エリアーヌのお菓子
エリアーヌ視点です。
「ああ、楽しい!」
私はベッドに仰向けになって両手を広げ、大声を出した。
「エリアーヌ様、楽しい、ですか」
「楽しい、楽しい、楽しい!」
お茶を淹れる侍女に向かって、私はもっと大きな声を出した。部屋に響いた声はすぐに消え、トトトとお茶を淹れる音だけが聞こえる。
音の方を見ると、侍女と目があった。
「楽しい」
「お茶が入りました」
「楽しい」
「お菓子はいかがですか」
「楽しい楽しい……楽しくなーーーい!」
「このお菓子はマノンが作りました」
「食べる」
私はすぐに起き上がって椅子に座った。頬杖をついて大きなため息をつく。
「楽しい楽しいって言っても、楽しくはならないわね。つまんないわ」
「建国祭は終わりましたし、旦那様も奥様もすぐにお帰りになりますよ」
「そうねえ。お土産が楽しみだわ」
一口サイズのクッキーを摘んで口に放り込む。
「ん!美味しい!!」
芳ばしい香りが鼻に抜ける。ほろほろと口の中で崩れて、甘みが口いっぱいに広がった。
「粉状のアーモンドが入っているそうです。少し黄色の方はレモンジャムが入っています」
私は黄色いクッキーを食べた。芳ばしさと一緒に、爽やかな香りと甘さが広がる。紅茶を一口飲んで、ふうっと息を吐いた。
「ちょっと楽しくなってきた」
「それは良かったです」
「マノンはどこかしら。厨房?」
「そうですね。厨房で仕込みをしているか、買い出しでしょう」
「会いに行ってくるわ」
「エリアーヌ様」
私が椅子から立ち上がると、侍女が名前を呼んだ。にっこりと笑っている。
「残ったお菓子は全て下げ渡してくださるのですね。ありがとうございます。喜んで頂戴いたします」
「えっ、いや、違うわ!後で!後で会いに行ってくるって言ったの!!」
急いで椅子に座り直し、優雅を装ってお茶を飲む。
「お茶もお菓子もとっても美味しい。最後までいただくことにするわ」
「あら、残念です」
視界の端にほほえむ侍女が見えた。飲みかけのお茶を放り出すような不作法は許しません、と聞こえないはずの声が聞こえる。私は気付かないフリをしてお菓子を口に放り込んだ。
階段を駆け下り、厨房へ向かう。急いで飲んだお茶がお腹の中で時々ちゃぷんと音を立てた。二回もお茶をおかわりしたからだ。なぜか侍女の笑顔に押されて飲み過ぎてしまった。
「エリアーヌ様、急いでどうされたんですか」
「マノン!あなたを探していたのよ」
厨房へ続く食堂の扉を開ける前に、後ろから声をかけられた。振り返ると呆れた顔をしたマノンがいた。大量の野菜が入った木箱を抱えている。メイド服が所々土で汚れ、一つに結んだ濃い茶色の髪が乱れていた。綺麗にしていれば美人なのに、マノンは自分の容姿にこだわらない。弟と二人で生きるのに必死で気にしていられなかった、らしい。
「私をですか。ああ、今日のお菓子のことですね。ちょっと待っていてください」
そう言うとマノンは食堂の扉を開けて行ってしまった。すぐに私も食堂に入って、近くの椅子に座る。夕食までまだ時間がある。テーブルには花しか置いてない。でも厨房へ続くドアの方から、話し声と調理音、それに良い匂いがしてくる。今日はシチューかな。入っているのはお肉だろうか、魚だろうか。
よだれが出そうになった口をきゅっと閉じると、厨房のドアが開いた。マノンが乱れた髪と服を直しながらやって来る。
「エリアーヌ様、料理長が少し時間をくれました」
「ありがとう。大した話じゃないんだけど、でも私には大した話なのよ」
「美味しかったですか、クッキー」
「そう!ほろほろっと口の中で崩れて、すごく美味しかったわ!それにあの香り!アーモンドの芳ばしさが口いっぱいに広がるのがもう、本当に、美味しかった!」
「ははは、ありがとうございます」
「ああ!マノンのお菓子が来月から食べられないなんて、死活問題だわ!」
「難しい言葉を使いますね」
「茶化さないで。本当にそう思っているのよ」
マノンの作るお菓子は美味しい。それは私が思っているだけじゃなくて、屋敷の共通認識だ。だけどマノンは来月結婚して、屋敷を離れてしまう。買い出しに街へ出たマノンに一目惚れした男が求婚し、何度も断ったが結局マノンが折れて結婚することになった。本人は、二十五になってこんなことが起こるんですね、とまるで他人事だった。
「ねえ、結婚しても時々お菓子を届けてよ。お礼はするわ」
「ご冗談を。来月から私は山を越えた隣国ですよ」
「山一つじゃない」
「片道で丸一日潰れます」
じとっとした目で睨んでもマノンは全く気にしていない。私は大きくため息をついた。
「はあ、もう良いわ。冗談よ」
「そんなに食べたいならエリアーヌ様が作れば良いじゃないですか」
「私が?」
「私のお菓子は私好みの味です。それが良いと言うことは、エリアーヌ様と私の好みが似ているのでしょう。自分好みの味を作るのは自分が一番適任です」
「厨房に入っても良いの?迷惑じゃないかしら」
「料理長の許可が出た時間なら大丈夫です。エリアーヌ様が木登りされるより、旦那様はずっと安心されますよ」
いたずらっ子の顔をしてマノンがウインクした。
一月前、私は自分の部屋から逃げ出す為、窓に一番近い木に手を伸ばして落ちた。捻挫した足は数日前まで違和感が残っていた。
「もう!そう言うところ、本当に弟と似てるんだから!」
「私がガスパルに似ているんじゃありません。ガスパルが私に似ているんです」
「どっちでも良いわよ」
マノンとガスパルは三歳離れた姉弟だ。確か料理長の友人の子で、幼い頃に両親を亡くしうちで働き始めた。マノンはキッチンメイド、ガスパルも始めは厨房だったけど強さが買われて私の護衛になった。屋敷にいる衛兵の訓練をずっと見てたから、試しに教えたらしい。
二人は私が生まれる前からここで働いていた。身分が違うけど、私にとっては遠くてほとんど会わないいとこより、近いつながりを感じている。
「エリアーヌ様、お菓子は作った人が最初に味見ができますよ。食べ放題です」
「やるわ!」
「おお、やる気になりましたね。私がここにいる間はお教えできますし、いくらかはレシピをお渡しします」
「とびきり美味しいのを作れるようになって、来年の建国祭でリゼットに食べてもらう」
「心意気は良いですが、首都までの片道八日の間にカビが生えます」
「もう!正論で決意に水を差さないで!!」
目標ができて、私の生活に楽しいことが増えた。
二日後、帰ってきた両親からリゼットの婚約の話を聞いて、私は声にならない声で叫んだ。ガスパルに問いただすと、リゼットの合意の上らしい。その夜書き上げた手紙は便箋を十枚使った。今までで一番封筒に厚みがあった。




