エインズワース侯爵令嬢、天を翔け物語を紡ぐ
初投稿です。宜しくお願い致します。
たとえるなら、雨上がり後の燃えるような夕焼け。
そんな髪を風に靡かせていた。
たとえるなら、星々が煌めく濃紺の夜空。
そんな瞳で多くの物語を読み解き記した。
「空」を持って生まれた彼女は、いつだって「空」を望み、焦がれていた。
◆
「は? 今なんと言った?」
「ですから、わたくしは結婚するつもりはございませんし、もう竜騎兵養成学校への入学申請も済んでおりますの。 ご心配なさらないでくださいまし。 我がエインズワース家の名にかけて、試験は主席合格ですのよ。 ほら、ここに合格通知書が」
「またお前は勝手なことを! 侯爵家の娘が軍人になるなんて前代未聞だぞ。 よくも父に相談もなしにやってくれたな。 フランツはどうする? 彼とは十年も共に過ごしてきただろう。 情はないのか? お前は彼を好いていると思っていたのだが。 ああ、何と言うことだ」
畳みかけるように問いかけたあと、父はおよよ……と現実から目を背けるように両目を覆い隠し、豪奢なイスに座り込んでしまった。失望が父の老け顔に更に皺を刻んでいる。
フランツとは物心ついた頃から婚約者として交流を重ねた仲、情があるかといわれたら勿論ある。けれど、情とはいってもあくまで友愛や家族愛に近しいもので、耳元で愛を囁き合う関係ではない。それはお互いにわかりきったことだ。そして、私にとってフランツはこれ以上ないほど好ましい男性だということも。家格も人柄も、なにより私の一番の理解者だ。だから、婚約解消を告げたとき、彼がどんな反応をするか想像に容易い。
「彼も、さほど結婚に執着していませんもの」
そう言って私が微笑むと、父は深い深いため息を吐いた。
「そういう問題じゃない。リリィ、お前は賢い子だからわかっているはずだ。この結婚の意味をな」
「あら、ヴィーホット伯爵家の長男なんて引く手数多ですわ。わたくしと婚約していると知っていても、隙あらば横取りしようとする下卑た女性ばかりですもの。たしか、数年前からドラゴン用の食糧で名を馳せているレイウィック伯のところには、まだ未婚のお嬢さんが三人いたと覚えております。まあ、今のところ、お互いが最善のパートナーですけれど」
思いを巡らせて目を伏せると、窓から射し込む陽光が私のまつ毛に乗っかって、まるで聖女の涙のように私の瞳を濡らした。項垂れる父を視界の端へと追いやる。
そもそも、この計画の発案者はフランツだ。三年前の、瑞々しい初夏の香りをのせた蒼い風が吹く頃。私たちはいつものように四阿でティータイムを楽しんでいたが、その日の私は前日に読み終えた物語にすっかりのぼせ上がっていて、息を切らせながらその全てをフランツに語り尽くし、彼はにこにこと相槌を打って聞いていた。冷めてしまった紅茶で喉を潤し――側仕えの侍女は淹れ直そうとしたが断った――ホッとひと息ついた私は、何の気なしに空を見上げて、それがあまりにも鮮やかでとてつもなく広大だったから、「ああ、あの空には物語が詰まっているのだわ。自由に飛び回れたら、どんなに気持ちの良いことでしょうね」と呟いた。するとフランツは言った。
――竜騎兵になれば、君の夢は叶うだろうね。
彼のその一言が、私の憧れに具体的な形を与え、進むべき道のしるべとなったのだ。貴方とんでもなく天才だわ、と思わずフランツに抱きついてしまったのは今も恥ずかしい記憶だけれど……。
自分の言葉が私に運命を変えるほどの影響を与えてしまったと知ったとき、彼はアーモンド型のスカイブルーの瞳を丸くしたけれど、すぐにあれやこれやと計画を立て始めた。他人事だと思って、まるでチェスの駒を動かすように。
そうだ、父は一度もチェスで彼に勝てたことはない。九九戦九九敗――百戦目のチェックメイトはすぐそこだ。しかし、時の宰相をも唸らせるフランツ・コーネリアス・ヴィーホットにも予想できない一手は存在する。
それこそが、この婚約解消の件だった。
これは私が一人で決めたこと。彼はとても優しい人だから、きっと「君を待つよ」と言ってくれる気がする。でも、散々好き放題した上に彼の貴重な花盛りを不意にしてしまうのは忍びないし、何よりもし私が戦場で死んでしまったら――。この問題についてずっと考えてきたけれど、結局は婚約解消という結論に辿りついた。フランツはあまり結婚に関心がないようだが、彼が伯爵家の嫡男である以上必ず誰かと婚姻を結ばなければならない。ふさわしい女性はそれなりにいるはずだ。きっとすぐに相手が見つかるだろう。ちくりと胸を刺す痛みに気が付かないフリをする。
夢を追うとは、そういうことなのだ。薔薇の剪定をするとき、選ばれなかった枝は切り落とされて、二度と還ってはこない。父も母も兄弟たちも友人も、誰もがこの選択を馬鹿だと嘆くだろう。あるいは笑うかもしれない。それでも、どうしても、私はこの夢を叶えたい。
お呼びでしょうか、と父付きの執事キンバリーが部屋に入ってきて、私の意識は現実へと向き直った。
「モルターズに連絡を。早急に話し合わなければならんことがあるとな。できればニ、三日以内にこちらに来て欲しいと伝えてくれ」
モルターズは父の顧問弁護士だ。承知致しました、と頷きつつも疑問の色を浮かべる彼に、父が「馬鹿娘が軍人になるだの婚約解消するだの騒ぎ出したのでな」と説明すると、キンバリーは「左様ですか……」と呆れたように私を見つめた。
「貴方までそんな目で見ないでちょうだい。子供のお遊びではないわ、私は本気よ」
侯爵家の手に余るお転婆娘だと言われて育ってきただけに、やはり周りの反応は冷たい。居た堪れなくなってふいとそっぽを向いた先に、一枚の絵画が飾られていた。
風にたなびく髪と遠くを見据える瞳――運命の女神パメラが崖の上に立ち、右手には三つ叉の矛を、左手は水平線へ伸ばされている。母に似て芸術に明るい兄が言うには、彼女は三つ叉の矛とセットで描かれることが多いらしい。それは、彼女が一つの人生に対して三つの大きな選択肢を与えるという神話に由来する。それが本当だとしたら、まさに今がその岐路に違いない。
(運命の女神、この選択が間違いだとしても、私は――)
◆
ジグムント皇国第一六代アルタウス帝の治世七一三年、皇国で初となる女性竜騎兵が誕生する。名をリーヴァリッツェ・マルカ・エインズワースといい、建国から続く由緒正しい侯爵家に生まれた次女であった。
(中略)
とはいえ時代は未だ女性に厳しく、後に男女・貴賎を問わず全ての民に対して公平に雇用を与えるという法を打ち出して皇国の大改革の一翼を担ったフランツ・コーネリアス・ヴィーホットと結んでいてもなお、リーヴァリッツェが当初望んでいた前線での活躍は叶わなかった。或いは、そのときの経験からかの大改革が行われたのかもしれない。
しかし、彼女の存在がきっかけとなり、現代では当然のように各国に広まった書騎兵という職が置かれるようになったことは注目すべき点である。
(中略)
リーヴァリッツェはルキアス(古い言葉で”光の子”を意味する)という小型ドラゴンに跨がり空を駆けた。そのドラゴンは竜騎兵のために育てられていたが、一般的なドラゴンに比べて倍近くも小柄であったが故に孤独であったのを、リーヴァリッツェが自ずから引き取り絆を深めたという。のちに、著名なドラゴン学者エドゥアール・ラウラ・レイウィックの研究によって、ルキアスが南方に生息していた古竜の末裔だと明らかになり学会を揺るがせた。さりとて当の本人たちにとっては重要なことではなく、比較的隠密性が高く機動力に優れていたため、結果的に戦をその場で記録するには適していたのだろう。
初陣であるヘリンガ河北西部の戦いを含め、ドリュニ鉱山崩落事故に際する竜騎兵の救援任務、友邦国ノーザンリンダリア王国における密教一派の大反乱など、彼女の舞台は多岐に渡る。
(中略)
五年前、ヴィーホット侯爵家のアルフォンス氏によって公開された夫フランツの手記には、リーヴァリッツェのものとしてとある言葉が繰り返し登場している。個人的には、彼女の人柄を如実に表しているように思われて気に入っている。以下、該当する記述が最初に確認された同手記二十三頁の原文をそのまま記した。
「空は別の世界への入り口、あるいは物語を紡ぐ詩人。わたしは空を駆けたいの。そのために、ここにいるのよ」
――『天翔る乙女、或いは空の紡ぎ手リーヴァリッツェ・M・エインズワースに関する考察』タリオス・アンデルベリ
読んでくださり、ありがとうございました!
ゆくゆくは長期連載するつもりなので、楽しんでいただけたら嬉しいです(*^-^)