって良かった」
ヴァレリー様は目頭を押さえた。再び泣いていた。




