フレディによせて
輝くように、踊りましょう。美しく舞っていた、あの春の花びらのように。
歌うように、飛びましょう。美しくさえずっていた、あの夏鳥のように。
誇るように、鳴きましょう。美しく切なく恋焦がれていた、あの秋虫のように。
惜しむように、別れましょう。美しく儚く散っていった、あの冬の枯葉のように。
そんなふうに生命を謳いましょう。
そして、いつの日か、さよならをしましょう……いいえ、私にはできません。
貴方を忘れるのも、居ないのを受け入れるのも。
この季節になると、決まって思い出す。初めてあの話を知ったのは、姉が小学二年生になった年の冬。懐かしいな、もう何年前になるんだろう。
「葉っぱのフレディ」って、何人の人が覚えてるのだろうか。あの、色とりどりの葉っぱたちの命の話。私は冬になると、決まって思い出すのだ。
「どこにうまれて、どこに生きるのか、か」
保育園で、本棚から「葉っぱのフレディ」を引っ張り出して、友達と遊ばずに読んでた私に大人は驚いたり、関心したり。確かにあの本には小学二年生で習う漢字があるんだから、保育園児が読んでるのは、なかなか奇妙だったのかもしれない。私は凄いねなんて言われて、完全に得意になってたけど。姉の音読聞いてたからその話を知ったんだし、分からない漢字もフィーリングで読めるふり出来ただけなのに。
「またなんか変なこと言い出した」
「うるさいなあ、別にいいじゃん……ねえ、『葉っぱのフレディ』って覚えてる?」
緑が基調になった、深い色のマフラーがぴくりと動いた。くるりとした目がこちらを見る。見慣れたそれは唐突に何なんだ、とでも言いたいのか、焦げ茶を大きくする。でもそれは一瞬のことで、すぐに考え込むようにまつ毛が伏せられた。私はその視線を追うように、前を見やった。かさりと音が鳴る。風に吹かれた梢が踊る。紙吹雪みたいな黄色い葉っぱが、陽の光に照らされる。冬の昼の暖かな光に、空気がきらきらと輝いていた。
「あれか、小学校の教科書の」
「そうそう。あれ、どう思う?」
「アバウトすぎ。何を言えばいいのか分かんないんだけど。どう思うも何も、そんなの普通覚えてるわけねえじゃん」
私は横を向いて、まじまじと奴の顔を見た。こいつでも覚えてないんだったら、他の人もそんなものかもしれない。私だって、フレディの親友の名前を思い出せない。覚えてるのも、ほんの一部分。その記憶も、確かなのかな。分からない。
「そっか。じゃあ覚えてるとこだけ話すね。フレディは葉っぱで、友達がみんな散っていっても、一人だけ残っちゃうの。親友が散る前に死ぬって何とか、生きるってどういうことか言い合ってて……多分、そんな話」
思い出せないが、ひどく心に残ってる。何でだろう、あんな大昔に読んだ絵本なのに。特に最近、死って何なんだろうっていう考えが、頭から離れてくれない。
「ふうん。最後に残った葉っぱって、あれみたいだな、あの何とかジョージの」
「何それ、何とかジョージって……ジョージ・オーウェルのこと? 『最後の一葉』ならO・ヘンリーじゃないの?」
ジョージどこから出てきたって思いながら見たら、綺麗に顔背けながらそれそれなんて言ってきた。あれか、オーウェルのオーでOか。お前そっち忘れてたじゃん。どっから出てきたジョージ。
「何で混ざったの?」
「俺が知るか」
なら誰にも分からないじゃん。微妙に赤い耳がマフラーの間から見えた。恥ずかしいらしい。顔を隠したところで、分かるから無駄なのに。
「…………死ぬって何なんだろうって思ってさ」
ぽつりとこぼした言葉。隣で身動ぎしたのが伝わってきた。いつもいつも、態度悪くても適当でも、私の話を聞いてくれる良い奴だ。高校が違ったって、こいつと居る時間を手放そうと思ったことは無い。
ざあっとまた風が吹いた。黄金色をした木の葉が宙に舞う。からからと、かさかさと。さらさらと音がする。落ちていく葉っぱは、何を思っているんだろう……死ににいく葉っぱの気持ちが知りたい。
「……お前、もう半年になるぞ。俺は何も言わないけどさ、大丈夫なのか」
「…………分からない」
「忘れないのはいいことだと思うよ。でもな、何やっててもおじいさんのこと思い出すのは、あんまり良くないだろ?」
「……それでいいよ。だって、私は……忘れたくないから」
尻すぼみになってしまったのが腹立たしい。自分が否定してることなのに、信じられてないことなのに、それをあたかも肯定しているような──
死んだおじいちゃんの記憶を無くしてしまったら、きっとそれが私を壊してしまうのに。
大好きだったおじいちゃんが死んだ。それももう半年も前のことになる。未だに嘘みたいだと思う心が抜けない。ずっと一緒に生きていけるのだと、きっと私はどこかで勘違いしていた。私が未来を想い描くのが、下手くそなせいかもしれないけど。
おじいちゃんが死ぬ半年前に、入院してたおばあちゃんも死んでしまっていた。正直なところ、おばあちゃんはもう長くないと告げられていたから、ショックは受けたものの、まだ平気だった。でも泣いたし、ちゃんと悲しかった。おばあちゃんのことだって好きだったから。
私よりもおばあちゃんが死んでしまってから、おじいちゃんは元気じゃなくなった。元気がなくなって、食も細くなって、ちょっと動いただけで息苦しいのだと、体調不良を訴えていた。そして半年後、おばあちゃんの後を追うように居なくなってしまった。
信じられなくて。嘘みたいで。私を支配するのは「何で」っていう感情で。「お母さん、寂しくてお父さん連れて行っちゃったんだね」って叔母さんの言葉を受け入れたくなくて。嫌だよ嘘って言ってよまだ家に居るんじゃないの先月ちゃんと歩いてたよねドッキリなんて趣味の悪いことしないでよねえ嘘でしょおばあちゃんおじいちゃん連れてっちゃうなんて酷いよ狡いよおじいちゃんのこと好きなのはおばあちゃんだけじゃないのに何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で──
棺の中に入ってたおじいちゃんは、私のよく知ってる顔で、でもそれはどこか違ってて、私の名前を呼んでくれなくて、笑ってくれなくて、よく来たねって出迎えてくれなくて、息をしてなくて、あたたかさもなくて、ただ何も言わず、静かに、静かすぎるぐらいに、横たわっているだけだった。見た瞬間涙が止まらなくて、声をあげて泣いていないのが不思議なほど私はショックを受けていた。
それからは、驚くほど目まぐるしくおじいちゃんをめぐる環境は変わっていった。いつもアイロンをかけて畳んだシャツが置いてあったソファ。耳が遠いから大音量に設定されてたテレビ。長年の一人暮らしで持て余した、賞味期限切れの食品。隙間に落ちてた十年以上前の飴。何年も前の、使ってない手帳。変わった家具の位置。時計のあったところに、おじいちゃんとおばあちゃんの遺影。真新しい仏壇───
私だって、片付け手伝ったのに。やってる事が分からないわけじゃないのに。おじいちゃんが居なくなった家だなんて信じられなくて。だって、おじいちゃんの家の匂いはそのままで。おじいちゃんの匂いが残ってるのに、もうこの家には住む人が誰も居ないのだなんて、信じられなかった。自分のしてる作業の意味なんて分からなかった。
私の知らないところでも時間は動いていて、おじいちゃんの家は変わっていった。ずっとおじいちゃんの家にはいられないから理解してたつもりだけど。つい最近、おばあちゃんの一周忌で行った時、庭の変わり様に驚いた──いや、おじいちゃんの庭じゃないって思った。毎年毎年生えてくる昼顔は根っこから抜かれたのか、どこにも見当たらなかった。芝生には大量に雑草が混じっていたし、柿の木の枝も大量に落とされ、百日紅の木は無くなっていた。すずらんの代わりに群生した野菊が、何食わぬ顔で咲いていて───私の知っている「おじいちゃんの庭」は、どこにも無かった。
嫌だった。思い出が、ひとつひとつに思い出があったのに。全部容赦なく切り倒されてくみたいで。大人の決定に逆らえるような何かを私は持っていないし、きつそうな顔してる叔母さんにそんなことは言えなくて。私に出来たのは、おじいちゃんの名残を見つけて、ひとつひとつ思い出して、涙を流すことだけ。
おじいちゃんの死が私に与えた影響は大きすぎて、家に帰って来てからの約一週間は、私の中心におじいちゃんがいた。忘れられるわけがなかった。ふと何かの弾みでまた泣いてしまうような、そんな日々を過ごしていた。当然、そんな状態の私に他人は残念だったね、悲しいでしょう、でも気持ちを切り替えて頑張らないとおじい様も悲しむでしょうなんて言ってくる。切り替えろ。忘れろ。前を向け。何で?
何で忘れなきゃいけない? 何で貴方達にそんなこと言われなくちゃならない? おじいちゃんが大好きだったのは、悲しいのは、お前らじゃなくて私なのに。忘れるか。忘れてたまるか。何で大切な、幸せだった記憶を手放さなきゃいけないんだ。可愛がってくれたこと。お父さんよりもおじいちゃんに懐いてたこと。眼鏡の奥の目が見えなくなるくらい細められて、優しい顔して笑ってくれたこと。家庭菜園の世話の手伝いをしたら褒めてくれたこと。お茶を入れたらありがとうって言ってくれたこと。二人して寝落ちした年越し。私の買い物に付き合ってくれたこと。買い物カゴにしれっとカステラを入れて二人で笑ってたこと。全部、絶対に忘れたくない。
ねえ、フレディ。死ぬって何かな。死んだ人のことって、忘れなきゃいけないのかな。君は、友達が、親友が居なくなってしまった時、何を思ったのかな。死んでしまった、居なくなってしまった人達のこと、残されたことどう思ったのかな。悲しかった? 忘れられなかった? 許せないとか思ったのかな、もし連れて行った人が居るなら狡いとか思うのかな。……私だけかな。
私だけかもしれない。だって、おじいちゃんの家が変わっていくのが辛そうだった叔母さんが言った、安らかに逝ったなら良かったとか、おばあちゃんと一緒にいるといいねなんて、思えなかった。何で。安らかかどうかなんて、おじいちゃん以外の誰が分かるっていうんだって思っちゃったし、死因は病気なんだし、苦しまなかったはずがないのに。そりゃ添い遂げた人と一緒にいられるのはいいことなんだろうけど、そんな。よく聞く君の居ない世界なんてって、それとおじいちゃんが同じなのかどうなのかって……分からないじゃん。
でも、分かってるよ。私の、おじいちゃんがまだ生きたいって思ってくれてたはずだって望みを、勝手に押し付けてること。まだおじいちゃんと話したいこと、沢山あった。親孝行ならぬおじいちゃん孝行もしたかった。初めてお酒呑むんだったら、おじいちゃんとがいいなとか、何かプレゼントしたいなって。全部出来なくなっちゃったから、せめて、私の気持ちが一方通行じゃなければいいなって、望みを押し付けてるんだって。
ねえ、フレディ。貴方は死ぬ時、何を思ったのかな。良かったって思えてた? こんな私は駄目なのかな。孫失格かな。失格なんだったら……怒られたいな。物心ついてから、一度もおじいちゃんに怒られたこと無いから。怒られたいな、怒りに来て欲しいな。最後に一度だけ、おばあちゃんと一緒に───
隣の震えてる肩を抱くようなことはしない。そんなの望んでない。お互いに恋愛感情なんて無いくせに、こう繋がってる俺らの関係はそれだから。変わりたくないって思ってるのも、分かってる。「変わらない」ってことに、二人とも固執してるから。
特にこいつはそれが強い。「変わらない、変わりたくない」って言ってたって、いつも肯定されるはずがない。この感じだと、また学校で「変わらなきゃいけない」みたいなこと言われたんだろうな。変わりたくない人間にはきつい。だから、過去に縋る。だって、過去の事実は変わらないじゃん。こいつにとっての大切は、未来に居てくれないから。
俺が不安なのは、こいつが壊れそうなことで。そっとスマホを出して、探す。検索したのは、「葉っぱのフレディ」。
「変わらないものは無い」「いつかは皆死ぬ」「それでも“いのち”は終わらない」。フレディの親友の、ダニエルの言葉。きっとこれは、全部その通りなんだ。分かりきったことだけど、それでも、抵抗したいって思うのは我儘だろうか。思春期なのだ、という言葉だけじゃ、もう言い逃れ出来なくなる日は近付いてるんだろうけど。それでもまだ俺達は「僕は嫌だよ! ここにいるよ!」って、フレディみたいに言っていたい。世界の全部変わるんだって、よく聞くけど変わらないものを信じちゃいけないなんて、誰にも言えないと思うし、絶対誰だって思ったことがあると思う。忘れたくないって気持ち。それを大事にするかしないかは、自分で決めたい。だって、それぞれの個性があることを葉っぱでさえ分かってるなら、人間も分かってて欲しいじゃん。
切り替えろって言葉がこいつに投げかけられる理由も、俺は分かる。前に聞いた、「死が本当に安らぎなのか分からない」って言葉。あの時は何も言えなかったけど、今なら言える気がする。確かにそれは人それぞれだと思う。考え方が違うだけ。それも個性として数えちゃくれないかなぁ。
才能ある若者が死んだ時には、惜しいとかそういう言葉。そういう人達に、死は安らぎじゃないって思うのが多分普通。逆に伴侶を失った人が亡くなったら、一緒になれて良かったねって、現世で苦しみ続けるよりもと、死を安らぎとして捉えるんだと思う。多分こいつのおじいさんにも当てはまるだろう。ただ、それを「変わりたくない」こいつが受け入れられないだけ。
「大切な人亡くしたのを忘れるために、恋人作るとか、お前そんな奴じゃないもんな」
頷く気配がした。だろうな。もしそんなやつだったら、俺はここに居ない。今のこいつがそれをやったら、確実に壊れる。こいつを壊さないで立ち直らせる方法は、俺には分からない。だから、俺はここに居るだけしかしない。こいつがそれを望んでることだけは、正解だと思うから。何も言わない。正解の言葉なんて、知らないから。
こいつは「葉っぱのフレディ」読み返して、何かに気がつけばいい。それで泣いたとしても、きっと少しは何かが変わるから。何が変わっても、いつかそれを受け入れて笑えればそれでいい。その日は多分、こいつが壊れる日じゃないから。
誕生の春。舞っていた花びら。
生命を謳歌する夏。囀っていた鳥の子。
変わりゆく秋。恋焦がれていた虫の声。
終わりゆく冬。落ちていく枯葉。
生命の唱は、どんなもの。
美しいけれども残酷なもの。いつかはさよならを告げなくてはならないもの。
生命で出来た、この世界は。
怖いこともあるけれど、きっと、何よりも素晴らしいもの。いつかさよならをしても、ずっと終わらないもの。