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眠りの中の目

暗い話です。

 街の大通りを南へまっすぐ歩くと、パンの匂いがした。


「良い匂い!パン屋さんがあるのかな」

「あそこの花屋の隣がパン屋よ」


 お母さんが指差す先に、花の鉢を置く男性がいる。花屋の店先に並ぶ色とりどりの花に隠れて、パン屋の看板が揺れている。


「納品を済ませたら、買って帰りましょう」

「やった!私はレーズンが入ったのにする」

「リゼットは本当にレーズンが好きね」

「お母さんはりんごで、おばあちゃんはナッツ!」

「あら、よく知ってるわね」


 二人の好みを言い当てて、私は得意げにお母さんを見た。強い風が日向のような髪を巻き上げている。お母さんが籐編みの籠を持った手で髪を押さえても、髪は空を泳ぎ太陽の光を反射する。


「髪をくくってくれば良かったわ」


 お母さんは髪を押さえるのを諦めてため息をついた。私は聞こえないふりをして、お母さんと繋いだ手に力を入れる。キラキラ光る髪が綺麗だから、くくってなくて良い。

 更に強い風が吹いた。私の肩に届かない髪もふわりと浮いて、頬にぺしりっと当たる。痛くはないけど、鬱陶しい。

 もう!と憤るお母さんを見上げて、私は申し訳ない気持ちになった。お母さんの髪はくくってもきっと綺麗だ。


「風が湿っぽいから、雨が降るかもしれないわね。早くヴァリグリーズ商店へ行って帰りましょう」

「うん。でもパンは買ってね」

「ふふふ、分かりました」


 少しだけ早歩きをしてヴァリグリーズ商店へ向かう。ヴァリグリーズ商店は主に衣類などの布製品を売るお店だ。お母さんは注文をもらい、レースを編んで納品している。お父さんと結婚する前からお世話になっているらしい。

 パン屋を過ぎて、大通りの突き当たりにある神殿近くまで来た。

 その時、更に強い風が吹いた。私は目をつむって、お母さんと繋いだ手に力を入れる。

 誰かの悲鳴が聞こえた。何があったのか目を開けると、必死な目をしたお母さんに突き飛ばされた。大通りに大きな音が響く。


「お母さん!!」


 木材が倒れ、お母さんを含めた数人が下敷きになっている。建設中の店舗の足場が、風に煽られて倒れたのだ。

 転がるように走り寄り、お母さんの上にある木材を持ち上げようとした。いくら力を入れても全く動かない。


「お母さん!お母さん!!」

「誰か神殿に知らせろ!」

「どけろ!俺たちがする!」


 誰かに腕を引っ張られて、お母さんから離される。私は少し離れた場所で、二人の男性がお母さんの上の木材を持ち上げているのを見ていた。

 お母さんの上にあった木材が避けられた。私が駆け寄って膝を突くと、お母さんは苦しそうに顔を動かす。額から流れる血が日向のような髪を赤くし、潰れた籐編みの籠からレースがはみ出ている。


「お母さん」

「リゼット、怪我はない?」

「ないよ」

「良かった」


 消え入りそうな声だった。大好きなお母さんの笑顔なのに、心臓が痛い。真っ白な顔でヒューヒューと息をするお母さんが、恐い。


「イネス!!」


 黒髪の神官様が私の横を過ぎ、よろめくように座り込んだ。お母さんの頭に手をかざして祈る。神官様が来てくれた。もう大丈夫だ。

 お母さんは黒髪の神官様の方へ頭を動かした。


「私は、良いから、他の、人のところ、へ」

「お母さん!?」

「リゼ……」


 お母さんは最後に私を見た。

 祈りの力は足りなかった。間に合わなかった。私にもっと知識があれば、適切な応急処置ができただろうか。もっと早くに聖女になっていれば、お母さんは助かっただろうか。何もできずただ泣くだけではなく、役に立てただろうか。

 黒髪の神官様は苦しそうに立ち上がり、他の人の元へ行った。

 お母さんは私を見ている。蔑むような、憎むような目で、真っ直ぐに私を見ている。


 領主様の街の神殿も大まかな作りは大神殿と同じだ。人々が自由に入れる広間があり、治療室があり、神官様の居住空間がある。領主様の街の神殿には広間以外入ったことがない。だけど私は、広間の奥にある病人が寝泊まりする部屋にいる。

 簡素な部屋にはベッドとキャビネットが一つずつ。それに古びた木の椅子が一脚。ベッドにはおばあちゃんが穏やかに眠っている。

 私は椅子に座って、おばあちゃんの寝顔を見る。すうすうと寝息に合わせて、真っ白で清潔なシーツが上下する。私はおばあちゃんの胸の辺りにそっと手を置いた。

 途端におばあちゃんの目が大きく見開く。咳き込みながら息苦しそうに息をしている。私は勢いよく椅子から立ち上がり、椅子を倒した。


「おばあちゃん!」


 祈りの力を使う為、苦しそうにもがくおばあちゃんに両手をかざす。あたたかな風がふわりと吹くと、右手首を掴まれた。


「お前じゃあ役に立たない」


 暗く澱んだ目でおばあちゃんはキッパリと言った。私は床に崩れ落ちる。ああ、遠くにいた私には、おばあちゃんの背中をさすることすらできなかった。

 おばあちゃんに掴まれた手が痛い。



 私が目を覚ますとまだ辺りは真っ暗だった。

 眠れなくなってから毎日同じ夢を見る。初めは泣きながら目覚めていたけど、もう泣くこともなくなった。お母さんは最後まで私に微笑んでいた。おばあちゃんの最後は知らない。二人とも確かに私を愛してくれていた。分かっていても悲しいし、辛い。

 早くベッドに入り、少しずつ眠りにつく時間が早くなった。その代わり、悪夢を見て何度も起きる。眠るのが恐い。二人のあの目が恐い。

 私は深呼吸をして、目を閉じた。布団をかぶり、体を丸める。


 もう夢を見ませんように。

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