病気のこと
ガスパル様は慣れた手つきでカップにお茶を注ぎ、大神官様の前に置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
大神官様は一口お茶を飲み、微笑みながら顔を上げる。私は気になっていたことを口にした。
「大神官様はどこかご病気ですか」
「どうしてですか」
「その、手が。気のせいかもしれませんが、震えているように見えました」
「気付かれましたか。震えるだけで他の症状はありません。お医者様にも様子を見るよう言われています」
「私はお役に立てますか」
「残念ながら、祈りの力ではどうすることもできません」
「そうですか」
役に立てなかった。うつむき目線を落とすと、向かいからエリアーヌ様の心配そうな声がした。
「リゼットの、聖女の祈りの力でも治せないほどの病気なのですか」
「そう言うわけではありません。病には祈りの力で治せるものと、治せないものがある、それだけです」
「エリアーヌ様、祈りの力は病気に対して使えないことの方が多いんです」
「そうなの?風邪や怪我の時にすぐ治ったから、何でも治せると思ってた」
大神官様はお茶一口飲み、微笑んだ。
「祈りの力は、人が持つ自然治癒力を高めると言われています。皮膚は新しいものが作られて、古くなると剥がれますね」
「はい」
「そのように、体の全てが古いものから新しいものへと日々作り替えられている、と考えられています。祈りの力は人間が持つ自然治癒力を高めて、作り替える時間を早めます」
「祈りの力は手助けをするだけで、放っておいても治る、と言うことでしょうか」
「そうとも言えますが、そうではありません。血を流しすぎると人は死にます。その前に傷を塞ぎ、血を作るのが祈りの力です」
「風邪などの病気も同じですか」
「体力がなくなる前に、他の臓器に負担がかかる前に治すことができます」
エリアーヌ様は感心したように、なるほどとつぶやいた。ガスパル様がエリアーヌ様と大神官様のカップに新しくお茶を注いだ。大神官様が来られてからずっと、少し離れて立ったままでいる。
「質問ばかりですみません。治せない病気とは何ですか」
「未だ詳しくは分かっておりません。ただ病気の仕組みが違うのだろう、と言われています。仮説の域は出ませんが、古いものから新しいものへと替わる循環に不具合が起こっている説が有力です」
「じゅんかんにふぐあい……」
エリアーヌ様が固まった。全く理解出来なかったんだけど?って顔で私を見ている。
「えっと、古くないものを古いと判断される。新しいものが本来の役割を果たさない、または阻害する。そもそも循環が原因ではない。これらが考えられています」
「ああ、うん。……んん?」
「えええっと、まだ新しいのに捨てられる。新しく作られたのに役に立たない、または邪魔する。そもそも別の問題。って感じです」
「なるほど、なんとなく分かった気がする」
エリアーヌ様が真面目な顔で何度も頷いている。ちゃんと伝わったかな。いまいち自信がない。
隣から、ふふっと上品な笑い声がした。
「リゼット様もそんなお顔になるのですね。むしろ、そちらが本来のお姿でしょうか」
「えっ、どんな顔でしょうか」
顔を確かめようと頬を両手で挟んだ。いつもの顔だ、と思う。
「ふふふ、私はそろそろお暇いたしますね。素敵なお時間をありがとうございます。クッキーもお茶も大変美味しくいただきました」
「ととととんでもないです!お口に合って良かったです!」
エリアーヌ様が身を乗り出すように立ち上がった。顔が少し赤い。視界の端でガスパル様が大きくため息をついている。
大神官様は丁寧にお辞儀をされて、食堂を出て行った。
「はあああああ、素晴らしい時間だったわ」
エリアーヌ様は頬杖をつきながら、長い長いため息をついた。心ここに在らずと言う感じだけど、クッキーは何枚もお腹の中に消えている。その様子を椅子に座り直したガスパル様が呆れて見ている。それから短く息を吐き、私の方を向いた。
「祈りの力で治らない病気のことは知っていましたが、あのような違いとは知りませんでした」
「祈りの力は深き黒の竜に対抗するため、女神グフナが与えた力です。人や武器に行う加護が本来の役割で、治癒はその副産物なんです」
「ああ、それなら分かりやすいですね。加護による人体強化で自然治癒力まで上がっているってことですか」
「はい。なので出来ないことの方が多いんです」
「それは違いますよ。できることの方が多いです。リゼットさんは優しいですね」
思ってもみない言葉に驚いた。優しい。そうだろうか。
「向上心があるのは良いことですが、全てを手に入れることはできません。できないことにまで手を伸ばすと、負担は自分にかかってきますよ。リゼットさんは優しすぎるんです」
「優しくはありません。後悔したくないんです。自分のためです」
「後悔は私もしたくないですね。でも覚えていてください。リゼットさんが手を伸ばしたいと思うように、リゼットさんのことを思う人がいます。おばあ様もエリアーヌ様も私も、きっとここで出会った人の中にもいるはずです。お体に気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
私はガスパル様の目そらすようにお茶を飲んだ。真っ直ぐな空色の目が見れなかった。
蝋燭の火を消した。
ベッドに座ると、頭、肩、腕、お腹、足、と順番に手でポンポン叩く。
「あ、今日は勉強してなかった」
今日は勉強の時間はなかった。午前中に少し聖女の仕事をして、午後はエリアーヌ様たちとお菓子作りをしただけだ。夜も本を読んだくらいで疲れていない。疲れていないのに、いつものように祈りの力を使ってしまった。しまった、と言っても別に何も負担あるわけではない。ないけど、なんだか落ち着かない。
私はベッドを降りて、本を取り出した。幸い今夜は月が明るい。建国祭の夜は長く、街の明かりもある。人々の喧騒も聞こえる。
少し疲れるまで勉強して、それから寝ることにした。




