「セシャトのWeb小説文庫」(セシャト様)より(その3)「愚痴を吐く波多野君と、そしてセシャトさん」
早春の夜更けは長いのか、短いのか。仕事の愚痴をウイスキーでまき散らす波多野君、しかし『ふしぎのくに』の皆さんは?
六
「何故僕が脚本に応募し続けるかって……要は、会社が本道を見失っているからですよ」
何杯目かのお茶を胃に収めつつ、僕は『ふしぎのくに』の一角で嘆いた。本題が始まったことに気づいた三人は、八畳の空間で何も言わずに視線だけを注ぐ。
「かつては『歌の大都』と呼ばれたのに、今は影も形もないときたもんです」
タバコが欲しかった。胸の『ゴロワーズ』をさりげなく取り出してヘカをうかがうが、もの凄い勢いで睨み返されたので慌てて元に戻す。どうやら二本目は駄目みたいだ。
「ふむ……確かに前の東京オリンピックのあたりまでは大都の歌謡映画といえば堂々たる会社の看板だったの」
神様が頷いた。
「流石神様! くわしいですねぇ!」
僕は「前の」東京オリンピックという文言には触れず、手を叩くとあからさまなお世辞を口にした。せっかくに選ばれたのなら、まずは自分の事を優先したいのだ。それに、「次の」東京オリンピックの時まで自分がどうなっているかを知ることも怖かった。
「アホ。波多野、わしゃ神様だぞ、日本映画の変遷だって当然に知っておる。高度成長の頃なら各社はキラーコンテンツを一つは持っていたな。特撮の東宝、ヤクザものの東映、アクションは日活、ユーモアが松竹で大作志向の大映じゃろ? そして……大都といえば歌謡ものじゃった」
神様は幼い横顔に苦味をはしらせる。釈迦に説法、だったのだろうか。
「ええ、ええ……そうなんです」
機嫌を損ねてはならじと僕は必死に取り繕う。煎餅を齧りながらセシャトが少し微笑んだ気がする。ヘカは……知らない。あまり、怒らせない方がいいだろう。
「近年、映画はパニックものばっかりがヒットするんですよ」
そこまで言うと僕はため息をついた。『タワーリングインフェルノ』『エアポート75』、それから『ジョーズ』、ハリウッドが出してくる大ヒット級は総じてパニックものばかりなのだ。そして日本映画でヒットするのはマンネリ的な『寅さん』か、アイドルを起用した文芸作品ものばかり。何かを考えようにも、昨今ヒットするジャンルは限られつつある。
「それでもってウチの会社は時流に乗ろうとして、パニック映画をたて続けに作って、もう大赤字もいいとこなんです……アイドル歌謡をもっとミュージカルに近づけたら面白いものが撮れるのに……」
「ふむ」
全くにバカげた話だった。十年前は正月と盆向けに青春歌謡のアイドル歌手を総ざらえした顔見世映画を作ることで潤っていた我が社は、青春歌謡が廃れることによって緩やかに傾き始めた。以降、他社が得意とするジャンルに節操なく手を出してはことごとく興行的に惨敗し続けている。社長だけがその結果を認めないかのように、その年その年の流行に挑んでは……敗北するのだ。
「今から振り返れば、お主の時代は日本映画の一種の低迷期でもあるからの。それ以上は詳しく言えんがな」
「やっぱり、そうですか?」
「ああ」
せわしなく菓子を口に運んでいた神様が、実に簡単に「事実」を告げる。
「でも、『寅さん』や『仁義なき戦い』はヒットしたんじゃないですかぁ?」
「セシャト、あれは松竹に東映なん! 波多野のところじゃないん!」
気まずくなりそうな雰囲気を察したのかセシャトが助け船を出してくれるが、ヘカがそれを即座に否定する。意地悪! 神様はいざしらず、なんでお前まで四十年前の事情にそんなに詳しいのだ!
でも、ここで見栄を張っても大都にろくなヒットがないという事実は揺らぎはしない。
「そうでしょうね……」
僕は反論しなかった。ムキになるには武器が少なすぎるのだ。入社して四年目になろうとしているが、大都映画からのスタッフの離反が激しいという事実を前にすると、意地でも神様達に抵抗しなければという気がなくなる。毎年のように優秀な監督やプロデューサーはテレビ局に鞍替えするか、CMフィルムの会社なんぞを立ち上げてしまうのだ。同期ですら気がついたら広告会社に転職していた。去年のクリスマスに道玄坂で見かけたが、大都よりも羽振りがいいのか彼は白のメルセデスに乗っていた。二十年モノのボロ車に乗っている僕は気がつかれないことに気をつかうしか能がなかったくらいだ。
「ホント、上層部は見る目がないですよ……。会社を大きくした歌謡ミュージカルを再興したいこちらの応募脚本をまともに取り合おうとしない」
そこまで言うと、僕は自分の鞄を開けた。酔いが欲しくなっていた。確か出張中の睡眠薬代わりにしていたサントリーのポケット瓶が半分程残っていたはずだ。
「波多野、なんだそれは?」
僕が琥珀色の液体が入った瓶を取り出すと、神様が興味深そうな視線を送ってくる。
「何って、酒ですよ。サントリーのレッド」
「ワシにもよこすのじゃ!」
「あなた、子供でしょう!」
「うるさい! これは仮の姿だ! それに神は人間の法律の外にいる……飲ませろ!」
愚痴は中断となった。神罰が恐ろしい僕はやむを得ずに流しを借りると水割りを作る。何故四杯も作らなければならないかはまあ、脇に置いておこう。
七
「国産も悪くないん!」
ゴキゲンな声が上がる。神様とセシャトとヘカ、三人がアルコールを堪能しているうちに、僕はもう少しだけこの数年のうちの会社の惨状に思いを馳せた。
(「国産も」、かあ……)
社長を初めとした上層部は懲りるという単語を知らない。去年の春に封切った、高層ビル火災を描いた『タワーリングインフェルノ』の三番煎じあたりを狙った新宿の地下街で火災が起こるという設定の『地底二十メートルの悪夢』は、どうも絵面が悪く二週間で打ち切られた。当たり前だが東京中の地下商店会が協力してくれるわけもなかったので、特撮に切り替えたものの予算をケチってしまいすぎたら迫力がでなかったのだ。
挽回を期して夏に封切った『ブルートレイン危機一髪』は、『エアポート75』のような偶発的な災害の緊張感を描こうとしたが、不幸にも東映の『新幹線大爆破』と公開日が重なり、これも二週間で打ち切られた。心臓発作で機関士を失った在来線の列車が突如新幹線を超えたスピードで走るという荒唐無稽さが駄目だったのだ。大新聞には黙殺され、映画誌ですら公開日以上の情報を書いてはくれなかった。部長の指示でスポーツ新聞の記者に小銭をつかませ、辛うじて芸能欄の片隅に掲載させただけだった。
「波多野よ……」
どこかで呼ばれたような気がする。しかしそれよりも、これだけ損害をこさえてなお、社長がとまらないことが今一番悩ましい話だ。何せ現在、目下大ヒットしている『ジョーズ』にあやかって、わが社は巨大アンコウが北関東の漁村を襲うという映画を作成中なのだ。題して『深海の逆襲』! 僕の仕事は……地元の漁協が怒って、銀座の本社に怒鳴り込んでくる度に応接する役だ。なんとかなだめすかしたものの、僕はアルコールで気勢をあげた漁師のパンチを二発喰らい、プロデューサーと監督はラストを変更するという念書を書かされた。だからお盆興行では、映画の残り十五分は人食い巨大アンコウを仕留めた漁師達が味噌仕立てのアンコウ鍋をつつくシーンで終わるはずだ。多分だけど。
「波多野よ! 呼んでおる!」
神様の声が響いた。僕が反応した頃には、彼のグラスに注いでやった水割りはとっくに飲み干されてしまっていた。
「要するにお前は……かつて成功していた頃のような路線の映画製作に会社を戻していきたい、ミュージカル風の作品を出せば立ち直る、そう思っているんじゃな……」
子供の顔つきには似つかわしくないジトっとした目つきがあった。
「ええ、アンコウと『任侠の証明』ではどうにもなりません」
僕はため息をついた。
「お前のパニックものについての不満は飲みながらで大体分かった……。それじゃ、お前も多少は関わっておるらしい『任侠の証明』についてはどう考えておる?」
「はあ」
「せっかくだし、話してみろ。なあ、セシャト?」
「そうですよぅ波多野さん! それに……私達も聞かないことには助言出来ません」
アルコールのせいか、チョコレート美人がトロリとした眼で話しかける。成程、これが美だ。この顔を小一時間見つめていたら愚痴など必要ないかもしれないじゃないか。映画に出すまでもない、系列の出版社から沖縄かグアムで水着写真集でも作らせたら五万部は固い。それでもって僕は社長賞だ。
「セシャトに色目使うと承知しないん! とっとと話すん! 『ふしぎのくに』は波多野の彼女の連絡先くらいとっくに知ってるん!」
ヘカの鋭い声が狭い空間に轟いた。
「ヒェッ!」
「波多野の彼女は強いん! 半殺しになる前にとっとと『任侠の証明』の内容、教えるん!」
「わかりました! ヘカさん、わかりましたよう!」
ほとんど半泣きになりながら僕はまた、話しはじめた。
八
「ふむ……アフロが自慢のニューヨーク在住のハーフの男が、実の親である黒人兵が朝鮮戦争で戦死した後に引き取って育ててくれた良いヤクザの仇をとるために、アメリカ中から人を集めて本所の悪いヤクザの事務所へと四十七人で復讐に行く……か……」
神様は無表情なままで僕が説明した粗筋を復唱し、紅茶を啜った。
「社長は『忠臣蔵と八犬伝と水滸伝を一緒くたにした凄いストーリーだから配給収入十億はカタい』と言うてますが……とてもじゃないがそうはいかないでしょう」
「まあ、詰め込み過ぎだの。ヒューマンドラマにしたいのかパロディをしたいのかさっぱり見えてこない」
「そうなんですよ。業界でもとっくに嘲笑われてますわ……」
神様の言葉を僕は嬉々として聞いた。こちらが思っていることが、全て幼さの残る口元から出てくるのだ。
「『任侠の証明』についてはまあ、分かったぞ波多野」
「ハッキリ言って駄作の臭いがプンプンするん!」
「ですよねえ!」
僕は歯を剥いて笑ってみる。でも、そこまでの話だった。シンパシーを求めるにしては『ふしぎのくに』は、あまり親切ではなかったのだ。
「……で、それがどうした。何の問題があるというのだ?」
「へえっ?」
「『へえっ』じゃない。そんな現状について波多野、お前はどうしたいのだと聞いている」
「ですから……歌謡ミュージカルを再建して……」
先ほど言ったばかりの言葉を僕は繰り返そうとするが、全ては言えなかった。神様ではなく、セシャトがその先を封じてしまったのだ。
「波多野さん、本当にそれで劇場にお客さんは戻りますか?」
大きな切れ上がった目が僕をとらえた。
「まあ……二番煎じ、三番煎じに比べたら……」
「無理ですよぅ!」
「え?」
戸惑う僕を尻目に銀髪が微かに揺れる。
「波多野さんが『大都はかくあるべき』という固定観念から抜け出さない限り、波多野さんの私案よりも二番煎じや荒唐無稽な今の路線の方が余程、優れていますねぇ!」
セシャトが、額面通りには到底受け取れない優しい表情を作った。
「そんな……。言い過ぎですよセシャトさん! 今のウチが企画する映画は他社やハリウッドの二番煎じばかりなんですよ?」
「ええ、それはうかがいましたよぅ。……でも、波多野さん、会社の原点に回帰することと、時流を無視することはまた、別の話だと思いますよ!」
煎餅並に高らかな音を立ててビスケットを齧った女の子が笑った。
「そんな……。セシャトさん、皆さん、あなた方は二番煎じよりかは歌謡ミュージカルの復権こそが正しいと思わないのですか!」
僕は語気を荒げた。新たに体内に入れたアルコールがそうさせるのだ。
しかし、セシャトは微動だにしなかった。僕は、酔ってすら女の子を押し切ることが出来ない人間であることを遅まきながらに思い出す。
「波多野さんは……『これこそが創作だ!』という熱い思いだけが先走って、映画館に集まるお客さんが何を求めているかに意識が向いてませんよぅ!」
「そんな!」
思わず立ち上がってしまう。僕ほど、不振の会社に想いを寄せている人間などいないはずじゃないか! 立ち上がったのをいいことに想いの丈を熱弁僕は、すぐに引き止められた。神様の大音声が続きをさせてはくれなかったのだ。
「セシャト、そこまでにな。後は吾輩が言う」
その表情は険しかった。そして、創作の神様の今日一番の鋭い目が僕を捕まえた。
「波多野……。大都の歌モノが一番栄えたのっていつじゃ?」
「な……それは……」
言葉の激しさに僕はうろたえたが、そんな猶予を神は与えてくれなかった。
「いつだと訊いておる!」
「……昭和三十三年の『こまどり歌謡大学』から、三十九年の『叫べ! サーキット!』までかと……」
「明るい娯楽を土曜の晩に求めていた、皆が不安を感じる暇もないくらいに働いていた高度成長の時代と、オイルショックや終末論ブームを経験した今の人間が同じような気分で劇場にやって来るかの? ん?」
「それは……それは……」
「お前が生きている時代の客は、漠然とした不安をパニックもので提示された災厄を主役と共に克服することで、必ずしも安定しないかもしれぬ人生を肯定したいし、荒唐無稽でも痛快さを求めたいからこそ、映画に金を落とすのではないのかの?」
「そんな……そんな……」
「『そんな』ではないぞ波多野!」
神様は僕の手を握った。小さくも、温かさがある人間そのものの手だった。
「お前は過去にのみ意識を集中させ、今、客が何を求めているかという意識を持ち合わせていない。それではお前の脚本の出来云々の前に一人の映画マンとしてダメだ……」
握り返される力の強さに、僕は何も言わずにソファへと腰をおろした。酔いは何一つ物事をよくしてくれはしなかったのだ。茫然とした態の右手が胸ポケットの『ゴロワーズ』へとシャツを這って行く。
ヘカは何も言わなかった。