「セシャトのWeb小説文庫」(セシャト様)より(その2)「波多野君のためにダーツをする神様と、そしてヘカさん」
ああ、波多野君……。彼が夜な夜な書いていた秘密の書きものを……! 神保町の夜更けの会話は、まだまだ続くのです。
三
「アジャッ!」
午前三時半の古書店の奥まった八畳の空間で、タバコを根元まで吸い尽くそうとして口を危うくもヤケドしそうになった僕は叫んだ。そんな一幕にセシャトと神様は温情なのか知らんぷりを決め込んで黙々と菓子を口にする。だから唯一、ヘカだけがこの醜態に反応する。
「みみっちいん! だいたい二十世紀の男はなんでそんなん吸うん! 馬鹿なん!」
「仕方ないでしょう。風呂とベッド以外では大抵吸っちまうんですよ!」
灰皿代わりにセシャトが出してくれた空き缶の中に吸殻を入れながら僕は弁解する。
「これやっとかんと仕事から何から、集中出来ないんですよ……」
「波多野はニコチン中毒なん! 略してニコ中なん!」
こちらの顔を右の人差し指できつくさすとヘカは語気鋭く断言した。反論する気はなかった。一々語尾を「ん」で終わらせる彼女の言葉は、文字に起こせば西日本訛りの雰囲気があるが、多分、出身は全然違うのだろう。西の方言なら「ん」にはスッと宙に消えるようなか細さがあるのに、ヘカのそれは「ん」に一番の力を入れるのだ。要は、このボブカットの女の子、言葉遣いもあって相手に謎の威圧感を与えてくる。
「はい……はい!」
僕はヘコヘコと頭を下げた。生物的な本能が、「この女の子を敵に回すと絶対、怖い」と頭のどこかで泣き叫んでいる気がしたのだ。それに、そろそろ本題に入らねばならない。
「さて……さて……」
タバコの余韻をミルクティーで流し込んだ僕は改めて三人に向き直った。
「ひと息つかせてもらったところで神様にお尋ねします。……なんで僕はここに招かれたのですか?」
「うむ、それは……」
「神様じゃなくて私が説明しますよぅ!」
答えようとした神様の横からセシャトが断りもなく話しだした。ここからは彼女が話すというのだろうか。しかしセシャトは横を振り向くと「ほら、ヘカさんも手伝って! アレを出しますよぅ」と言ったきりに話を中断する。そして、「すぐ戻ってきますよぅ」と付け加えるや否や、嫌がるヘカを急き立てて二人して書庫に入って行った。当然テーブルには僕と、チョコレート美人に場の主導権を奪われてしまった神様だけが取り残されることになる。
「ねえ、神様」
「ん?」
恨めしそうに半開きの書庫の扉を見つめながら神様は反応した。
「案外あなた、扱い悪いんですね」
「それを言うな波多野……」
ぶつぶつと話しながら、少年のような四肢をだらりとソファーに投げ出した神様は天井を見上げた。口調こそ大時代的だがどことなく人間臭い。
「アイツらは吾輩の部下にして友人にして……まあ、子供みたいなもんでもあるな」
「子供ぉ!?」
僕はソファから飛び上がるように上体を跳ねさせた。こんなナリのクセして結婚して娘が二人だとおっしゃる! ホメロスのダチとは信じられても、その肉体で子供がいると信じられるか! こんエロが……いや、やめとこう。もう心のうちを知られて怒られたくない。
が、神様は天井からこちらに顔を向けると、今湧きあがっている僕の脳内の大混乱をすぐに否定した。
「慌てるな波多野。『子供みたいなもの』じゃ。多分、アイツらの存在を説明してもお前の理解を超えておる……」
「はあ……」
「持ってきましたよぅ!」
納得のいかないままに僕が座り直すのと、セシャト達がテーブルに戻ってくるのはほぼ同時だった。
「お待たせしました波多野さん! 説明しますね!」
そう告げた彼女の手元にはマンホール程の大きさをした円盤が抱えられている。そして隣にいるヘカの手には矢が握られている。
「……ダーツ……ですか?」
「うふふ波多野さん! その通りですよう!」
愉快そうにこちらの顔と円盤を交互に見比べながら、セシャトが正解を告げる。だがそれで僕が2019年、えー、平成? 平成だ……その最後の年に連れてこられたことの間にどういう因果があるというのだ?
それに、円盤の中の文字がダーツのそれではないじゃないか。ダーツのそれはこう、白黒に細かく区切った数字の羅列で成り立っているはずだ。それがセシャトの持っている円盤は……。
「お寿司食べ放題・タワシ・お小遣い五千円増額(三ヶ月限定)・タワシ・ビール券・タワシ・パジェロ・タワシ……セシャトさん、何ですこれ?」
読み上げれば読み上げるだけ声が怪訝になっていく。円盤に貼り付けられた五色の紙の上には、本来の遊びとは関係のない単語が、円の中心からダーツのそれと同じように区切られて並べられていた。しかも、「タワシ」だけが他の景気のいい単語に比べて異様な面積を占めている。パジェロは……多分、未来の車かなんかだろう。
「私とヘカさんから今年のお正月に神様にプレゼントした『お年玉ダーツ』ですよぅ!」
「矢が当ったところに書いてある景品がもらえるん! ネットで観た一昔前のテレビ番組のコーナーの真似したん!」
得意そうな少女達が口々に喋る。それでもって車なんかまで景品にするとは、豪気という段階の話ではない。あと、ネットってなんだろうというところも気になる。が、聞いたら時間だけを食って理解できない気がするので何も訊ねないことにしよう。
「あ、波多野さん。パジェロは勿論ミニカーですよぅ」
やはり、車の名前らしい。だが、未来の車への関心は今は重要ではない。
「はあ……。それにしても、テレビ番組……一昔前の、ですかあ」
僕は唸った。職業柄、テレビ番組の内容は仕事で見られなくても業界誌でチェックしている。流行なり、端役を演じさせる旬のタレントを確認しなければならないからだ。でも、そんな番組があるなどとは聞いたことがない。
と、なると多分、彼女たちが言う「一昔前」のテレビとは昭和五十一年からの四十三年間のどこかで放送した番組になってしまう。僕からしたら未来の話でも、彼女たちからすれば過去の番組なのだ。四十三年の距離、遠い未来。もう一人の僕がこの世界で生きていたらもう七十くらいの老人になっている程に来てしまったと思い知らされる。
「そうなん! で、神様が当てた部分の景品が波多野なん!」
「ヘアッ!」
腕組みをしたヘカがどうだ、と言わんばかりに胸をはる。僕は目を丸した。景品だったの、僕? ねえ!
「あー、波多野、落ち着け……神は人を景品にはせん。後なヘカ、お前はどうも話を短くし過ぎじゃ」
「似たようなもんなん!」
神様はほんの少しだけ疲れた顔つきになると、僕とヘカを交互に見比べながら一方を落ち着かせ、一方をたしなめた。
「波多野よ、セシャトが抱えている的の右下を見るがよい。わしゃ、そこに当ててしまったのじゃ……」
小さな右手がセシャトが胸元に抱えている的を指差す。その仕草に従って視線を動かすと、確かに紙がその部分だけ破れている。
「『悩める創作者の相談を聞く(今年一年間・毎月一名)』と書いてますな……そこ……」
僕はおずおずと神様の顔をうかがった。セシャトが仕事が終わったとばかりに円盤を床に置く。
「うむ……。だから今年一年は古今東西、世界中で創作に悩んでいる人間どもの悩みを聞いてやらねばならんのだ。そして波多野……三月の相手がお前だ。だから酔っぱらったお前にここまで来てもらった」
無表情な神様が呟いた。
四
「ウェアッ!」
僕はソファから飛び上がった。そしてそのまま床へと転がり落ちた。
「驚くのも無理はないん! 波多野は豪運なん!」
床に這いつくばってしまった僕に、ヘカが上から声をかける。でも、言われなくても驚くわい小娘、てな言葉がでる余裕すらない。
だって、人間が生活の糧以外で詩文から唄、彫刻に映画と創作を初めてたかだか数千年の歴史しかない。なのに、そんな「あってもなくってもよい」分野に飛び込んだ男女の数は星の数ほどになるはずだ。その中から「創作の神様」の話し相手に選ばれたとなると、これはもう、宝くじで一等一千万当てるほうがよっぽど楽な話じゃないの。
「こ、光栄です神様……」
ソファとテーブルの間で身をよじらせながら、僕は時代劇で大名行列に出くわした農夫のように土下座をした。
「苦しゅうない、苦しゅうないぞ……波多野! 面をあげい!」
こちらの意図を汲んだのか、神様までがまるで駕籠に乗った大名のような言い回しを始める。
「へへーっ!」
何とか顔を挙げてその童顔を見つめる。もう、この店に入って何回目かの、場の雰囲気に流されそうな気分だ。が、気分よく神様の話し相手に選ばれた興奮に浸ったり、時代劇ごっこをすることに没頭していられなかった。
あのインチキなダーツは、よくよく考えたらおかしいのだ。僕は跪きながら素朴な質問を発することにした。
「畏れいります……。しかしながら神様、ちょっとおかしいのではないですか?」
「ん?」
「だって……セシャトさんとヘカさんはお年玉を神様にあげるためにダーツを企画されたのでしょう? なのに、神様は何も与えられずにむしろ僕に相談の機会を授けてくださっている。……これじゃあ、神様があたうる側ではないのですか?」
「それはな……」
「『罰ゲーム』ですよう!」
何かを言いかけた神様をまた、煎餅を齧り終わったセシャトが遮った。本当にここの女の子達、神のしもべなんだろか?
「『罰ゲーム』?」
すぐにセシャトに問い返す。聞きなれない単語だった。
「そうですよぅ!」
作業着を兼用しているらしいロングの黒いワンピースから覗く爪先を軽く揃えながらにセシャトは頷いた。
「的が全部『あたり』ならつまらないん! だから確率10%くらいで神様が与える側に回ってもらう方が面白いん!」
丈余りのよれよれのトレーナーから手首をグイとガッツポーズのように突き出したヘカも加わる。
「ははぁ……」
僕は床からソファに再び腰を落ち着けながら、大体の状況が呑み込めた気がした。
「要は、クジを外してしまった代償、みたいなものですな」
「そういうこと」
神様はチョコレートの銀紙を剥がしながら淋しそうに笑った。
「だから、創作の神として相談にのってやる……」
僕は頷いた。確かにそういうチャンスがあるなら、まあ、有り難い。でも、その前にはまだいくつかの事を神様をはじめとする『ふしぎのくに』のメンバーに確認してもいいだろう。
すっかり温くなってしまったミルクティーを飲むと、僕はセシャトにある質問をした。一つ目の質問だ。
「ちなみに……やたら面積の広い『タワシ』も当たりなんですか?」
「そうですよぅ。もし神様がここに当てたなら、このお店の奥のお風呂掃除は一年間神様の予定でした」
美人は即答した。小首を傾げての回答だった。多分この女、本気で風呂掃除をさせ損ねたことを悔しがっている!
「おそろしっ!」
「じゃろ?」
神様は静かに首を水平にふった。
五
暦では春だが、外をはびこる三月の闇はなかなか明けない。僕はガラス戸の向こうの暗い路地に少しだけ目をやったが、やがてセシャトに二つ目の質問をすることにした。初対面である以上、一緒にソファとテーブルを共有する三人の時間を独占するのは気がひけるが、こちらとしても聞かなければ落ち着いて先の話に進めないという気分がある。
「ダーツの的ですが『悩める創作者の相談を聞く(今年一年間・毎月一名)』とされてますな……。ということは、既に二人、何らかの作家がここに招かれたのですか?」
「はい! 波多野さんとは別の時代からそれぞれ来られましたよぅ!」
ニコりとしたセシャトは、ポットから僕のティーカップに紅茶を注ぎながら答えてくれる。どうやらまた暖房の効いた部屋で温かいお茶が飲めるらしいことを確認すると、僕は向かいの神様へと向き直った。
「ふむ……。では神様、その方々はいったいどなたなのですか? 僕が知っているような高名な芸術家とか?」
「うむ……。文学部出身のお主なら知っておるだろう。まず、ホメちゃんの時代から今に至るまでの創作家を無作為に抽出する。そしてだな、一月は中国の明朝時代から『金瓶梅』の作者が来おった」
「ギャーッ!」
僕は今日何度目かの絶叫をあげた。
「あやつ、『こんなエロいの書き続けたら司直に罰せられる』とかモジモジするもんだから、儒教道徳にこう、ビャーッと風穴開けてみるがよい、とアドバイスしてやったわ!」
「ハラホロヒレハレ……」
僕はまた、ソファから床にへたりこんだ。『金瓶梅』といえば昔、高校の友人が「ハタ坊、これ凄いエロやねん。貸したるわ」と自信をもって渡してくれたそれはもう、凄いエロ小説じゃないか! ちなみにこちらからは後日、返礼として『ファニー・ヒル』を貸してやったけど。それでもって後日友人が「ハタ坊がこんなん読むような助平だとは思わなんだで」と冷たい目で見てきたな、そういや。
そんな文学書の作者の執筆への度胸の後押しをこの神様がしたってえの!?
「ちなみに二月は、お前と同じ日本人じゃ。大正時代のな。京都の三高から帝大にいった学生でな……」
神様の口はとまらない。慌てふためくこちらにはおかまいなしだ。
「だがソイツはな、『檸檬』がどうと酔っぱらいながらやって来るなり、話もせんうちに泥酔して寝てしまいおった……」
まさか!
「もう次の昼までグウグウやるもんだから、諦めて返したよ。起き抜けに『酒!』ではのお」
「それって、かじ、かじ……」
若くして結核で死んだ、本屋でフルーツを爆発させる鮮烈な文章を書きなぐった作家のマッチョな肖像写真が頭に浮かんでくる。
「最初の二回は好色本の作者に酔っ払いで大変だったん! だから波多野にはみんな期待してるん!」
ヘカが神様に変わって前の二月の総評をする。僕は絶望した。前の二人が文学史に名を残す面々なのに、こちらときたらとてもじゃないがそんな系譜にはいない。まあ映画という芸術の外縁にはいるかもしれないが……でも、ただのサラリーマンなのだ。最後の質問が必要だった。
「……なぜ、僕なんです?」
僕は金髪の持ち主に向かって問うた。
「ん?」
神様が不思議そうに目を細める。
「僕は……先の人達や、その他の表現者と違って、作品なんて世に出していません。確かに映画会社にはいますが宣伝部所属で、何かをクリエイトする立場ではないのです……何故、僕が?」
なぜか謙虚な気持ちになっていた。数多の表現者の中から選ばれるには僕は余りにも不適格だという思いが芽生えたのだ。クジで選んだかコンピューターで選んだかは知らないが、神様と話をするのならもっと、こう、適任者が他にいるのじゃないだろうか。
「もっともな意見だの、波多野」
アゴに手を添えた神様は頷いた。
「だがな波多野よ。『創作者』とは別に世に作品を出せたものだけをいわんのだ……」
「はあ……」
嫌な予感がする。
「わしゃ、当然知っておるのだぞ。お前が大都映画に入社して以降、年に二回の社内脚本コンペに応募を続け、今まで六回連続で一次審査で落ちていることを!」
「ゲッ!」
僕は頭を垂れた。ぶれた視線の端からセシャトとヘカが互いの顔を見あうのが垣間見える。どうやら女の子達は、そこまでの事情は知ってはいなかったらしい。
「波多野よ、吾輩がいう創作とはそういうことじゃ。日の目を見ることは必要ではない。二月に来た帝大生だって、まだ世間を相手に派手な活動をしておったわけではないしな……。要は今、何かを造ろうとして悩んでいる人間は皆、対象ってことじゃな……」
悪い予感がした。脚本に応募しているということを把握しているということは、このガ……神様は当然……。
「あ、波多野、お前の創作ノートの中身も把握しとるぞ! なんでもお前、ジュリー・アンドリュースと伊藤蘭とオリヴィア・ニュートンジョンが共演するミュージカルを書きたいらしいな? ん?」
「ギョエーッ!」
「波多野さんはキャンディーズがお好きなんですねぇ!」
「ヘカはよく分からないん! でも写真見る限りあの三人ならミキちゃんなん!」
のんびりとしたセシャトの淡い眼差し、そしてどうやら僕と価値観を異ならせるらしいヘカの黒い瞳が共に僕に注がれる。
「キャーッ!」
「さ、お前の脚本に関する悩み、何でも聞いてやろう」
「イヤーッ!」
僕はソファーから床へとまた、転がり落ちた。しかし、神保町『ふしぎのくに』に夜明けの光はまだ差し込んでくれない。