ポプリ
夏が来た。
首都アルゲントはブラン村より暑い。今も、夜なのに夜着だけで過ごせる。ブラン村は夏でも上に何か羽織らないと、寒くて震えていた。でも、これからまだまだ暑くなるらしい。想像するだけでぐったりする。
私はキャビネットにしまった瓶を取り出した。この瓶にはおばあちゃん特製ポプリが入っている。蓋を開けるとポプリの甘い香りがした。
「明日もがんばろう」
私は小さな声で気合を入れた。
聖女の仕事は難しくない。お願いされたことを祈るだけで良い。でも初めての時みたいに、時々大きな怪我や重い病気の人が来る。何度か経験したけど、毎回同じように足がすくんだ。たくさんの血も、苦しそうな顔も恐い。
そう言う日は、おばあちゃんのポプリを取り出した。すうっと息をすると、甘い香りが体いっぱいに広がる気がした。おばあちゃんが、大丈夫だよって抱きしめてくれる気がした。
私はポプリの瓶をキャビネットに戻す。ベッドにゴロンと横になって、目を閉じた。
明日も午前中は聖女の仕事で、午後はソフィア先生の授業がある。おばあちゃんに会いたいなあ。
次の日、いつものように祈った。その度に患者さんが、ありがとうございますって感謝して帰って行く。
「今の方で最後です。お疲れ様でした」
「リュカ様もお疲れ様でした」
少しだけ片付けをして、食堂へ向かう。私はぐうと鳴るお腹を押さえて歩いた。お昼のスープは何かな。
「リゼット様、五日後にここを離れることになりました」
「えっ」
驚いて顔を上げた。リュカ様が申し訳なさそうな顔をしている。
「そうですね。神官長のリュカ様は、ずっとここにいられないですよね」
「すみません。夏の間はこちらにいるつもりだったのですが」
「私は大丈夫です!聖女の仕事も慣れてきたし、みんな優しいから困ったらいっぱい聞きます。がんばります!」
「リゼット様は今でも充分頑張っています」
今度はリュカ様が悲しそうな顔をした。あれ?私、間違ったことを言ったのかな。
「無理はしないでください」
リュカ様の声がすごく真剣だったから、私は「はい」とだけ答えた。
午後、授業が始まった。
ソフィア先生は綺麗な便箋を取り出す。
「リゼット様、今日は手紙を書きましょう」
「でも私、簡単な単語しか書けないです。家の手伝いに役立つからって、少し覚えただけなんです」
「分からない単語はわたくしがお教えするので大丈夫ですよ。今日あった出来事、日頃思っていること、何でも良いのです。書き終わったら実際に送りましょうね」
私は便箋におばあちゃん宛の手紙を書いた。それからエリアーヌ様にも書いた。手紙の書き方と分からない単語はソフィア先生に教えてもらう。
「ではここにリゼット様のお名前を書いてください。はい、これでおしまいです」
「ふう」
私は息を吐いた。
「リゼット様、お疲れになりましたか」
「間違えちゃいけないと思うと緊張しました」
「リゼット様は真面目で頑張り屋さんですね。もう少し、肩の力を抜いても良いと思います。わたくしの弟は結構いい加減ですが、英雄をしていますよ」
「あれ?前に完璧な英雄って」
「力の抜き方も完璧な英雄なのです」
「なんですか、それ」
私はくすくす笑った。
「とても大切なことです。落ち着ける場所、安心するもの、楽しいこと、こう言うものはたくさんあった方が良いです。リゼット様にはございますか」
「そうですね……。おばあちゃん特製ポプリです。すっごく良い香りがするんです」
椅子から立って、キャビネットからポプリの瓶を取り出した。蓋を開けてソフィア先生に渡す。
「とても良い香り。素敵なおばあ様ですね」
「はい!大好きなおばあちゃんです!!」
私は力いっぱい返事をした。
「リゼット様はそう言うお顔もなさるのですね」
そう言う顔って?
私は自分の顔をぺちぺち触る。ソフィア先生は楽しそうに笑っていた。
五日後、リュカ様が大神殿を出て、所属する神殿へ帰った。リュカ様が神官長を務める神殿は、領主様のお屋敷の街にある。おばあちゃんやエリアーヌ様宛の手紙は、その神殿を通して渡してくれるみたい。返事の手紙はいつかな。楽しみ!
その日、私はなかなか眠れなかった。暑い夜で、ベッドに横になっているだけで汗がじんわりにじむ。
気分を変えたくて起き上がった。ポプリの瓶を開けて、昼に届いた手紙を読む。ポプリの香りの中、おばあちゃんの手紙を読むと少し落ち着いた。
今日は大丈夫だった。ちゃんとできた。いつか、聖女に助けを求める人を、助けられない日が来るかもしれない。期待に答えられないかもしれない。こんなに優しくしてもらっているのに。そう思うと恐くて恐くて仕方なかった。
ポプリの瓶に顔を近付けて深呼吸する。
「明日もがんばろう」
私は瓶と手紙をしまって、またベッドに横になった。




