最後の祈り
「聖女様、ありがとうございます」
「お力になれて良かったです。お大事になさってください」
頭を下げ笑って帰る患者を、私も笑顔で見送る。朝から絶え間なく訪れた患者は、昼前になってようやく途切れた。
椅子に座り直し、窓の外を見た。空は晴れているけど、嵐のような風が木を揺らしている。時々、窓も風でガタガタと揺れた。
「私から連絡しようかな」
心の声が漏れた。診察の補助をしてくれている神官様が、不思議そうな顔をして私を見ている。
「すみません。独り言です」
「そうですか。何かあればすぐに仰ってくださいね」
「ありがとうございます」
アドルフ様の返事を待って三日が経った。まだ何の連絡もない。
国王陛下はどうお考えだろう。予定の確認や調整が難しいだろうか。相談してすぐに連絡が来る訳はない。分かっていても気持ちが急く。忙しい時は考えていられないけど、少しでも時間があると頭の中をぐるぐると嫌な考えが回った。
明日返事がなければ、アドルフ様に手紙を書こう。そう決めて、ひとまず気持ちのより所にした。
次の日は雨だった。風は相変わらず強く、木々を揺らしている。
いつもにように聖女の仕事をして、それから勉強をした。教師が帰り、自室で本を読む。太陽が赤くなり始めても連絡が来ない。私は手紙を書くことにした。
約束はどうなりましたか。陛下は何とおっしゃっていますか。途中経過でも良いので連絡してください。
どう書いてもアドルフ様を怒らせそうな気がする。もっと柔らかく、慈悲を乞うような内容が良いだろうか。目を閉じて考えても良い文章が出てこない。多分、私は焦っている。焦って何も思い浮かばなくなっている。
ドアのノック音がした。返事をすると、私より幼いメイドさんが入ってきた。急いで来たのか、肩で息をしている。
「リゼット様にお手紙です」
侍女さんが受け取り、私に手紙を渡す。雨で湿った手紙の差出人はリュカ様だった。文字が少し滲んでいる。
嫌な予感がして、手紙を開ける手が震えた。心臓の音が大きく、耳元で鳴っているようだ。手紙は先日よりももっと簡潔に書かれていた。喉が痛い。
私はゆっくりと顔を上げた。侍女さん二人も手紙を届けたメイドさんも、じっと私を見ている。
「この手紙を届けてくださった方は、どうされていますか」
「早馬で駆けて来られたので、客室を用意してお休みいただいています」
「雨の中ありがとうございます、とお伝えください。しばらくゆっくりしていただくことは可能ですか」
「確認して参ります」
「よろしくお願いします。ああ、あなたも、ありがとうございます。急いで持ってきてくださって、嬉しいです」
「と、とんでもございません」
メイドさんは目に涙をためてうつむき、それから大きくお辞儀をして部屋を出た。走って行く足音がパタパタと響く。
足音が聞こえなくなると、私は侍女さんの顔をそれぞれ見た。二人とも口元をキュッと結び、暗い顔をしている。私は湿った手紙を指で撫でて、静かに深呼吸した。
「二日前の早朝、祖母が亡くなったそうです。葬儀は明日、神殿の皆さんが行うので安心ですね。きっと、祖母は穏やかに父や母の元へ行けるでしょう」
「虹色の導きをお祈りいたします」
「虹色の導きをお祈りいたします」
侍女さん二人はそれぞれ遺族に対する常套句を言い、それから何か言いかけてやめた。私もそれ以上話せなくて、黙って手紙を片付けた。その日は必要最低限の会話だけになった。
明け方まで降り続いた雨は、朝起きると上がっていた。昼前に濡れた地面はほとんど乾き、青空に小さな雲が一つ浮かんでいる。その空を一羽の渡鳥が北東の方向へ飛んだ。
私は窓から目をそらすと、手元の本のページをめくった。文字を目で追う。また同じところを読んでしまった。何度読んでも目が滑る。
「お茶のおかわりはいかがですか」
「お願いします」
侍女さんの提案に答えると、閉じた本をテーブルの端に置いた。新しく入れてもらったお茶を一口飲み、今度は私から話す。
「明日は仕事も勉強も通常通りに行います」
「リゼット様、遺族は三日間のお休みがあるものです」
「それは葬儀があるからです。葬儀は今日したはずです」
「リゼット様は昨日連絡を受けたのですから、本日より三日間のお休みが適切です。三日間はお休みするようにと、大神官様も仰いました」
「私は葬儀の準備も様々な手続きもしていません。お休みは今日一日で充分です。それに、何かしていた方が気が紛れますから」
侍女さんは私の要望を飲み込むように口を閉じた。それから、分かりました、と小さく答えた。
死者は息を引き取った翌日から三日までに、主に三日目に葬儀をする。三日を過ぎると、死者の魂が深き黒の竜に連れて行かれると信じられているからだ。また、葬儀が終わるまでの間は、仕事などを休んで喪に服す。
私は葬儀があるであろう時間帯に、ブラン村の方角に向かって祈った。女神グフナの導きで、迷わず空へと昇れるように祈るのだ。おばあちゃんの為の最後の祈りができた。それだけで充分だ。
「リゼット様、三日後にある王妃様のお茶会はいかがいたしますか。王妃様より無理はしないように、とのご連絡も受けております」
「もちろん、行きます」
「それではそのように伝えて参ります」
話をしていた侍女さんが出て行った。後ろ姿を見送ると、部屋に残った侍女さんと目が合った。侍女さんは悲しそうな顔をして微笑んだ。




