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りんごと刺繍

「このお茶、甘い香りがする」

「はい。乾燥したりんごを入れております」

「エストリラ伯爵領はりんごの産地だったね」


 ユーグ様とガスパル様が話している。


「我が領地のりんごがユーグ様のお耳にまで届いているなんて、光栄ですわ」

「何度か食べたこともある。とても甘く、香りが良かった」

「まあ! 領民が聞いたら喜びます!」


 今度はユーグ様とエリアーヌ様が話している。

 三日前に急遽決まったこの集まりは、エストリラ伯爵側がユーグ様を招待した。前回私が通された部屋に、今日はエリアーヌ様、ガスパル様、ユーグ様、そして私の四人だけがいる。丸テーブルにはいくつものお菓子が並べられ、ガスパル様がカップにお茶を注ぐ。

 最初は慇懃な挨拶から始まった。伯爵家のエリアーヌ様と公爵家のユーグ様では対等とはいかないらしい。貴族の階級やマナーについて勉強したけど、目の当たりにするのは初めてだった。形式ばった挨拶も上辺だけのようで、腹の探り合いを言葉の節々に感じた。視線一つとっても、私が知る二人とは違う。

 ユーグ様、エリアーヌ様、ガスパル様の普段とは違う振る舞いに新鮮さを感じた。……のは十五分程で、三人はすぐに打ち解けた。


「品種によって味も香りも違いますの。ぜひ全てのりんごを食べていただいて、感想をお願いします」

「エリアーヌ嬢、もしかして宣伝に使おうと思ってる?」

「ええ、そうですわ。ユーグ様は美味しいりんごが食べられる。エストリラはりんごが売れる。お互いが幸せになります」


 エリアーヌ様に至っては、もうほとんど遠慮がない。その様子を見て、さっきからガスパル様がハラハラしている。


「エリアーヌ様、そろそろお止めください。後から会話を知った旦那様に叱られますよ」

「なによ、ガスパル。会話の内容を口外しないと最初に決めたじゃない」

「口外しない内容は、りんごのことではありません」

「それもそうね。口外なさいます?」


 エリアーヌ様がそう言うと、ユーグ様は首を振った。


「りんご、くるみ、チーズ、蒸留酒、レース、アロマオイル。どれも口外しないよ」

「まあ! ユーグ様はうちの特産品をよくご存知なのね!」

「リゼットの故郷だからね。どんな所か気になったんだ」


 私がきっかけでエストリラ伯爵領を調べたらしい。嬉しくて、くすぐったい。

 ユーグ様の思いがけない言葉に、エリアーヌ様が固まっている。ユーグ様は微笑んだ。


「隣接するフォンタイン国の影響で、レースや刺繍が繊細だよね。女性だけでなく男性にも人気が高い」


 冬の長いエストリラは、雪の季節にレース編みや刺繍をする人が多い。主に女性が、時には男性も針を持つ。孤児院では手に職をつけるよう、幼い頃から仕込まれる。よほど不器用でない限り、孤児院を出ても職人としてやって行けると聞いた。それだけエストリラのレースや刺繍には需要がある。

 ユーグ様は服装に関心がないと思っていた。いつ見ても騎士服だし、多少汚れていても気にしない。装飾品を身につけている姿も知らない。そんなユーグ様も、エストリラのレースや刺繍は好きなのかな。

 暖炉の前でお母さんがレースを編む姿を思い出した。糸と針だけで繊細で美しいレースが編まれる。魔法みたいだと思っていた。


「確か刺繍入りのハンカチだったかな。アドルフも好んで身につけているよ」


 ユーグ様が私の婚約者アドルフ様の名前を口にした途端、部屋の空気が変わった。エリアーヌ様に笑顔が消えている。


「リゼット、知ってた?」

「いいえ、知りませんでした」


 私はアドルフ様のことをほとんど知らない。婚約者になったばかりの頃は仲良くなろうと話しかけていた。でも何を聞いても煩わしそうなアドルフ様を見て、いつしか諦めてしまった。顔を合わせても挨拶を交わせば良い方だ。

 ユーグ様は一層笑みを強める。


「なぜだか分かる?」


 ユーグ様は私を見た。エリアーヌ様とガスパル様も私の答えを待つ。三人の視線を受けて、思わず身が縮こまる。


「い、いいえ、分かりません」

「王妃殿下がお好きだからだよ」

「王妃様が?」


 それなら知っている。以前、鮮やかな刺繍のショールを見せて貰ったことがある。エストリラの刺繍が好きだと言われ、自分のことみたいに嬉しかった。でも、それがどうしたと言うんだろう。


「ユーグ様、なぜ王妃様のお話になるのですか」

「アドルフの唯一好きな人だからだよ」

「はあ? 何それ。気持ちわ……」

「エリアーヌ様、まずは聞きましょう」


 ガスパル様に嗜められ、エリアーヌ様は口を閉じた。全身から聞きたくないオーラが出ている。


「エリアーヌ嬢は面白いね」

「お褒めの言葉として受け取りますわ。続きをどうぞ」


 エリアーヌ様に促されて、ユーグ様は話し出した。


「アドルフが好きな食べ物、場所、音楽、そんな物は一つもない。よく食べる物、通う場所、聞く音楽は全て王妃殿下が好む物だ。彼は自分の母親が全てで、それ以外に全く関心がない。エストリラの刺繍を好んで身につけても、その刺繍が好きなわけではないんだよ」

「ええ……、それってマザコン」


 エリアーヌ様が苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。私もガスパル様も口には出さなかったけど、エリアーヌ様の言葉に大きくうなづいた。

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